八十七話「一般男子高生が自称魔王に勇者代理頼まれました!?」
「コンスタンティン様!?」
エリアーデの瞳が小さくなり、声がかすれる。
アレクサンデルは唇を深く締め、黙りこむ。それだけで、事態の救われなさが身に染みた。
「何があったの? 何に……やられたの?」
コンスタンティンは目をつむり、息も絶絶だ。実際に闘ったのを視たのは文化祭の一瞬だけだったが、その一瞬でも「強い」とはっきり自覚できたのだ。だがその強さが破られたのだ。
「勇者様は何か大きな敵と闘ったわけじゃないっす。ただ……抵抗できない力でやられたのっす」
アレクサンデルはうつむき加減に告げる。
魔王と僕は顔を見合わせた。間違なく、それは勝山恵の仕業に違いない――と直感で感じた。この向こうで、恵が待構えている……きっと。
「抵抗できない力?」 聴くなり、エリアーデは疑った。
「何かいつもと違う化物でもいるってわけ?」
アレクサンデルの顔は不可解な物を見たという気分でいる。この男にも、きっと騒動の張本人の正体は理解し難いものなのだ。僕にとってもいまだ認切れない事実ではあるのだが。
アレクサンデルは、諦めた顔で言った。
「世界を融合する力を秘めた人間を前に、常人が抵抗できるわけはないっす。自分は……ただ孤立すことしかできなかったっす」
ならやはり恵なのか。認めたくない気持が、どこかに。
「何がいたの!? きちんと言いなさいよ」 両肩をつかみ、怒鳴エリアーデ。
「あれは人間でもなく、精霊でもなく……いや、それを超えた……!」 そこから、悩みか、恐怖か、声が途絶える。戦士という役職には、あまりに似つかわしくない顔つきだった。
……恵じゃないのか? 恵じゃないなら、誰がいるんだ? 疑心暗鬼にかられる。何が真実なのか。
「降ろせ」
勇者が命じた。
「はっ……」 アレクサンデルがすこぶる重そうにその体を横たえた。腕が屈強なだけに余計、目上の人間に配慮しなきゃいけないのだろう。
「俺は初めて絶望を感じた。こんな感情、戦士として決して抱くまじきものだが……」
「な、何をです!?」
「このままでは世界の滅亡は止められないかもしれん。少なくとも私の手に負えることではない」
悔しそうにいなむアレクサンデル。
「何おっしゃるっす。勇者様はこの世界で最強の方にあらせられるっす」 実際には向こうの世界なのだが……。
コンスタンティンの体に目だった外傷はない。しかし、前の強い様子から考えられないほど、その顔はやつれきっていた。
僕みたいな人間なら、頭が白髪になってしまいそうな経験に曝されたのか、と見えた。
「あれは人間じゃなかった。人間をも越える……恐らく神……か……」
「僕はそうは思わない」
勝山恵がか? 確かに、こんな所業を犯すほどの人間だ。どんなに用心したって、用心しきれるものでは。
でも僕はまだ、彼女を説得して止める希望を捨てきってはいなかった。
「僕なら恵に何かしてやれるかもしれない。恵が、この向こうにいるんだから」
その時、三人の顔が僕に向かった。驚きと疑念の表情が額から口まで覆った。
マギアは少しも顔を変えず、僕の言動を注視。イグニスとアクエリアは、ついにこの時が来たか、と覚悟を決めた様子でいる。
「あいつのことを、何か知っているっすか?」 アレクサンデルが突発的に尋ねた。
彼らにして見れば、恵のことなどわずかも知らなかったのだから。その秘密を握っているのは僕だ。
だが、勇者が、二人の部下を手ぶりで抑える。
「人間の名前か」 コンスタンティンは無関心そうに。
「ああ。元は、普通の人間だったんだ」
それを認めるためだけに、どれほどの葛藤が必要だったか。実際、今だってまたもやその理解を無知に捨ててしまう瀬戸際にあるというのに。
「だろうな。誰かがこの世界の人間を使って世界の崩壊を起こすようにしむけた……」
「そういう人がいるんだ」
「貴様に何が分かる? いや、貴様は一体……」
コンスタンティンが、わずかに動揺を見せて、頭を落とした。
「勇者様!?」
「私は……もはやここまでだ。あの一瞬で、全ての力を吸取られたよ。何が起こっているのかすら理解できなかっ……」
がくり、と頭が下がる。
「勇者様!!」
異世界人たちが、その体に取りすがった。何の涙も、言葉もなかった。
コンスタンティンの力がどれほどこの際役立たなかったか、僕は身を以て思い知った。
そもそも、恵が僕に慈悲をかけてくれる可能性など皆無ではないか。この人と同じ二舞と散るほかは?
僕には、もう何もできないように思われた。
あきらめるしかないのか。
「翔吾! 貴様が奴の後を継げ!」
そういう時に限って、こいつの非常識ときたら限度がない。
「は!?」
「マギア・ユスティシア、正気の沙汰なの!?」
エリアーデが怒りを含んだ叫びをあげる。
「お主が勇者代理となるのじゃよ!」
マギアは僕の体をゆすりながら、重すぎる任務を迫った。
なんて残酷な言葉を吐く奴だろう。だがマギア自身は、決して後ろめたい気持ではいない。
「勇者様以外にこの状況を打開できる方はおられないっす。今は待つしか――」
「貴様らに中村翔吾の何たるかが分かるか!!」
マギアはアレクサンデルの躊躇も、エリアーデの叱責も根性で黙らせた。
「我輩は翔吾があらゆる不可能を可能にするのを観てきた! 奴は我々が考えるよりも遥かに想像できぬ力を秘めておる。それになぜ頼らぬ!」
「おい、お前はだがっ」
僕はマギアの口を塞ごうとして、逆に。
「うるさい! よくも我輩の直感を疑ったな! これでもか」
エリアーデは腕をくみ、ため息。
「あなたたちと来たら、本当に危機感が欠けているわね……」 まごつくばかりのアレクサンデル。
けど、
「いや、彼女の判断を信じましょう、エリアーデ様」
赤い髪をなびかせ、灰色の世界とは不釣合に、夢見心地の色彩で照らすイグニスだった。
「私は翔吾様がきっと何かを成遂ものだお信じます。何しろ、最初はこの方がマギアを救出するとは思いもよりませんでしたから」
目を細めながら、人指指をぐりぐりするエリアーデ。
「あのねイグニス、精霊が人間の本質を考察できると思う? 長命だからこそ逆に見誤ることもあるのよ」
「翔吾と俺たちの活躍を見たこともないのにか?」
アクエリアが腕をくみ、したり顔で。
「私はこいつを改めて見直したよ。新生の契約者でも、これほどの力を秘めているとは思わなかったしな」
「ほれ見たことかエリアーデ、この精霊どもは若造の高く評価しておるぞ」
「くっ……女狐が!」
エリアーデの中では、どうやら本物のマギアと偽物のマギアの区別がまだ明瞭ではないらしい。
「分かったよ。なら行かせてくれ」
「やめなさい! 生きて還れるとでも思って!?」
エリアーデが両肩をつかみ、制止しようと。
「エリアーデ、その少年は本気っす。もはや何を言っても無駄なことっす」
アレクサンデルがあきらめた。
いや、もっと冷静に事情を観ていた。
「それに勇者様をこのままにはしておけない。ずっと地面に置去にするつもりっすか?」
図星をつかれたらしく、エリアーデは黙りこんだ。
「よし、なら話が早い。早速調べに行くぞ」
アクエリアはずっと勇者たちに関心が薄いらしく、ちゃっちゃと展開を進めようと。
「あのねアクエリア――」
イグニスの諫めを制止するのは、この僕だ。
僕の心配ははやそんなところにはない。
「いや、二人ともこれ以上一緒にいてくれなくてもいい」
僕自身でも、意外な発言だった。どう考えても、命奪りな発言なのに。
精霊は愕然とした。
「なぜです? ここから先はどれほど強い魔物がいるか分からないのですよ」
「だから、置いていくんじゃないか。強くなろうとするから、狙われる」
「じゃあ誰がついていくつもりだ?」
アクエリアが若干の怒りでにらみつける。
「貴様ら、この我輩を忘れておるな?」
マギアが、したり顔で鼻を指さす。
「残念だがお主らが相手では恵に無駄な刺激を与えてしまうからのう」
「お前じゃ足手まといだ」と水の精霊。
「我輩の体に何が埋めこまれておるか、知っておるじゃろ?」
堂々と、その事実を誇った。
エリアーデもアレクサンデルも、目を丸めてただ愕然としている。
精霊すら、その場に立ちすくんだ。彼女が、まるであの魔王の威厳を再現していたからだ。
生きることを、完全にあきらめている。
「マギア・ユスティシア、あなたは……!」
僕は、なだめようとしゃべり出した。
だが、マギアは眥を決して告げた。
「テオドールのせいで世界の融合が起きてしまった。この件には我輩も責任の一端がある!」
その言葉は、どこまでも虚偽がないと直感で知った。
「翔吾、我輩がお主に力を与える。世界の融合を止めるほどの力があるからな。それに、恵を説得せねばらならぬ」
僕は、驚いた。
そして激昂した。魔王が、自分の命を粗末にするなんて。
「マギア……何てこと言ってるんだ!」
反射的に両肩をつかむが、
「お主、恵がどうなっても良いというのか!? あやつの心を開けるのは我ら二人しかおらぬのだぞ!?」
逆に胸倉をつかまれ、凄い剣幕で言いかえされる。
誰もが言葉を失った。
「な、勇者。お主が勇者なのじゃ。そしてその後ろについていくのは我輩じゃ」
にっと笑ってささやく。
『魔王』として僕の会った時と同じ、屈託のない表情。
少しだけ振向き、ただこう遺言した。
「お願いだから、コンスタンティンさんを安全な場所に避難させてください」
「何かあったらすぐ駆けつけるからな!」
精霊たちの声は、相不変頼もしかった。
◇
僕らは進続けた。不思議なことに、魔術に因る攻撃には遇わなかった。
恵の温情なんて露も信じていなかったが、とにかく安心する暇なんてなかった。空はできるだけ見ないように歩く。
ゴミ処理場のシャッターにまでたどり着いた。閉じてはいたがさほど頑丈ではなく、ロデリック戦の時に使った、魔術の道具で無理やり穴をあけた。
あたりは驚くほど静かだった。
向かって右端が異様に引延ばされた洞になって、上の開いた球形をなしている。かつては焼却炉があった場所だ。
そこからの天井が、あまりに高い。
ずっと向こうに、点ほどの小さな穴。そこが屋上なんだ。きっとそこに……恵がいる。
マギアと僕は手をつないだ。終始、無言。しゃべれば、瞬時に攻撃されそうな気が。
けど、心の中は僅かも穏当じゃなかった。
マギアと出会ってからは数ヶ月しか経っていないはずだ。こんなに時間を遅く感じたことが、将来あるとは思えない。けれど勇者たちにとっては、むしろ何十年も続いた騒動の、不本意な結末に過ぎないのだ。本物のマギア・ユスティシアを始め、何百人が犠牲になったか、知る由もない。
ひだみたいにゆがみ、たわみながら続く壁に階段がある。これまた魔術で無理やり造ったらしい干からびた感触だったが、意外と丈夫。
僕は途中で、何か液体みたいな膜がよどんでいるのを見つけた。不透明で、しかも通路を完全に封鎖している。それに飲み込まれなければ向こうにたどり着けはしない。何より液状の壁は魔術で破壊できるような代物には見えない。しかし、確かに天井に続いている。
通過を覚悟するのに、数十秒かかった。
振返って、マギアに目合図。すぐにうなずき、うしろに退歩さる。
僕はそこに飛込んだ。
急に頭が冴えてきて、思考の速度がぐんと上がった。つまり、その場に昏倒した。




