八十六話「いよいよ、決戦の地へ」
「朝じゃ! 起きよ勇者!」
マギアが僕の頭をぽかぽか打った。
「貴様、世界がどれほどまずい状態になっているか分からんか!?」
マギアの声は厳しく、しっかりしている。
「あがっ! ちょっと、やめろって!」
僕はまだ起きる準備ができていない。しかし、魔王は容赦なく布団ごしに拳を撃ちつける。
こんな嫌な仕事で一日を始めなきゃいけないなんて、と慵い気持で、何とか布団を挙げてその顔をのぞこうと。
「ククッ、元気か? 翔吾」
魔王がしたり顔でのぞきこむ。近すぎる。
「よせ! ぶつかっちまうだろ!!」
思いきり布団を広げようとしたが、自分がTシャツ一着きてるだけだったことに気づきすぐにやめ、また内側にこもる。
「全くじゃ勇者。我輩はすでに制服に着替えておるというのに」
「僕も着替えるから! だから部屋の外に去ってくれ!」
「よろしい! その心意気、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ」
マギアの足音が扉と共に消えた後で、ようやく僕は自分の時間に専念することができた。
廊下から洗面所に入って、虚心坦懐顔を洗う。いつもより、清々しい気分だ。
昨日の夜あったことについてはあまり記憶がなかったが、むしろ、思い出せないことで返って、下手に悩む必要もないのだ。
それからようやく、棚から制服を取りだす。
いつも何でもないその重みが、やけに鎧兜みたいに響いた。こんな経験は初めてだ。きっと、自分がただの高校生ではないとはっきり自覚したからかもしれない。
もう、前の未熟な僕じゃないんだ。
僕は外に出て、かばんを提げたマギアに出会った。一体どこに行くつもりなのか。
手を叩いて叫ぶ。
「で、何から始める? 勇者よ」
昨日のあの心細さが嘘みたいな図太さだった。
「もちろん、恵を止めるよ。今回の危機の原因は、僕にも一部あるんだからな」
もう、歪曲者のマギアだ。
以前の堅物らしさをこじらせたか、こんなことを言いはじめた。
「お願いじゃ。我輩も連れていって欲しい!」
「だめだよ、そんなの!! 危険すぎる!」
平手を伸ばして。
「これまで何度も死ぬかもしれない目に遭ってきたんだ。それをお前に味わわせるわけにはいかない!」
マギアがそれを言いたくなる気持は分かる。あの魔王と直に出会い、その力を譲受けたのだから。
「だが、世界の融合を必要だったのじゃろ? つまり、それを止めることにも役立つはずなのじゃ」
「おい、そんな……」
僕はただ、動揺するしかない。しばらくの沈黙。
マギアの顔には、微塵の不安もない。そうすれば、僕のためになると本気で思っている。
ただ、絶句。
「安心せい。貴様がおれば百人力じゃからな」
「行くつもりなのか?」
「ああ、是なり。勇者と言われるほどのことはあるからな。足手まといにさせんはずじゃ」
僕は唖然として魔王の顔に釘づけになる。
嘘を百回言えば本当になるとでもか。しかし、魔王は僕の沈黙に一切ひるまない。
アクエリアが頭をかきながら、
「あんたは実に扱いが困る。そもそもお前の体はマギア・ユスティシアだがお前自身はこの世界の人間だ」
「昨日会ったな。お主が翔吾の使魔か?」
魔王はその絵具で描いたみたいな姿を見て感嘆した。
「お前は翔吾に対して何かしてやろうってのか? まさか勝山恵のせいで何人死んだか知らないわけでもないだろ?」
しかし、その言葉を聞くや、一気に毅然とした面持、
「できておる!!」
魔王は初めて怒りを明白にした。これ以上、普通の女の子として扱われることが耐難いかのように。
彼女は今まで、周囲の人間に助けられてばかりだった。その分を自分で報いたいとばかりに。誰だって感じることだ。
「翔吾、我輩がそんなに虚勢を張っていると見えるか? 我輩が恐がっていると見えるか?!」
「……見えるよ。だって本当に恐れているのなら震えてないだろ」
無論、そんな魔王が安心感をもたらしてくれるのも事実だけれど。
「それに、みんなに連絡しなくちゃいけない。僕らが決死の場所へ、死にに行くんだってことを」
「死にに行くのではない、勝利するためじゃ」 マギアは僕の肩をつかんで詰めよった。
「勝利って……お前が言うことかよ。僕がやらなきゃ人間は生延びるしかなかった」
「我輩がおれば貴様にとって百人力じゃからな」
アクエリアが思切嫌な顔をしている。
「お前がそこまで行きたいと思うのなら、行くがいいさ死ぬべき人間! 私たちはお前に何もしてやれないがな」
精霊の容赦ない言葉に魔王の口元がゆがむ。あの時だって魔王は何もせずただ僕の救けを俟つことしかできなかった。それをはっきり指摘する。
彼らは魔王の弱さを知悉している。それは本物のマギア・ユスティシアにはあるはずがないということも。
「どうであれ我輩は、見届けなければならん。世界が生きながらえるか……それとも、滅びを迎えるか」
行きたくなさそうな声に戻っている。そもそも僕だって不本意なのだ。
『戦争』なんてものに最も無縁な人間である僕が、戦いに行こうとするのだから。
「じゃあ行こう。電話で話せば大騒になるか分からないから誰にも話すな」
◇
ここは、ゲヘナか?
気づくと、もうゴミ処理場の周辺は激しく荒果てていた。地面にひびが入り、建物はどこまでもでこぼこな線を引いて向こうまで続いていた。それ以上に、空の様子が異常。
沢山の色を水に落として混ぜた渦とよく似ている。しかしそれ以上に奥から灯籠の火が静かにきらめいているように何かが存在するのだ。もしかしたら、それが勇者たちの故郷かもしれなかった。
もうここには僕と魔王以外の人間はいない。ただ、臭いと色が、「今すぐ立去れ」という凶悪な威嚇を放つ。
「翔吾。電話が通じぬ」 マギアが端末を当てたまま、途方に暮れた顔。
「圏外……か」 世界の境目が揺らいでいる証拠なのだろう。地球上であっても、地球ではない世界に部分的に融合してるんだ。
「ああ、圏外じゃ。我輩の魔力が反応しているからかもしれぬが」
「反射炉が……?」 けれど、それを問糺す余裕がない。今すぐにでもどこかから攻撃がくるとも限らないのだから。
綱渡みたいな、とんでもなく遅い足どりで前に歩く。
それを何十歩か繰返した途端、女の呼ぶ声。
「マギア・ユスティシア!!」
知ってる人の声だ。驚きに満ちていた。
「なぜ、ここにいるの? それに――翔吾も!?」
逆光のせいで表情は分からないが、体の輪郭は充分に衝撃を伝えている。
「エリアーデ様、私たちは世界の融合を止められなかった」
アクエリアはやけに真面目くさった調子で告げる。
「テオドールが魔王の反射炉を使って二つの世界の境目をぶつけたんだ。すでに二つの世界の滅亡まで後わずかって所まで来てる」
「空を観ればわかるわよ。だから私たちがこの巨塔を攻略しているんじゃない?」
エリアーデは恵のことなど考えもせず、向うの事情を説く。
「私たちは今回の騒動をしでかした奴を殺しに行くつもりだった。けど、結局正体は突止められないまま今回の事態に……あんたを責めるつもりはないけど」
その言葉に含まれた重い意味に、しかし今は顔が硬直している。
最初から異世界人が何も分かってないのは承知済だったが。これほど、観ている世界が違うだなんて。
「アレクサンデルさんは?」 僕は尋ねた。
「アレクは……あのお方を助けに」
エリアーデの声におびえがある。あんな屈強な男でさえ苦戦している、という絶望が見隠。
恵が、そこにいるというのか。そこで世界の滅亡を起こそうとしているのか。
僕こそが止めなきゃいけない。恵に、この蛮行を辞めさせなくてはならない――
「伏せて!」
周囲に爆風の嵐が吹荒れる。反射的に脚があがる。
「魔術よ!」
熱風が過去った。僕らは近くの車庫の中に身を寄せ、壁際に立つ。
心臓が激しく鳴っている。この先、煙突の中がどんな状態になっているのか、のぞくことすら難しい。
エリアーデが叫ぶと、黄色い光の網が張巡らされ熱と風を遮断する。ぴしぴしと悲鳴を挙げる壁。
遠くから、これも知っている男の声。
どんどん近くに寄ってきて、道を曲がる。大柄な、刈上げた髪が沛艾。
「エリアーデ! どこっす!!」
アレクサンデルは一人の男コンスタンティンを脇に抱えて、喘いでいた。




