八十五話「勇者と魔王、密会を交わす」
魔王と僕がこの空間で対面するのは、もう何ヶ月ぶりのことだろう。
以前なら戸惑面食な会話を繰広げた時間だったろうけど、今の僕らにはそれどころじゃなかった。いや、そう言うのは少し違うかもしれない。
カーテンはもう閉じていた。そうでなくても、十分夜中。
「魔王」
僕の呼掛。
少女の返事。
「魔王じゃない」
僕は改めて呼んだ。
「マギア・ユスティシア」
「……それも違う」 少女の声は、あまりにもか細くて、何か樹脂みたいな素材で覆いたくなってしまう。
「何だよ、いつもの魔王らしくない」
――こんな娘に、あのマギアが反射炉を委ねたってのか? アクエリアの憮然たる声。
――信じられないわ。あの魔王が、この世界の鉄の塊であっけなく命を失ってしまうなんて。どうやらこの世界の恐怖は私たちの想像を越えてるみたいね
二人の精霊は勝手な詮索に耽溺。けれど、僕たちにとってはたんなる雑音に過ぎない。
「私が、この期に及んで異世界人ごっこでもすると思う?」
今はそれどころじゃない。
「ああ、お前はいきなり僕を勇者と叫びながら玄関に躍動がったんだから。一生の黒歴史ものだよ」
「……どうして、私はあんなふざけた遊びを始めてしまったんだろう」
僕は、答えなかった。それは、特段僕にとっては関連のない話題だったから。
魔王にとってどんなに重大な悩みだとしても。
魔王マギア・ユスティシアも同じくらい、哀れな人間だ。今回の危機も、異世界人の勝手な欲望がそもそもの発端なんだから。異世界から追い出され、この世界ですら、結局居場所がなかった。
その騒動があったから――僕はマギアに出会えた? 何て利己的な考え方だ。
「私は特別な存在なんかじゃなかった。特別どころか、何一人に誇れやしない人間もどきなんだ」
魔王らしからぬ早口。
「みんなを騙していた。自分に嘘をついて、自分を美しく見せて、みんなを扇動てたんだよ。こんな罪深い遊びに、今の私が興じていられると思って?」
語末が、わずかに荒ぶる。これこそが、マギア・ユスティシアに憑依される前の、素の魔王の姿。
「とりあえずコーヒーを飲もう」
僕は二人分のコーヒーを用意した。エスプレッソは欠けていたし、牛乳も入れる気にならなかったから、完全なるブラックだ。
感情は、ちょうどこんな色。
紙コップを、自分に手に保つこともなく、さっと手渡す。
魔王は、何度もためらってから、一気に飲干した。
「にがっ」 不意にしかめっ面。
「そう、それなんだ」 そんな少女をからかう僕。
「お前にとってはただ単に恥ずかしい思出だろうけど、僕たちにとっては決して忘れられない事件なんだよ」
「あいつらはすっかりお前に心惹かれてしまったんだ。お前自身じゃなくて、お前が演じてたマギア・ユスティシアにな。あいつらはお前の本性なんて知らない。知ったとしても信じない」
それから自分でもコーヒーを飲む。
何かが心の中で弾飛んだ。
「マギア・ユスティシアは酷い奴だよ。だってって、自分で勝手に造りだした問題を、この世界に持ちこんだんだぞ? それを勝手にお前に押付けたんだ。向側の世界にいる同胞さえ巻きこんでな」
ずっと、異世界人をろくでもない存在だと思ってた。
たとえ魔法が使えたって、世界の融合を起こせたって、野蛮な連中。だって、魔王を勝手に追いつめて、戦争すらけしかけたんだ。
「お前はそれを黙ってるべきだったんだ。少なくとも、でもお前は自分の存在を下手に見せびらかしたせいで、みんなを危険にさらしたんだ。その結果が……(両手を広げて)これだ」
少女は、ただ次々と流去る言葉に茫然と。
「誰が悪いんだ? 誰も悪くない。あまりにもどうしようもない。運行があまりに恵まれてない」
「勝山恵がな」 アクエリアが実体化して、僕ら二人の前に現れる。
「私たちはさっさとあの女を消去るべきだった……事態がここまで進行する前にな。だがお前たち人間は奇怪だな。なぜ」
「よしなさい、アクエリア」 見えないイグニスの叱責。
「私は不死身の精霊だから事情は知らねえが……でも分かる気はするよ。だって死ぬべき人間が、永遠になろうと他者の命を求めるのは自然だもんな」
イグニスはさして興味なげに無視。
「精霊は人間の道具よ。私たちは人間の利益だけ考えていればいいのよ」
アクエリアは再び霧となって消えた。
「なあ」
マギアは、結局、うなずかない。僕らがどんなに説得したって、もうマギアは自分に課された役目から逃げ出すことしか頭にない。
「私に、これ以上何の罪を着せるわけ?」
「違うんだよ。僕は謝って欲しいんじゃない。こんな醜態を造りだしている世界を否定したいんだ。僕もだめだし死んだマギア・ユスティシアもだめな奴なんだ」
魔王は、いよいよ理解していなさそうな顔だった。話なんてどうでもいいから、早く泡粒みたいに消えてしまいたい。
けど、奥底ではずっと葛藤していた。恵が笑っているに違いない。こんな醜態を、場違な時間にさらしているんだから。
嫌な気分だったけれど、体が喜んでいた。この矛盾した境地に、人間の愚かな性を思い知らされる。
やや経って。
「私たちは行かなくちゃいけない」
何とも、意味深な言葉。
「どこに?」
「決まってるよ。もう、他の誰もがたどり着けないとこ」
「何だよ。僕ら、これから死にに行くってのか?」
「もし、翔吾くんが私のことを好きなら、ね……」
苦しいけれど、うれしかった。このマギアが、あのマギアとはっきり同じ人間なんだって。
けどそれ以上は何も言えなかった。
恵が、僕の心に住んでいるから。




