七十六話「恵との関係、決裂」
どいつもこいつも、僕の悩みを理解してくれようとしない。そうなると僕の心労は積もるばかりだ。
その時に限って僕の奥底の汚濁を癒してくれる存在が、いつもはあったのだが。
「翔吾くん、最近はあまり電話かけなくなったね」
「そ、そんなことないよ」
恵の声に、僕は動揺した。
責めている、と思いこんだから。
「最近はあまりに考えなきゃいけないことが多すぎて……とても、身の回りのことに気を遣ってる暇がなかったんだ」
苦しい言訳をしてしまう。
この子には、一切世界の秘密なんて教えていない。この子とは、せめて普通の関係を保ちたい。
けれど文化祭の時、忽然として消えたあの事件が、僕におぞましい疑念を与えていた。
「私はもう少し翔吾くんが温かい人って思ってたけどな。あの時から私に電話もかけてくれないなんて」
実際、そのことでずっとためらっていたのだ。
恵があれで消えてしまったんじゃ、と疑いすらしていた。でなくても、恵が電話をよこしてくれなくなるかもしれないし、あるいはどんな返事をもらうか全く読めず、ずっと恐怖してて。
「その日のことなんだよ。僕はずっと気になって仕方がないんだ。学校中を歩いて来た時、君はいきなり僕の前からいなくなったろ?」
「そんなことあったね」 不思議に、恵の色には動揺がなかった。
あまりにも、くだらない指摘として聞こえたみたいだったから。
「何で僕の前から消えたんだ?」
ずっと気になってた質問を投げる。
けど、今度は恵は、素通しなかった。
「私は……恐かった。あの暗闇が」
何か言いたげな、奥のある声。
「暗闇? あの日の空が……?」
「そう。暗闇よ。みんなが知ろうともしない、暗闇を」
恵の声が次第に抑揚を失って行く。
「何が言いたいんだよ」
恵の心に潜む『それ』を聴いて、背筋が凍る。
「私は、自分の悩みにちっとも理解を注いでくれない世の中を憎んだ。消し去りたいと思った。でも、翔吾くんとマギアに出会ってから何かが変わった。いつの間に、私は少しだけ、生きていたいと望んだ……」
生きていたいのが人間のはずなのに。しかし、恵の言葉には命に対する一種の嫌悪感すら見出す。
僕の言葉は、恵の告白の前に消えてなくなる。
「気づいたのよ。あなたはむしろマギアの方に気があるんでしょ?」
またもや、突拍子もない質問。つい、口ごもってしまう。
想いを寄せる、という意味か? そんな感情はついぞ抱いたことがなかった。
僕にとってマギアは不思議な存在ではあるが、大切か、と言われると悩んでしまう。いやそれ以上に――こんな状況でそれを口にする恵の異様さ。
「そりゃマギアは好きだけど……恋愛感情って言うほどでもないよ」
しゃべりながら、発言を後悔する。恵はこんな回答を求めてるはずじゃない。慰めなのか?
「もちろんこれは憶測だけど、でも私は段々翔吾くんがマギアにひかれてるって思うけどな。確かに、あの子の方が魅力に富んでるっていうのはあるけど……」
もしこの時恵の顔が見えてるとしても、僕は彼女の心情をはかり損ねただろう。
「私にはよく分かるの。あなたが何かに怯えてるってこと」
「そりゃ、怯えてるよ!」
恵とのうまくいかない会話に、ありったけの感情をぶつける。
「あの時いきなり君が消えたのが心配でならなかった。でも僕はあれが単に離散になっただけだなんて思えない……もしかしたら、僕らの間には溝ができてるんじゃないかって。いつからか、まだ分からないけど……」
恵の声はそれでも静かだった。優しげでもあり、怒っているようでも。
「溝だね。私が私自身との間に造り上げた、溝なんだ」
「『私自身との間に』?」
「最初はただあなたを何も分かってないと思ってた……でも、本当に何も分かってなかったのは私だったんだね」
「……これ以上、中村翔吾なんかと関わっていたくない」
「ちょっ……」
一方的に通話を切られてしまう。
例の二人は部屋の壁際にもたれながら、聴いていた。
いや、もたれてはいないか。わずかに床と足の間に隙間がある。そう、浮遊しているのだ。精霊なだけに、人間とは存在法が違う。
「翔吾様は疑わないでよいのですか?」
「う、疑うだって!?」
「彼女はまるで翔吾様を呪うような物腰でした。もし彼女との間がうまく行っているのなら、こんな静かなしゃべり方でいられるでしょうか?」
「あー、喧嘩するほど仲が良いっていうし?」 まるで緊迫感のない話し方をするアクエリア。
「僕はあいつに本心を説明してほしかったんだよ。何であの時」
「実は滅茶苦茶キレたりしてて?」
アクエリアの髪から泡沫がわきでては消える。
水色、縫目のない衣が風もないのに勝手に揺らめく。
「女は男と違って奥ゆかしいんだよ。本当は主のこと恨んでて、どう報復しようか練ってるんじゃねえの?」
下衆の勘繰。
「こら、アクエリア、邪推してはいけないわ」
一度も会ったことのないくせに、よくずけずけと物が言えるものだ。イグニスだって恵のことを知らないのに、わざと状況を楽観的に捉えるのだから。
嫌だ、と否定したくなる。何か僕がそんな憎まれるようなことをしたのか?
恵とは色んな話をした。人に言えないようなことも聴いた。恵のことを一番とは言えないとしても、よく積極的にその悩みに乗ってきた……つもりだった。
けど、それが恨みに出ているとか? どうしても認めたくなかった。
話題を変えるアクエリア。
「この世界の人間は通信する手段が色々あっていいな。大体通信する魔術はあまりに複雑で制御も困難だ。水晶はあるけど、これも高価で壊れたら修復のしようがないからな」
「アルカディアに持ちかえればみんな驚くだろうな。これほど精密な道具を作る技術は俺たちにはない。何しろ」
僕にとっては、何の癒心にもならない言葉だ。それ所か、僕の孤独はますます深まっていった。
「とても…取返のつかない過誤を犯してしまった気がする」
「その恵様という方に、一体何を話してきたのです?」
「別に、ただ日常的な話だけだよ」
「しかし魔王とも知遇があったとのことです。それならば、何か重大な秘密を知られてしまったのではないですか?」
嫌な予感を、ますますかきたてる言葉に、思わず反発してしまう。
「ありえない! あいつには世界の融合とか異世界の話なんてちっともしてない」
「でも、会ってから数ヶ月か。何かかぎつかれてるとしれもおかしくねえ……」
僕はただ黙るしかなかった。




