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七十四話「高校ジャック 朱音を救え!」

 朱音は青ざめていた。

「え……え……」

 目がどこを向いているのかも分からない。

 当然だ。こんな状況で、自分が何に捕らわれているのか理解できる奴なんていない。

 目の前でずるずる鳴きながらうごめくのは、蟹みたいな姿をした化物だった。目は四つ位あり、脚は鋼みたいなつやで光輝いている。

 なぜか直感で、これは化物に変えられた奴ではなく、元からこういう姿なんだと理解できた。

 気迫が違う。

「異世界の……生物なのか?」

 側にいたアクエリアに尋ねる。

「ああ。こっちにはいないのか?」

 つい、

「いや、もしかして似た生物」

「来ますよ!」

 イグニスが叫んだ時は、蟹の脚が頭上に降りかかっていた。反射的な跳躍。

 地面が砂ぼこりを舞上げて大きな音を立てる。不意に目を覆い、口を塞ぐ。

 目を開けた時、周囲も青一色に満ちていた。エリアーデが発生させたのと同じ原理だが……それより遥かに頑丈な構造だ。

 これなら……どれだけ暴れても、外の奴らに知られるはずはない。

「シャアアアッ!!」

 蟹が金属的な奇声をあげ、片方のハサミで殴りかかる。

 単純で、避けやすいがその威力は絶大だ。

 いよいよ本気にならなければいけない。命がかかっている!


「私たちの使命をお忘れですか?」

 イグニスが静かに語る。

「分かってるよ……それに朱音が!」

 朱音は気を失ったまま、蟹の手に挟まれている。誰かが差向けたのか分からないが、きっと僕を亡き者にしようとの算段。

「こういう時こそ君たちの力が必要なんだ! 頼む、お前らの力を貸してくれ」


 まだ二人と会ってから日数も経ていない。学校の奴らもすっかり他人行儀よそよそしくなってしまった。正直に言えば、


 イグニスの言葉にはどこか奥ゆかしい響き

「おかしいですね。あなた様と契約した時点で私たちはあなたの僕であり、眷属なのですから。私たちに自由があるとでもお思いですか?」

 蟹はその場に制止して、朱音をつかんだまま。

 朱音を人質にでもして動けなくする魂胆なのだろう。


「敵が近づいてくるぞ!」

 その直後、アクエリアが霧みたいに溶けて、僕の体に入りこんだ。いきなり活力が湧いてきて、別人の体に入りこんだみたいに。

 感覚が鋭敏になった。蟹の動きが急に緩慢に。

 いや、僕の認識が急に鋭くなったのだ。めまいがする。酔ったような気持悪さ。

 蟹が再び脚を大きく曲げて、跳びあがった。巨体からは想像できないほど、身軽でボールみたいな曲線を描いて僕の胸へと突っ込んだ。


 何をすればいいかは分かる。今、こいつを恐れるのではなく、こいつと闘うのが目的なのだから。


 僕が念じると、間欠泉みたいな勢いで水が放たれた。蟹は流れを正面から受けて吹っ飛んだ。

 結界の境界線に当たったらしく、黒板をひっかく時にも似た変な音が響く。

「くそっ、まだか!」

 僕はもう一度水を放った。蟹は体を起こそうとしていたが、再び姿勢を崩し、壁を擦りながら大きく鳴いた。

 間合を詰めながら、奴へと歩いていく。

 これが召喚獣の力か、と感心する暇さえなかった。

「イグニス、お前は何ができる?」

 焦りだ。朱音が命を奪われるかもしれない、という焦り。

「もちろん、翔吾様のお輔弼てつだいですよ――」

 すると肩をつかんで、そのまま僕の体内へと『浸透』していく。これもまた生々しく、何とも言えない感触だった。

 僕の手の先が炎を放出して、腕まで覆尽くす。ぎょっとしたがなぜか熱さは感じなかった。

 二人とも言葉を発しない。いや、彼らが教えてくれるのは思考で分かるのだ。それを理解し、実行しようとするに及んでは平生いつもの僕ではなかった。

 敵を倒す。まるで機械的に動く兵士みたいに物を考え、自分に対し呪文を念じる。

 気づくと僕は蟹に向かって体当をかけていた。体中が光り輝き、あたりに火を巻散らしていた。蟹の装甲に食いこんだ時、全身を打撲みたいな激痛が襲ったが、気にしていられなかった。


 蟹の腹に大きな亀裂。闇から、煙がくすぶっている。


 体の火が消えていき、前に目をやると、蟹の目が光を喪い全身が蒸発していく。溶けた鋏から朱音の体が振落とされる。

 僕は慌てて朱音のを両腕で抱えた。すっかり冷えて、固い。

 命に別状がないかどうか、それだけが問題だった。

 腹のあたりに腕を回し、顔を近づけてつぶさに様子を観察する。

「大丈夫だ」

 アクエリアが質問を先取する。意外と、頭の回転は速いのだろう。

「こいつには生体反応がちゃんとある。かなり衰弱してはいるが……」

 異様な青の牢獄はもう、いつものグラウンドと青い空。

 先ほどの戦闘は、決して外の奴らには観られていないはずだ。

 だが、普通の人間が化物との戦闘に巻きこまれたことの重大さは何ら変わらない。


「保健室に運ばないと……」

 けれど。

「う、う……」

 朱音のうめき。

「き、聞こえる?」

 その目が静かに、着実に開き出した。

「しょ、翔吾……?」 かすかに、困惑の表情を浮かべる。

 よかった、生きてた――と喜ぶ間もなく、朱音は俄然元気を取戻して僕のみぞおちを突いた。

「な、何触ってんのよ! ふざけないで!!」

 確かにそうだ。好きでもない男の子に抱かれて嬉しい女子なんてそうそういない。僕もようやく自分の行動に気づいて、心臓の鼓動が一気に早く。

「べ、別にそういう意味じゃないから!」

 朱音は激しく顔を赤くしている。僕は苦笑しつつ、怒りを刺激しないよう目を背けた。

 まだ不機嫌な様子が冷めやらない中、うつむき、低い声を出しながら、

「変な夢を見たわ。一瞬」

 不審げにしゃべって見せる。

「変な夢?」

「うん。変な生物が私を捕まえて、翔吾が助けに来て……」

 僕は驚いた。異世界に対する耐性が強そうだ。さっきのことを鮮明に思い出せるなんて。


「夢じゃない」

 だからこそ、いよいよ朱音には本当の真実を言わなばならないと思った。

 もう朱音は絶望しているのだ。何も分からないという絶望ほど恐ろしいものはない。それは確かに、マギアの正体が分かる寸前まで、いや、ある分野では今でも持ってる感情なのだから。


「夢じゃない!? 大体マギアが現れてから変なこと続きなのよ。魔法が出てきたり。化物が現れたり。あいつは何なの? 疫病神なの?」

 こう僕に尋ねるのだ。

「夢じゃない。君が見たのは、僕が見たことでもある」

 今が授業中であるという事実など、心の余裕をとうに失った彼女にとってはどうでもいいことなのかも。

「ふざけないで。あの女は一体何なの? なぜ、私たちの前から消えたの? あんたなら知ってるんでしょ!?」

「……そこからすると、大部不機嫌だね。分かるよ、その気持……」

 いよいよ激怒しそうになって口を開きかけた時、

「一緒に行こう。あいつらを絞めに行こうぜ」

 と片手をにぎり、約束。

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