六十七話「その時は、来た」
結局、僕は誰にも肝心なことを伝えないままにこの日を迎えてしまう。
後悔というよりは、自分が何をすればよいのか分からない、漠然とした不安。その不安の中で過ごす恐怖。
なぜ、僕はこんな奴のままでいられる? とんでもないしっぺ返しが待っている――と確信してるのに?
僕はその危惧をおくびにすら出さなかった。僕はみんなの利益を求めて行動するしかなかった。それが、僕の本意であり、精神の安定にも大切だったから。世界の危機より学校の用事なのかと自問しつつ。
恵とは以前と同じ場所で会った。
「何だか浮かない顔だね、何かあった?」
憂いの種ならたくさんある。魔王にどんな顔をして会えばいいのか。ロデリックが襲って来たら?
お金は? どれくらい屋台で食べていくのか。
エリアーデたちは本当に学校を護りきれるのかどうか。それら全て、この子には話せそうにない。
「何でもないよ」 嘘だ。
「強がらなくていいんだからさ」
恵は車椅子を漕ぎながら僕を通過ぎようとする。
もしかしたら、背伸しようとしてるだけなのかも。どんなことにも自信がなく、まるで溶けた蝋みたいな心になってるから、より劣ったものを仮定することで調子を保ってるだけなのかも。
恵をか? 恵なら、僕よりも下だから優越感を抱けるかと?
ああ、想像する以上に僕の心性はげすい色で染められていたらしい。
なぜ、この子を前に立っているんだ……その資格すら。
「……僕が悪かった」
身を崩し、そのまま車椅子の手すりによりかかる。
地面を覆うアスファルトが叱責の打撃を叩きつける。
「僕がこんな悪い奴なせいで、魔王も……恵も……みんなを変な気分にさせる異物になっちまったよ。このまま生きてて可やつじゃないんだ……」
左右に分岐風さえ、僕を避けているように感じる。
「い、いきなり何を言出すの!?」
恵は当惑し、僕の肩を片手で弱くにぎる。
「私は翔吾くんが悪い人間だなんてちっとも思わないよ? だって、今まで魔王ちゃんとか教室のみんなと仲良くするためにがんばってきたんだから。私は……翔吾くんがそうやって生きてるだけで十分うれしい」
僕は恵の優しげな顔をうかがって、言葉を失った。
こんな所でさえ、悲惨な目を見るに違いない刑場と思われて、羞恥さに目を覆いたくなる。
それが、この子にとっては迷惑だけと分かっていても。
「それなのに……何で卑下するの? あなたは十分良い人だよ。謝らなきゃならない所なんてどこにもない。私は、翔吾くんがそんなことで悩む姿なんて察ていたくない」
恵は、まるで聖女みたいだった。
「立って。私と一緒に、行こ?」
このまま、悩むだけじゃだめなんだ。
「いいのか……僕が……」
ようやく、分かりかけてきた。
自分がどう生きるかじゃない。みんなのために、僕に今、何ができるか。そっちの方が重要なんだって。
今、歩かなきゃ、何も変わらない。
「あなたには、もっと動いてもらわなくちゃ困るの」
「……君のために、か」
「そう」
もはや何一つ質問する必要はない。恵が何を考えていようと、僕には恵のために行動するしか道はない。
僕は、恵の後ろから車椅子を押した。
◇
楽しい一時だったように思う。
こんな時間がいつまでも続けばいいのに……と希望する自分を発見し、暗澹たる気分。
魔王のライブはかなり夕方に始まることになっていた。
多額の金を屋台や射撃場に落とすことを考え、数時間前すでにチケットを購入していたのだ。そして実際、この時間には財布の中、ほとんど空洞になっていた。
魔王の歌声を聴けるのは確かに楽しみではあったけれど、ある部分ではやはり心配でもあったのだ。魔王がもし失敗したら、それがまるで僕の失態ではないかと思えてきて。
さほど大きくもない、幕や天井を持つステージが砂場の上に立ち、その前に用意されたベンチの群にはもう人が集まっている。ステージの上には数人かスタッフの姿がいる。
よく見るとそれは北野先輩や原先輩だった。柱を手入しているようだ。まだ魔王の姿は見えない。
僕はまだ魔王が現れていないことに安心しつつ、だが一抹の不安をいだく。
するとそこに吉田がいた。
吉田が言った。
「ついさっきシフトが終わってな、ゆっくりと歌を見物するつもりなんだ」
僕はとりあえずの一言。
「疲れたろ?」
「変な人がいてさ。フードをかぶってたから顔は分からなかったんだけど、いきなりこう尋ねてきたんだ……『マギア・ユスティシアはここか?』って」
もしかしてエリアーデたちが言ってた、新しくやってきた異世界人か?
フード……何やら、既視感がある。けど、具体的には思い出せない。
僕は、彼女に意見を求めることに。
「何かありそうだよな、恵。……恵?」
そこには、ただ無数の砂。
僕は驚き、恐怖にかられた。恵がいない!
誰も彼も立って歩いている人間ばかりで、その間から車椅子が見隠することはなく。
連戻さなきゃ。すでにそっぽを向いていた吉田の腕をとり、構わず尋ねる。
「おい、恵はどうした?」
吉田はびくついて、
「恵って……魔王の友人か?」
「ああ。さっき僕と一緒にいたんだ。ずっと」
「いや、俺はお前だけで来たのかとばかり……」
困惑する。
確かに僕は恵と一緒にここまで歩いてきたのだ。恵の
だが、そこで騒ぎを広げるわけには行かなかった。
「諸君! 今日はよく来てくれた!」
魔王がステージ上でしゃべっている。
あの黒いロリータ服だ。リボンは大きくなり、ガーターはより深くなり、蠱惑さに磨きがかかっている。
「我輩は正直驚いておる! 何しろ宣伝期間も短いし、我輩自身さほど思わなんだからな」
いつの間にかベンチは客足で埋まっていた。僕ばかりが、そこら中の頭をやや突き抜け目立ってしまっている。
「おいおい、自信満々な魔王様がそんなこと言っちゃっていいんですかね~?」
原先輩が魔王をおちょくる。
馴々しいようでいて、同時に嫌味でもない絶妙な芝居。
「俺はもっと、これこそ予想通りの大満員! って感じの誇りを期待してたんすけどお」
「何を言う! 我輩だって本番の日を迎えるのが不安でならなかったのじゃ! それに、我輩は……」
言葉が途絶える。
魔王の顔が一瞬ひきつり、頬が赤くなる。
視線が合ったみたいだ。僕に気づいたのだろうか。
あんな奴の顔、これ以上見ていられない。僕は顔をそむけた。
「おや、魔王様またまた懸念がおありですか?」
慇懃無礼な調子で先輩が問う。
「いや、何でもない。ちと何者かの視線を感じてのう」
あいつと僕を隔てるものは何なんだろう。素質ではないはずだ。
少なくともあいつだって僕と同じくらい無能だし、弱いし、小さな存在。
だが現状を見ろ。僕が教室のごく平凡な男子であり続けるのに対し、魔王の方は人気者の道をつっぱしっている。
目の前を凝視した時、僕は嫉妬の情がわき揚がるのを避けられなかった。
あんな奴に、僕は終始もてあそばれているのだ。
「我が歌声を――」
その途端、魔王の頭上で爆発が起きた。




