信じる心を、どこまでも
魔王と翔吾がいなくなったと聞いて、俺はさして何も感じなかった。
だろうな、という感想しか出てこない。咲がいよいよ錯乱してすすり泣いていたのに比べ、一何冷淡だろう。しかし、同時にある目的が心の奥底から芽生えてきたのである。
それは、今までの俺なら決して抱かなかったであろう感情。そして、抱くとしたならすぐに拒否してしまっていたであろう感情。
ずっと……こんな自分でいることが恥ずかしかった。恥じて、何もしなかった。
何もせずにいれば何もされないから。心地いいからではなく、変化することが怖かったからずっと、普通のモブみたいな奴を演じてきたのに。
「まさか吉田がやるなんて驚いたね! 絶対じっとしてるって思ってたのに」
「つい魔がさしたのさ」
「魔王様だけに!」
そんな処に、彼女が現れた。
これは、俺にとって予想外のことだ。彼女は雄弁に語り、威風に満ちて行動した。俺でさえも是非なく、彼女の行動に巻き込まれざるをえなかった。
誇大妄想が憑依いているのは確実だ。しかし、その所業に一切躊躇がなく、全てが本気で成していること、これも否定できない。
もう、空は黒に勝りつつあり、ただ地平に薄い赤色がなびいているばかり。
石垣のような雲が、闇の訪問をさらに重々しく照らし出す。
「答えなよ。本当は魔王様に感れてるんでしょ?」
三茅がひれで背中をぺちぺち敲いてくる。しかし、そんなもの気にならないくらい、俺の頭は冴ええていた。水面まぎはらう音さえぎりつつ、がなり立てるエンジン。
「俺が気にしてるのは、勝手にこいつを借りてきて可かったのかってことだ」
公部川を遡行する、とマギアは言っていた。翔吾はとても受付けない様子だったが。
さすがマギアとても、勝手に単独行動で迷惑かけることはあるまい――と信じていた。けれど、事態が窮ると、疑わなきゃいけない。
あいつらなら、本気でやりかねないのだと。
「何それ? まるで魔王様たちが心配じゃないみたいな言葉」
「安心しろ、ほんの少量だけな」
「でも、ボートの方が大切ってことは変わらないよ!」
無造作に生える林がどこまでも並ぶ中、小さな光が広がりつつある。
帯のように伸び、黄色い火が燃えている。野火なんかじゃない。誰かがつけた。
直感。
あいつらだ――過誤ない。
俺はかつて、どんな処にいようとも自分を抑圧してきた。自分の意見を言わず、ごまかすことでうまくやっていったのだ。
けどもう、自分一人の問題じゃない。命がかかってる。ここでも自分をごまかし、現状維持を保ち続ければ、俺はただのクズになっちまう。もう弁護の余地はどこにも。
「四人を助けに行くですって!!?」
この願いを聴いた朱音の顔色と言ったら。
目をしかめ、唇をかみ、とても察られたものじゃなかった。
「ただでさえ広くて危ない、それに暗い夜に? 冗談じゃない……」
「今のままじゃ何も変わらないから」
俺は、うなだれて、朱音の返事を待つ。後で考えれば何でもないことなのに、その時はどことなく世界が終わったかのような重圧。
「心配なんだ……俺は、何もせずにはいられない」
「四人もいなくなった。これは合宿そのものが廃止されるかもしれないのよ」
朱音にも朱音なりの立場。それはわかる。
「あなたが行って、何かがあったら? ……また誰かいなくなる。罪よ。何もすべきじゃない」
けど、もはや納得できない。
「あなたも、あなたの家族も、得をしない。それなのに?」
俺はほとんど気が動転したみたいになり、朱音の両肩をつかんで懇願。
「やってみなきゃ未知之じゃねえか! それに、もしかしたら魔王たちが二人を助けてるなんて可能性も――」
「じゃあ二人に期待しなさいな。どうしてあなただけが尽力る必要があるの」
朱音の言葉には、なぜか権威を感じてきた。その権威ゆえに、どれほどの行動を等閑に付してきたか。それを繰返せば。次は俺に何が残る?
「ちょっと放してよ。乱暴でもするつもり?」
「……俺は如く」
「は?」 朱音の目に浮かぶ感情は、軽蔑ではなくれっきとした恐怖。
「三茅を連れて行くよ。不足頼いかもしれないが、魔王のことを一番信じてるやつだ」
「ただでさえ魔王に惹かれてる変人なのに? ……いつからあんな女の手先に?」
時間がない。答える暇は許されてない。
「どうしようもないんだ。俺もかなり魔王に洗脳されてうらしい」
どうしてこんなに罪深いんだろう。翔吾の苦しみを黙って観ていた罪を赦してくれたのは、この方だったのに――。
でも残念だが、今だけは逆らわせてくれ。やばいと思ったが自己顕示欲を抑えきれなかった。
俺はハンドルを握りしめて、少しずつ右に傾けていく。機体が揺れ、体に重力が加わる。
「しっかり捕まってろよ」
「言われなくても!」
逢魔が時の森の岸べに、二人を乗せたボートが波をふきあげ疾走っていく。




