第三十七話「危機! 樹海で出会ったやべーやつ」
公部川が下流に向かっていく音が耳を絶えず刺激し続ける中、僕らは林の中を荒々しい足取で歩いていた。
あまり収穫と呼べるものもない。他にはひぐらしが甲斐なく鳴いて、時々高処で猿の叫び。
残念ながら僕は自然に対する審美眼を持ってはいない。そりゃ一瞬感動して我を忘れることもあろうが、同じ物を観続けるといつも飽きてしまう。別に自然がつまらないのではなく、要するに感性が鈍いのである。
「なあ、魔王、もう帰ろうぜ……」
とにかく、恐い。熊でも現れたらどうするのだろう。見通もきわめて悪い。葉で脚を切ってしまったらどうする。太ももが露出している魔王は特に。
「さすがに吉田たちが心配してるだろ。もう捜索を停止ってるかもわからん」
「何を。がけに行きつくまで進み続けるぞ!」
「あのなあ、ここは安全な場所じゃないんだぞ!」
僕がきつく言うと、魔王も回頭って険しい表情。
「我輩がおれば百人力じゃ。怖れることなど何もない」
こめかみに青筋立てて。
「二人どころか一人と半分だぞ……」
ひきつった笑いを僕。
正直言って魔王のこれは正気の沙汰ではない。米倉襲撃の際もそうだったが、未知の事象に対する探求心と臆病さの欠落という点で魔王は度を越している。
「あのな、叱られるどころの話じゃない! 僕らまで消息不明ってことになったらどうするよ!」
「我輩はな、一度気になったものはとことん追求めずにはいられない性格なのじゃ!」
「くそ……いくらなんでも、無茶が過ぎる」
僕はこれ以上言うべきこともない。魔王はのどを手荒く鳴らしつつ、さらに前へと進む。
木々の間はさらに狭くなり、闇が満ちていく。猿やせみが叫んでいる。時折、唾か糞尿が飛び散って僕らをかすめ。動じないマギア。
底抜けた集中力を心底恐ろしく感じた。
けれど、かえって目前の物に関心を保ち続けられない性格のためだろうか。
異変に気づき、僕は立ち止まった。
「勇者、どうした」
すぐさま魔王は絶える足音で、首を傾ける
「向こうから……何か聞こえる」
それは、すすり泣き、あるいはあえぐ息。
最初、動物だろうと思った。けど、にしては鋭さがない。
息の声は途絶気味に続き……感情が抜けていた。あるいは、おびえている。
「人の……?」
「待て」
僕は無理に魔王の口を制した。それから、息を殺しつつ、何が起こっているのか見極めようとした。
次に、また別の動物のいななきが響いた。
すると、猿が突然鳴罷、腕を伸ばして反対方向の樹に飛移っていった。
危険が迫ったわけでもないのに。
「え……おい……」
僕は、ただごとじゃないと感じて、眥を決して前方を注視。
茂みの後で、何かがうごめいている。どう察ても、このあたりに棲んでいる獣ではない。
「象?」 マギアの推測。
「そんなわけない。いや……もしかして……」
突然、二つの灯がともり、赤くぎらぎらと光りだす。黒い影が、どんよりと現れ。
確かに、大きそうな獣だ。右へゆっくりと歩きだす。長そうな脚を揚げ。
「近づくぞ」「うむ」
マギアも冷汗をたらしている。僕らの想像を越えた状況であることは間違ない。
僕は恐怖にすくみあがりながら、草をかき分けた。命がなくなってもおかしくない、と覚悟しながら。
一歩近づいていく内に、獣の正体が見えた。
まがまがしい光輝を六個の目から放つ巨大なくも。明らかに象よりも幅が広く、脚は何メートルもの距離に被覆さっている。
この時点で、僕は自分の目を疑っていた。だがそれ以上に目をみはったのは――
手を組合って、そこに震える岩井と小坂。
「は!? お前ら――」 僕は我を忘れ、うっかり叫んでしまった。
当惑。そして怒り。なぜ、僕らをこんな時に導いた?
だが、僕のしくじりゆえに、くもは此方に感知いてしまった。
「わあああ……!?」
くもは充血した目を瞋らせ、八本の脚の一を振上げ、頭上に。
「勇者! 避けよ!!」
マギアは僕の腕をつかんだ。
マギアごとその位置から飛びしさった。くもの脚が、地面を刺しつらぬき、砂塵を舞揚げる。
「何で……こんな化物が!」
平静を失った以上、もう声量の調節なんて。
「知るか! 我輩だって予想外じゃ!!」 僕よりもたかい叫びに狂うマギア。
くもは牙をぎちぎち鳴らしながら、どこに僕らが逃げたかとかんぐっている。
「あ、あの二人は!」
「自分の命が最重要じゃろ!?」
僕は魔王とともに陰に隠れようと草木の茂みに忍びこむ。
金属にも近い響きで鳴き、くもが再び脚をなぐ。
僕らの背後の樹に命中。たちまちひびを入れて折れ、頭の上から落ちかかる。
「倒れる!!」
魔王の手をにぎったまま、さらに奥へとのがれる。
直後、木がばきばきと叫びながら地面へ不作法にひざまずいた。
もう、生きた心地がしない。どうすればいいんだ。
「あ……」
そうだ。あれがあったぞ。
僕はポケットの中から杖を取りだした。普通は長いが、使わない時は縮めることができるのだ。
表面には幾何学的模様が放たれている。不可信さ半端ない代物。けれど、今はわらにもすがりたい。
魔王が気づき、気色ばんでいる。
「……何じゃ、それは?」 怒りとあきらめ。
「金髪の変なお姉さんからもらったんだ」
こんな時に順序よく説明する暇はない。
「いつか僕が危険に陥った時のために、ってね!」
遠くで、岩井がさけぶ。
「翔吾! 逃げろ!!」
温情ではなく、あくまで犠牲を減らすという打算から。
「よせ、勇者! 逃げるのじゃ、岩井の言葉に――」
マギアの眼からは涙が隕れている。もはや、誰かを見棄てることはやむをえないとばかりに。
「僕は、難儀なことをしてるんだよっ」
すでに黒い影が僕らの視界をさえぎっている。
くもの眼がいくつも赤く光って僕らの顔を照らしだしていた。何本もの牙と唾液の柱の一寸先、不思議な闇。だんだん、くもの口が広がりつつ。
「難儀じゃなきゃ男の道じゃない」
僕は魔王の言葉を打消すと、杖の尖端をくもの喉元に向け、ほとんど裏返った声で叫ぶ。
「炎よ、こいつの胃袋を回禄!」
何も起きない。魔王は崩落ち、誰かの名前を呼んでいる。
くもは充分に頭をもたげた後、食らいつこうと僕の頭に。
その時、火柱がほとばしり、くもの頭に勢いよく風穴をうがつ。




