二十七話「密会の少年少女、やがて尽きはつる共感」
「ど、どうしたの?」
急に恵の顔がひきつりだした。何か急用を思い出したみたいに、車椅子をこぎ、エレベーターへと走りだす。
「これ以上いるべきじゃないかなって」
僕は後ろから手すりをつかみ、恵を無理におしとどめる。
がちゃり、と音がして、恵は声をあげた。
「そんなことないよ。ただ……僕は……」 僕は何がしたい? これ以上この子と話して何か益が?
「翔吾くんを嫌いなわけじゃない。でも、ここにいちゃいけない気がするの」
「どうして?」 枯れた声だけ。
「私はまだ、誰も信じたわけじゃないから。魔王だって、そう」
恵の声は釈明しているようには聞こえなかった。疑いなく、恵の本音。
僕も理解できないわけではない。僕だって、魔王に強引につきあわされた時。
「私の心に横たわる闇は、深いんだよ」
何かに対する観念が僕に生じた。ひょっとしたら彼女にも共通するかもしれない観念が。
「……深くたっていいさ」
熟慮したわけでもなく告げた。
「僕だって魔王みたいに無邪気な人間にゃなれないからさ」
それから恵は数秒間考えこんでから、静かに返す。
「……ごめん。私も強情だよね」
エレベーターの前に進み、
「でも確かに、心を通じ合わせる人がいるなら、頼りたいよ……」
「僕だって同じだ。君なら、何か分かってくれると思ったんだけどな」
二人の間には、きっと厚い壁がある。その壁を通して、わずかな部分しか理解することができない。ほかの部分は正体不明の暗黒の吸いこまれてしまう。
それからは何も教えてくれなかった。
恵が帰って行った後で、僕は一層憂鬱で、そう簡単に晴れることのない気分に捕らわれたのである。
僕はたった一人で茶色い床の上、回りながら背を伸ばしたり腕を回したりした。特に理由はない。
こんな時間が一体いつまで続くのか……これで悩むだけで本当に人生畢っちまうんじゃないのか。
突然机の上、端末から電話が鳴り始める。
「魔王」
「おう! 今さっき恵からお主との会話のこと聞いたぞ」
あらためて魔王の声が底抜けに明るく、はりもいいことに驚く。僕は魔王みたいにすき通った声ではしゃべれやしない。
「うまく行かなかったな」
相手に自分の不甲斐なさを伝えねばならないことが腹立たしくてならない。
「恵は、お主になんとなく親近感を覚えたらしいのう。なんでも、」
「ああ。どっちも明るい性格じゃないからね」
魔王は、こんな二人をどういう風に察ているのだろう。馬鹿にしているはずはないとしても。
「我輩みたいに堂々ともの言える奴でないから、か。無論あやつにもあやつなりの事情はある」
「僕だってあいつのこと理解しきれてるわけじゃない」
「ならそれで、よいではないか?」
意外なまでに、魔王の言葉はあっさりとしている。僕は一瞬、それが魔王の能天気さに由来するものではないかと疑い、憤った。
「それでよいって――」
「似ているから、引かれあう時もある、離れあう時もある。それを決めるのはな、勇者よ、運なのじゃ!」
魔王が最後にぽんと出した言葉が、またもや僕を面食らわせる。
「運?」
「我輩だって三茅の苦しみを理解してやれずに、お互い離反しかけたこともある。三茅の後ろにある状況に気づいていなかったからじゃ。けれど、我輩たちはそれに気づいたことによって、三茅を救いおおせたのであろう?」
魔王はさばさばした口調で、自分の心の中をひけらかす。
「恵と我輩たちは相知って日も浅い。今はまだ分かりあえなくても、あきらめるには早すぎる」
僕だって、恵を理解しようとしたのだ。けれど断念した。ひょっとしたら、僕の投げたさじが末永く響くかもしれない。
このことを告げていいものかどうか?
「僕は……」
魔王を白けた気分にはさせたくない。それ以上に、僕自身の衝動が、僕を率直な思考をはばんでいる。
葛藤がぐるぐるする間にも、魔王はすでに別の話題を提示してきた。
「ああそうそう、我輩の方も大事件があってのう。三茅んちに行ってご家族に直談判してきた」
三茅だ。そう、魔王が最初に深く関わった、あの気乗しない少女が――どうした?
「な、何を?」
つい三茅の名が出てきたものだから僕もあわてて聞き直す。
「三茅が我輩にご家族に拝謁するよう申入れてきたのじゃ! 父上がたも実際我輩の顔を御覧にいれたことがないからのう! だから我輩もようやく重い腰上げて彼らにやってきたというわけじゃ」
あんな美貌で入って来ても普通に驚かれるだけじゃないのか?
疑う僕の心を予測していたかのように、
「うむうむ、我輩は魔王だからそのままでは威圧感を与えかねん。だから工夫をすることにした」
「どんな結論に?」
「サメの着ぐるみを着て現れたのじゃ! 我輩のオーラをやわらげるためにな」
僕はありったけの力で床にこけ、もんどりうつ。
本当に、普通の人間とは考えることが違う……どれほどのねじが外れてるのやら……。
僕はなんとか端末を把りしめつつ魔王の声に全神経。
「以前仮装のために買った着ぐるみなのじゃが、効果は絶大でな。三茅のご両親からは最初変な眼で見られたが、やがて我輩の魅力に打たれ話を聴く様子になってくださった」
あきれ過ぎて、逆に耳を傾けるほかなくなったのだろう。
「で、具体的に何を教えたんだ?」
「米倉のことは報した。三茅を使って我輩を近づけようとしたこともな」
意外とまともに語っていそうだな。
「理由については?」
「とりあえず、奴は我輩のことをも以前から追跡らっていたことも言った。奴が我輩の力を欲しておったこともな」
「米倉がお前のレシピを奪おうとしてたことか」
「いや、我輩から魔王としての権威を奪おうとしたのじゃ。我輩が魔王として学校にのりこんだのを危険視したからじゃ!」
だが、僕はもつっこむよりもまず、とっさの想起を尋ねてみる。
「指輪のことは? あの……吉田たちを操った謎の指輪」
「ああ……不思議なことじゃったな。さすがにあれについては忘れておった。ご家族の誤解を解くのに必死じゃったからのう」
「……やっぱり、僕はあの事件にもっと深い秘密があると思う」
だんだん低くなっていく声。息をひそめる魔王。
「あいつが何の裏も抱えてないとは思わない。だって、あの時の吉田たちは間違いなく正気じゃなかったし、そんなもんを持ってた米倉にも何かがあるはずなんだ」
無論、口にするわけにはいかない。
エリアーデからもらった魔法の杖。あの指輪が本物で、杖も本当に異世界の産物だとしたら。
いや、考えるなよ。そんなアニメみたいな非現実が顕現するわけないんだから。
だが――考えこまずにはいない。僕は、信じたくないだけなんじゃないか?
「で、三茅さんちは信じてくれたのか?」
魔王を心配させたくはない。
僕には、僕が抱えてる事情だけで十分だし。
「とりあえず、我輩が魔王であること、三茅にやむにやまれぬ事情があったことはお認めになってくれた」
自分を魔王と思いなしている女童は、
「ちなみに、サメの着ぐるみは三茅に下賜してやった。我輩が著るには小さくなっとったからのう」
けど、やっぱり僕は告げずにはいられなかった。
「お前、あまりに無邪気すぎるんだよ」
「何が、じゃ?」
魔王が避けたがるのだってわかるよ。でも。
「米倉の事件は……これで終わりか?」
「今、我輩は三茅の話をしておるのじゃ。我輩の心も浮立っておるしな。恵も、これからどんな風に変わっていくかと思うと楽しみでならないからのう」




