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九十一話「しばらくのお別れ」

「全て、終わったのよ」

 魔王が僕を見下ろして、語りかける。

 僕は茫然自失としていた。想像を越えたことの連続で、すでに頭は認識する力を失っていた。

 疲労のあまり、もう眠ってしまいそうだ。だがまだ、ここで気を失ってはいけない。

 そこにいたのは、偽マギアではなく、マギア・ユスティシアだった。

 

「ようやくこの世界から解放たれるわ。私が遺した禍根を一掃できたのだから」

 心底、安堵した表情を幼げな眉毛に浮かべる。

「マギア……様?」

 訊きたいことはたくさんあった。

「これで私は、安心して」

 なぜ、世界を融合する力を見つけたのか? それをサマエルが知った理由は? サマエルがその力を恵に与えた理由は……!? 急にても立ってもいられなくなり、僕は早口気味に叫ぼうとした。


 けど、全ては謎になった。マギアは急に倒れこんだ。

 僕は慌てて、彼女のか弱い体を抱えて、恵へ走寄ろうとした。

 しかし、何もかもが手遅れだった。一面の白が僕らを覆い、何もかも見えなくした。


 気づくと、そこは煙突の外だった。建物は相変わらず砕けたままだが、空にはあの恐怖まがまがしさはもうなく、ただ夕闇が広がっているだけだ。

 その下に、エリアーデたちがいた。

「やったのね、中村翔吾?」

 ほとんど達成感のない表情で、問いかける。

 僕は、うなずきさえせず、質問で返す。

「アレクサンデルさんは?」

 むすっとするエリアーデ。

「勇者様を診てる」

 僕はまたもや、返事しなかった。

 勝山恵のことを、彼女を眩惑かどわかしたサマエルのことを教えてあげる必要はない。

 こんな女と長く時間を共にしたくないし、もう、家に帰りたくてたまらないのだから。

「何だ、空しそうな顔。敵を倒したんでしょ? どんな奴だった?」

「普通の人間でしたよ!」

 ここに至って、不快感は極に。

 勝山恵のことなんて話した所で、エリアーデたちが同情してくれるはずはない。まして、僕は恵のことが好きだった。その気持を、こんな奴らに決して、知られたくはなかった。

 そんな矜持がどんなに身勝手だとしても。


 エリアーデはそんな思惑を露知らず。

「嘘ついて。私たちは見たのよ、闇を身にまとった何かが空高く君臨してるのをね。あれは人か……あるいは人を越えた何か、か」

 勝手なことを言うんじゃない。

 だが、そんな諍いにすら終焉が近づいていた。


「翔吾、あなた――」

 エリアーデたちの姿が、頭から足まで薄く光っていた。

「え? 何で、光ってるんですか?」

 僕は、ごく最初だけ戸惑ったがすぐに察した。


 異世界の融合が止まったのだ。そもそも、これまで世界は融合する途上にあった――それが逆に、引離されていっている。つまり、これは。


「二つの世界が別れ始めたのよ」

 さして何の感慨もなさそうに。

「これまで世界は融合する一方だった。だから私たちはお互いの世界を往来できたのよ。でももうその原因が消えた以上……私たちは、もう」

「二度と会えないってわけだ!」 アクエリアが楽しげに叫ぶ。

「こんな面倒な任務は二度と経験したくねえよ。何しろ何も分からん世界にいきなり」

「やめなさい、翔吾様が悲しそうな顔をしているわ」

 依然として、おせっかいなイグニスの諫。

 へえ、そうなのか。僕たちはもう一度二つの世界に分裂させられ、そこで暮らすことになる。

 顔を合わす時は二度とない。

「本当は、僕たち、お互いに顔を合わせる運命じゃなかったんですよね」

「当然よ。全て、今は亡き魔王の仕業だったのだから」

 そして、マギアもだ。……マギアも?

「まさか? ……我輩の体も!?」

 両腕を眺めまわして、狼狽する。

 確かに、マギアの体も淡い輪郭で覆われていた。

 粉雪のような光があたりに散っていた。


「あなたの体も、異世界人のものに由来しているからね。この世界に属するものじゃない」

 エリアーデは冷淡に真実を告げた。

「つまりあなたも、アルカディアに還るってことになるわね……」


「嫌じゃ! 我輩は、翔吾と一緒がいい!」

 マギアは錯乱した。

 大粒の涙をこぼしながら、

「だって、私! 翔吾のことが! 好きだから……!!」

 僕はがくんと殴られた気分になった。

 マギアはそんな風に僕を想っていたのか? 僕にとってマギアなんて、変人の一人、大事な存在でしかなかったのに。

 けどマギアにとって、僕は特別な存在だった。

 特別な存在でなきゃいけなかったのだ。

 自分がこの街で初めて会い、心を許したたった一人の人間なのだから。


 そこで両腕を地に突き、哭いた。

 こんなことになるなんて、考えもしていなかった。結局、マギアは異世界の人間なのだ。

「僕は……違うんだ……マギアを……」

 エリアーデは冷たく言放った。

「……あなたはあなたのまま過ごし続けなさい。私たちはあなたのことなんてすぐに忘れるだろうから」

 アクエリアが、それに続けて。

「……じゃあな! 私はお前のことで思いめぐらしたりしないから」

「私は忘れませんよ」 文句を言うみたいにイグニス。

 精霊たちの言葉など、何の慰めにもならない。

 マギアが僕にのしかかって、頭突をしかけてきた。ぶつかって、その頭が砂のように砕け散った。異世界人たちが、白い靄の向こうに消えていく。

 そこにもう、マギアはいなかった。エリアーデも、コンスタンティンも、今はすでに消え去って。


 誰もいなかった。

 僕は一人ぼっちになった。

 世界で、自分一人になってしまった。錯覚などではなく。

 僕が知らない世界が目の前に広がっていた。以前とは全く違う世界に


 電子音がどこかから聞こえる。

 決心の末に目を開くと、端末が鳴響いている。

 マギアの端末だ。向の世界には存在しないものだからそのままこちら側に残ったのだ。

 僕は反射的に端末を手に取り、電話に応じた。


「マギア!」

 吉田精一の叫び。

 何かを言おうとして立ちつくす僕。そのまま無言を保つと、あきれたように。

「何だ、翔吾か。……惜しい人間を失ったな! 俺はあいつの本心を何とかお前に明かそうと……」

 それ以上、吉田の話なんて聞いてなかった。マギアがいなくなったその時から、僕はもう、生きる価値を失った気分だった。

 もうその後、どうやって家に帰ったのかすら、あやふやなままだ。

 それから、もう何日も、虚無に満ちた時間が続いた……。


 ◇


 驚くほど、それからの日々は昔通りだった。

 全ては魔王がやってくる以前に戻されたのである。もちろん、誰もが何の抵抗もなくそんな状況を受け入れたわけじゃない。

 三茅と咲は驚くほど腑抜けた様子だった。魔王がいなかった時からずっと変わらない、朱音の真面目な様子が頼もしく思えた。


 僕は当然ながら、魔術を使うことはできなくなった。呪文を唱えたり、敵に立向かえたのか、まるで分からない。ある意味、精霊と契約したりして精神的におかしくなっていたのかもしれない。そのおかしさに慣切っていたからこそ、この錯覚が解けた時の虚脱感は半端なかった。

 誰も、僕に向かって勇者だのと呼んだりはしなかった。それが傷心の配慮だとしても、僕にはやはり一種の不満があった。

 勇者と呼ばれても、呼ばれなくても……僕には痛かった。

 魔王がいない世界がこれほど無残で、面白みもない場所だなんて、堪えられなかった。だがもっと堪えられなかったのは、他のみんなが魔王のいない教室に慣切ったことだ。他の奴らがどんどん普通になっていくのに比べ、僕はますます意気消沈とするし、そんな空気に適応できない自分自身をますます恥じるのだった。

 咲たちも結局は、魔王のいない世界に慣れていったように思う。それが普通の人間なんだ、と意いつつも、やはり心のどこかでは痛かったのだ。


 僕は気になって、恵について調べることにした。彼女が過去について言っていたことが本当なのかどうか……その過去が本当になって、できるだけ思出せる範囲で、過去の新聞記事とか雑誌を手あたり次第にあさった。どうやら勝山家は少し前は、ちょっとした資産家だったらしい。けど、昔から

 遺産相続での騒擾ごたごたがあってそれを契機きっかけに火事が起きて……小さな女の子だけが助出されて親戚の家に引取られた、云々……。

 どうやら、僕が思っていたよりも悲劇は遥かに複雑な様相を呈していた。それを語ろうものなら、また別の文章をこしらえ揚げなきゃいけないほどだ。


 僕は正直言って、絶望を感じた。恵の他にも色んな人間の名前が出てきて、それについて調べなければならないとなると、

「勝山恵は……実在したんだな」

 ちなみにこの調査に協力してくれたのは吉田だ。

「マギア・ユスティシアがいたのは覚えてるが、そいつにどんな友達がいたかなんて」

 人間の記憶とは非情なもので、吉田はもうマギアに関する話題を口にしなくなっていたし、僕がそいつについて話しだしても、『そんな奴いたな……』程度のごくそっけない反応しかしてくれない。

 けれど僕が本気で自分の関心を打明けると、その深刻な理解してくれた。

「ああ。まさか……そんな奴に、お前が近づいてたってのか」

「僕はもしかしたら、あいつの過去をちゃんと知っておくべきだったんだ。あいつと」

 久々にぶりかえす悔恨。彼女の本性を知ってしまったあの時が、罪悪感を持って迫ってくる。誰も気にしない、闇に隠れた物語が、僕にとっては価値観を左右する問題なのだから。


「でも、やっぱりそうなる他はなかったのかもな」

 吉田の言葉は、過酷なまでに素直。

「サマエルが世界融合という暴挙に出て、それをお前らがぎりぎりまで伸ばしてくれたおかげで、そんな性悪堕天使が裁きを受けたんだろ? もし恵があいつの話に乗せられなかったら今頃、この世界は……」

「僕は、恵を生きながらえさせたかったんだ!」

 叫ぶ僕。

「僕はあいつが好きだったんだよ。あいつがもう一度生まれ変われるのなら、自分の命を投擲なげうっても惜しくない」

 世界の命運なんて、一人の命の前にささいな問題だった。少なくともこの中村翔吾にとっては。

 僕はそれ以上、何も言えなかった。

「今さら恵のことを後悔したって何も生まれない」

 吉田は面倒くさそうに手を振る。

「俺はな、過去に縛られるつもりはないんだ。だからお前もいい加減、目覚めろ。未来については希望しか存在しないんだから」

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