最終話「別際のあいさつ」
僕は、今まで、自分の体験を同級生以外の誰にも話したことがない。自慢できる話ではさらさらないからだ。僕自身そんなに特徴のある人間ではないからこれ以外に語れそうな話題に困ってはいる。これは今の僕の根幹を成している事実ではあると同時に、誰にも言いたくないことなのだ。
だが自分なりにこの体験の決着はつけたかった。
恵が遺した遺産から眼をそむけようと、あの場所を訪れることにした。すなわち、魔王が交通事故に遭った場所をこの目で察ようとしたのだ。
本当に、ここ数ヶ月の間僕の身に起きた事件を確めたかった。幻覚なんかじゃなくて、本当の記憶なのかどうか知るために。
事実、僕が経験した『全て』は、この世界から消滅しかかっていた。
マギアが映っていた写真はことごとく消えてしまったし、世界融合に使われたゴミ処理場は閉鎖され、数年後には取壊されている。魔王のことを知っていた奴らも、段々魔王のことを語らなくなり、一度そのことについて訊いてみたらほとんど覚えていなかった。サマエルを連去った天使たちがそういう風に世界を仕向けたのだろう、と推測してはいるけど、僕たちの記憶まで奪わなかったのは一体どういうことだ?
ずっと気になって仕方がない。
魔王が死んだその位置が正確にどこか知っているわけではなかったけれど、吉田の話から大体はつかめた。よく人目につく場所で、コンビニやレストランが左右に広がっている。異世界からやって来た一人の女性が、誰からも記憶されることなくトラックに轢かれ、死んだ。それが僕たちのあの壮絶な体験の幕開だったんだ。だがこれも天使たちの作為か、実感がどうしても。
それでも道路に面した歩道で、僕は彼女を見た。
無言で、背をかがめながら立ちすくんで。
それは確かに、僕の見知っているあの子その物だ。
マギアはアルカディアに連去られたのではないのか? もう僕たちとは永遠に別れてしまったのではないのか? という素朴な疑問は抱かなかった。
僕が最初に会った彼女は元々、普通の女の子だった。
「ここが、マギア・ユスティシアの死んだ場所だったんだな」
僕はさして感情を出さずに語りかける。
本当はマギアの家にまで殴りこむつもりでいたのだが、ためらうことにした。何しろ、彼女の家族は僕のことなんてさっぱり知らないはずだし。
「感動の再会なんて趣味じゃないけど。でも、ちょっとくらい学校に顔を見せた方が良いんじゃないか?」
「あんたに、何が分かる」
マギアは喧嘩を売る声で言った。
「僕らが経験したことは、嘘なんかじゃない」
その肩をつかむべきか迷う。
「マギア・ユスティシアは実在した! 勝山恵も本当にいた存在だったんだ! でも……もう僕らの前から姿を消した。永遠に彼らの名前は忘去られてしまった。でも僕らは知ってるんだよ!!」
少女がこちらを振り向こうともせずに、頑なな態度。
「なあ、マギア――」
「そんな名前で私を呼ぶな!!」
少女はすごい剣幕で僕を睥睨えた。僕は立ちすくんだ。
「もう私は……魔王なんかじゃない」
もう髪の毛も黒く、瞳も茶色だが、その丸い顔、背の低い姿はまさにマギアそのものだ。
自分でも、恥ずかしすぎる。どうして今さらこんな記憶を掘りだすんだ。
感動よりも困惑の方が優先した。もう僕はマギアや勝山恵との記憶を過去に葬去りたくてたまらなかったのに。
「すまないが、僕はお前の本名を知らないからな」 嫌味をこめて。
嫌そうなマギア。
「あんた、私がこの世から消えたってばかり思ってたでしょ? なんで冷静でいられるわけ?」
「それが分からない位僕も頑固じゃないよ」
理由については推察はつく。というより、希望的な推測ではあったのだが。
「お前の魂そのものは、この世界のものだからさ。マギアから移された部分は異世界の存在だったからその消えて亡くなったよ。つまり、全ては元に戻ったってわけさ」
異世界との交通が断絶した以上、そこから魔王としての外形が取去られたにすぎないのだ。
そうでなければ今頃マギアの両親から学校の方に連絡があったに違いない。何しろ、あんな振舞を許していた位親ばかだったそうだし。いや、二人のことなんて茅の外。
「なんで、学校に姿を現さないんだ?」
それよりの疑問を口にすると、魔王は肩をすくめ、
「こんな姿になった私を、みんなが受入れてくれると思う?」
僕の顔を見すえることすら嫌そうな声。
「どうせ……私に失望していじめるに決まってる。情が薄いってわけでもないけど」
偽マギアの本性は、驚くほど暗い人間だ。僕が初めて会った時もこんな感じだった。
無理をして、破天荒な魔王を演じてきた。破天荒ぶりが大きくなればなるほど、その反動も大きい。
「だと思うよ。誰もお前を心の中から信じる奴なんていない」
本当はそうでもないかもしれない。多分、魔王がどんな姿になっても、追跡てくれる人はいるかもしれない。
けど、僕自身が明るい人間ではないのだ。僕は魔王にいらない希望を抱かせたくはなかった。マギアが魔王であった時でさえ、こいつは自分の内面に干渉されることなんて好まなかった。本名を呼ばれるのを、死ぬほど嫌っていたように。
「僕は魔王を演じるお前しか知らない。今の僕にとってお前はただの根暗で、おまけに学校に行きもしない引きこもりだよ」
「そうやって、私を嫌う。だからみんなに会うのを避けてたのに」
下から見上げるように白い目つきをした。
それからはかなり長い間沈黙があった。通りかかる人間は会話に全く無関心だった。
「私ね、転校するの」
転校。つまり、会えなくなってしまうということ。別れ。
聞いてなかった言葉に、驚いて僕は声を荒げ、胸倉をつかむ。
「それを、どうして教えてくれなかったんだ!」
教えてやる道理はない、とでも叫ぶかのように。異世界の別れなら、まだ諦めはつく。だが、生きたまま別れるなんて、諦めようがない。
せめてどこに行くのかとか、連絡先とか聞きだそうとして、彼女は遮る。
「私ね、あんたのことが好きでも何でもないんだから! もうこんな街なんて離れたくて、仕方がない!」
急に鋭く心が痛んで、僕はマギアから手を離した。
段々、自分が青い人間なんだな、という当然の事実に、もはやマギアを引留めたい欲は衰えてしまう。だから、心のどこかが、まだ飽きないようだ。
「僕のことを好きって言ったじゃないか」
「あ、あれは自分が消えてしまうんじゃないと錯乱してただけだから!」
マギアは頬を赤らめていた。どう見ても怒っている。
そこに、あの快活な魔王の面影がうかがえた。また、僕は未練が湧いてきた。
「それよりさ、恵のことはもう忘れたわけ? なんで私の」
ますます、痛い所を突いて行く。こういう点ばかりは前の
「あいつのことは好きだよ! でも、今は……忘れていたい」
僕の顔を眺めながら自分のことを諦めたあの瞬間から、恵の姿を見ていない。
きっと、天使たちはあんな堕天使の誘いに乗った人間を許してはやらなかったのだろう。その姿は、みんなの記憶ごと消去ってしまったのだろうか。
けどぶり返しそうになった懊悩を弾いたのもまたマギアだった。
「……もういいよ。どうせあんたの顔を視るのもあともう少しなんだからね。もう引越の準備はできてる。メアドも変えてるから、電話しても無駄」
マギアはそっぽを向き、家路に向かおうと。
このままじゃいけない。僕は、ちゃんとこの物語を完結させなきゃいけない。
だから、こう言うことにした。
「もしその時が来たら、駅で見送るよ」 してあげたい、というより、そうしたかった。
「……何それ? 何か気どってるわけ?」 マギアは、ますます嫌な顔を創ろうとした。
「別に。ただ、そうしなきゃ後ろめたいからさ」
何をかっこいいこと言ってるんだ、と自分につっこみながらも、自分の善意に従ってそそくさと歩寄る。
僕はマギアの頭をなでながら静かにその肩を抱いた。
涙を浮かべつつ、ますます気色ばんだ顔でまくし立てて。
「なら勝手にしてよ。でも私はもうあなたに絶対優しくしてあげないんだから。父さんと母さんがいる前だってあっ……あっかんべーしてやるんだから!」




