第10話 それは、ついてきた
第10話|それは、ついてきた
森の奥深く。
人の通る道から外れた場所を、二つの人影が歩いていた。二人とも顔が分からないよう、深くフードをかぶっている。
下っ端A:「この辺りでいい。魔石を捨てておけ」
下っ端B:「わかりました」
下っ端Bが袋から一つの魔石を取り出す。
下っ端B:「魔石はどうなるのですか?」
下っ端A:「森の魔物が食べることで強化される。魔族領の森で暴れさせて、魔族側がどう対処するのかを観察したいと言う上からの命令だ」
下っ端B:「なるほど……」
下っ端Bが魔石を草むらへ放り投げる。
ころころ、と転がった魔石が木の根元で止まった。
下っ端A:「魔物が魔石を摂取したかどうか、魔族側の動向を確認して報告してくれ」
下っ端B:「了解しました」
二人はその場から離れていく。
しばらくして――。
ガサッ。
茂みから、一頭のグリーンボアが現れた。
大きな鼻を動かしながら地面を探る。やがて魔石を見つけると、迷うことなく口へ入れた。
バキッ。
硬い魔石が牙の間で砕ける。
バキ、バキッ――。
「グッ……グルルルル……!」
グリーンボアの身体が震え始めた。
筋肉が膨張する。脚が太くなり、牙がさらに長く伸びていく。
周囲の草木を踏み潰しながら、巨体が一回り、二回りと大きくなる。
「グォォォォォッ!!」
森を震わせる咆哮。
そして――。
世界が、その魔物の名を書き換えた。
**《ド・グリーンボア》**
この一帯のエリアボスへと昇格した魔物は、木々をなぎ倒しながら森の奥へ消えていった。
◇
――約一か月後。
兎人族の集落。
数家族が暮らす、小さな村だった。
子供たちが走り回り、大人たちは仕事をしている。いつもと変わらない一日が終わろうとしていた。
兎人族の男:「そろそろ中に入れー!」
兎人族の子供:「はーい!」
その時。
一人の兎人族が長い耳を動かした。
兎人族の男:「……?」
遠くから何か聞こえる。
ズン。
兎人族の男:「なんだ……?」
ズン。
今度は地面まで揺れた。
森から鳥たちが一斉に飛び立つ。
兎人族の男:「みんな、家に――」
**ドゴォォォン!!**
集落を囲んでいた柵が吹き飛んだ。
砕けた木片の向こうから、巨大な魔物が現れる。
長い牙。
異常に発達した巨体。
**《ド・グリーンボア》**
兎人族の男:「グリーンボア……!?」
兎人族の女:「で、でも……大きすぎる!」
ド・グリーンボアが前脚で地面を掻く。
兎人族の男:「戦える者は武器を持て! 子供を逃がせ!」
弓が構えられる。
ヒュッ!
矢が刺さる。
二本、三本。
だが、分厚い皮膚を浅く傷つけただけだった。
ド・グリーンボアが走り出す。
兎人族の男:「避けろ!!」
**ズドォン!!**
別の男が槍を構える。
兎人族の男:「こっちだ!」
突き出された槍を――。
バキッ!
牙がへし折る。
次の瞬間、悲鳴が上がる。
兎人族の母:「走って! 振り返らないで!」
子供を逃がそうとする母親。
地面に落ちる籠。
散らばる食べ物。
血の臭いに集まってきた他の魔物達。
倒れた者へ近づく影。
そして集落の中央で――。
「グォォォォォォッ!!」
ド・グリーンボアの咆哮が響き渡った。
◇
――それから2週間後。
森に囲まれた一本道を、猫族の男たちが歩いていた。
兎人族の集落との定期取引。
いつもの道。
いつもの距離。
だが――。
猫族の男A:「……おかしくないか?」
猫族の男B:「ああ」
人の声がしない。
集落へ近づくにつれて、二人の足が遅くなる。
やがて森を抜け――。
二人とも立ち止まった。
猫族の男A:「……なんだよ、これ」
柵は倒れている。
家々は潰れ、屋根には穴が開いている。道には雑草が伸び始めていた。
人が生活していた場所が、わずか数週間で森に呑み込まれ始めている。
猫族の男B:「おーい!」
返事はない。
猫族の男A:「誰かいないのか!」
奥へ進む。
壊れた家。
乾いた血の跡。
引きずられたような痕。
猫族の男B:「……」
その時。
ガタッ。
二人が武器を構える。
崩れかけた家の陰から、小さな耳が見えた。
兎人族の子供:「……っ」
痩せた子供。
服は汚れ、頬もこけている。
猫族の男A:「子供……!」
さらに奥から人影が出てくる。
一人。
二人。
三人――。
猫族の男B:「生き残りがいるぞ!」
集落に残っていたのは、十人。
大人が二人。
青少年が二人。
そして――子供が六人。
かつて30人近くが暮らしていた集落で、生き残っていたのはそれだけだった。
◇
猫族の村。
知らせを受けたバルガが立ち上がる。
バルガ:「十人だけだと?」
猫族の男A:「ああ。ほかは……見つからなかった」
周囲の猫族たちがざわめく。
猫族の女:「30人以上いた村でしょう……?」
猫族の男:「何が襲ったんだ?」
猫族の男A:「生き残りの話じゃ、巨大なグリーンボアらしい」
猫族の男:「グリーンボア一頭に……?」
誰もすぐには信じられない。
シロネも少し離れた場所から話を聞いていた。
レオ:「シロネ……」
シロネ:「うん」
普通のグリーンボアなら、危険ではある。
シロネたちも今まで避けてきた相手だ。
だが一頭で集落一つをここまで壊す?
シロネ:(何かがおかしい)
バルガ:「生き残りは?」
猫族の男B:「歩ける状態じゃない奴もいる。今、こっちへ運んでる」
バルガ:「全員連れてこい。空いている場所を使わせる」
周囲の大人たちが動き始める。
バルガ:「それと、村の守りを固めるぞ」
猫族の男:「こっちにも来ると?」
バルガ:「来ない保証がどこにある」
その言葉に、シロネの耳がぴくりと動いた。
シロネ:(同じ考え)
◇
その日から、猫族の村は慌ただしくなった。
壊れかけた柵を直す。
入口を補強する。
武器を確認する。
見張りを増やす。
戦えない者が逃げ込める場所も決めておく。
大人たちが村全体の防衛を進める中――シロネも地面へ枝で線を引いていた。
レオ:「ここが村か?」
シロネ:「うん。森から来るなら、この辺」
カイルがしゃがみ込む。
カイル:「道は?」
シロネ:「一つに決めない」
枝で別の線を引く。
シロネ:「こっちから来るかもしれないし、裏から回るかもしれない」
レオ:「じゃあ、どうすんだ?」
シロネ:「来てから考えるんじゃ遅いから、先に使える場所を作る」
三人で森へ入る。
シロネ:「《索敵》」
周囲を確認。
罠を作る場所を選ぶ。
土を掘る。
深さを確保し、底へ削って尖らせた木杭を仕込む。
その上を枝葉で隠す。
**《罠設置》。**
カイル:「これ、あいつ落ちるか?」
シロネ:「分からない」
レオ:「分からないのかよ」
シロネ:「大きさも正確には分からないから」
シロネは別の場所を見る。
シロネ:「だから、これだけで倒そうとしない」
次は石。
カイルが投げやすい大きさを選んで集める。
低級ポーション。
《しびれ薬》。
《毒薬(中)》。
必要なものを確認していく。
シロネ:「短剣も二本、武器庫から取ってきた。」
レオ:「俺とカイルの?」
シロネ:「うん」
さらに餌として使える獲物も確保する。
レオ:「ずいぶん準備するんだな」
シロネ:「相手が分からないからね」
カイル:「全部使うのか?」
シロネ:「必要なら」
シロネは森を見る。
シロネ:「一個失敗しただけで終わる作戦にはしないよ」
◇
数日後。
兎人族の生存者たちが、猫族の村へ到着した。
十人。
大人二人。
青少年二人。
子供六人。
誰も元気とは言えない。
怪我をしている者。
痩せている者。
歩くことすら難しく、大人に支えられている子供もいる。
猫族の女:「こっちへ。食べられる?」
兎人族の子供:「……うん」
温かい食事が渡される。
小さな手が器を受け取る。
一口。
二口。
急いで食べようとして咳き込む。
猫族の女:「ゆっくりでいいよ。まだあるから」
兎人族の子供:「……まだ、ある?」
猫族の女:「あるよ」
子供の目から涙が落ちた。
少し離れた場所で、シロネがその様子を見ていた。
隣にはミア。
ミア:「おねーちゃん……」
シロネ:「……うん」
ミアがシロネの服を握る。
シロネはその手に、自分の手を重ねた。
兎人族の大人:「……ありがとうございます」
バルガ:「礼はいい。今は休め」
兎人族の大人:「でも、俺たちが来たせいで――」
バルガ:「生きてる奴を放っておけるか」
兎人族の大人は何も言えなくなり、深く頭を下げた。
その夜。
久しぶりに屋根のある場所で眠る兎人族たち。
猫族の村にも、少しだけ静けさが戻っていた。
◇
翌日。
シロネは村の端で、仕掛けた場所をもう一度確認していた。
シロネ:「……こっちは大丈夫」
罠。
薬。
誘導路。
まだ足りないところを考える。
その時。
シロネの耳が動いた。
ピクッ。
シロネ:「……?」
何か。
《索敵》。
遠い。
だが――大きい。
シロネ:「なっ……」
反応が一つ。
なのに妙に強い。
次の瞬間。
**ズン。**
地面が揺れた。
シロネ:「……」
**ズン。**
鳥が森から一斉に飛び立つ。
村の見張りが叫んだ。
猫族の見張り:「魔物だ!!」
シロネが走る。
レオ:「シロネ!」
カイル:「何が来た!?」
三人が村の入口へ向かう。
森の木々が揺れる。
バキッ。
一本倒れる。
さらに一本。
そして――。
巨大な影が姿を現した。
兎人族の大人:「……っ!」
その場にいた兎人族の顔から血の気が引く。
兎人族の子供:「いや……」
震える。
兎人族の大人:「あいつだ……」
バルガ:「何?」
兎人族の大人:「あいつが……俺たちの村を……!」
シロネ:「《鑑定》」
情報が表示される。
シロネの目が見開かれた。
**《ド・グリーンボア》**
シロネ:「なっ!?」
レオ:「どうした!?」
シロネ:(ド・……!?)
知っている。
ゲームにも存在した、特殊な名称。
通常個体ではない。
一定条件を満たし、その地域の頂点へ到達した魔物。
シロネ:(エリアボスに昇格してる……!)
でも。
シロネはド・グリーンボアを見る。
そして、怯える兎人族たちを見る。
シロネ:(なんでここに?)
兎人族が猫族の村へ到着して、まだそれほど経っていない。
なのに――。
シロネ:「……まさか」
臭い。
足跡。
移動した生存者たち。
シロネ:(追ってきた……?)
「グォォォォォォォ!!」
咆哮が村を震わせた。
◇
バルガ:「戦える者は前へ! ほかは避難しろ!」
村が一斉に動き出す。
猫族の女:「子供たち、こっち!」
リナ:「ミア、離れちゃダメよ!」
ミア:「おねーちゃん!」
ミアが振り返る。
シロネ:「大丈夫。お母さんと行って」
リナがミアを連れて避難する。
レオはその場に残ろうとするが、シロネが腕を掴んだ。
レオ:「何すんだよ!」
シロネ:「まだ」
レオ:「でも親父が!」
前方では、トルクが槍を握っていた。
バルガを中心に、猫族の大人たちが横一列に並ぶ。
バルガ:「村に入れるな!」
ド・グリーンボアが突進。
猫族の男:「来るぞ!!」
槍を構える。
一斉に突く。
**ガッ!!**
穂先が皮膚へ刺さる。
だが――浅い。
猫族の男:「硬っ――!」
ド・グリーンボアは止まらない。
バルガ:「離れろ!」
**ドゴォン!!**
大人たちが左右へ飛ぶ。
一人が間に合わない。
トルク:「危ない!」
トルクが横から突き飛ばす。
直後、牙がトルクの脇をかすめた。
トルク:「ぐっ……!」
レオ:「親父!」
シロネ:「レオ!」
飛び出しかけたレオが止まる。
シロネ:「まだ行っちゃダメ」
レオ:「でも!」
シロネも歯を食いしばっていた。
行きたい。
でも今、何も考えず突っ込めば――。
シロネ:(死ぬ)
ド・グリーンボアが村へ侵入する。
**バキバキバキッ!!**
家の壁が崩れた。
別の大人が槍で横腹を突く。
猫族の男:「こっち向け!」
ド・グリーンボアが振り向く。
猫族の男:「がっ!」
身体が地面を転がる。
猫族の男:「ぐ……!」
腕から血が流れる。
それでも別の大人が前へ出る。
猫族の男:「村の外へ出せ!」
大人たちは戦っていた。
倒せなくても。
傷ついても。
後ろにいる家族へ行かせないために。
だが――。
ド・グリーンボアが鼻を動かした。
「フンッ……フンッ……」
向きを変える。
バルガ:「……?」
その先。
保存食を蓄えている建物。
シロネ:「あっ」
**ドゴォン!!**
壁を突き破った。
干した魚。
保存肉。
穀物。
冬や不漁に備えて、少しずつ蓄えてきた食料。
それを――。
バリッ。
むしゃ。
バリバリッ。
ド・グリーンボアが食い荒らしていく。
猫族の男:「やめろ!!」
槍を突き立てる。
怒ったド・グリーンボアが振り向く。
**ドンッ!**
また一人、吹き飛ぶ。
カイル:「……強すぎる」
レオ:「くそっ……!」
シロネは黙って見ていた。
壊された柵。
潰された家。
血を流す大人たち。
食い荒らされる保存食。
トルクも再び槍を構えている。
バルガ:「まだだ! 追い出せ!!」
大人たちが立ち上がる。
でも。
シロネには分かってしまった。
このまま続けても――。
シロネ:(追い出せない)
力で押し返そうとしても止まらない。
槍も浅い。
大人たちは一人ずつ傷ついていく。
このままでは、村を守る側から先に潰される。
シロネは腰の短剣へ手を伸ばした。
レオがそれに気づく。
レオ:「……シロネ?」
シロネ:「レオ」
シロネはド・グリーンボアから目を離さない。
レオ:「……おう」
シロネ:「カイル」
カイル:「……いつでもいける」
十か月。
三人で狩った。
失敗した。
逃げた。
罠を作った。
獲物を追った。
何度も役割を変えながら、自分たちなりの戦い方を作ってきた。
相手は格上。
正面からでは勝てない。
だから――。
正面から戦わなければいい。
シロネが短剣を抜く。
**シロネ:「私たちも戦う」**
**第10話 終**




