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営みの地平、人々の岸辺 〜ひとつの井戸から広がる物語〜  作者: 一個二個三個
第二章 流行病

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第29話 下火

 一週間が過ぎた。

 領主館の執務室には、各地から届いた報告書が並んでいた。


 アルヴァンは一枚ずつ目を通していく。

 以前なら、報告書を開くたびに新たな問題が出てきた。

 新しい発症者。別の集落での発生。治療を待つ者の増加。

 だが、今は少し違う。


「こちらも減ってきています」


 エリオットが報告書を確認しながら言った。


「新たな発症者の数が?」

「はい。完全になくなったわけではありません。ただ、どの村も先週までとは明らかに違います」


 アルヴァンは次の報告書を手に取った。


 食事の前や、病人の世話をした後に手を洗うこと。

 水を煮沸すること。

 病人の世話をする者を絞ること。

 症状が出た者を隠さないこと。


 アルヴァンが各村へ出した指示は、どれも特別なものではなかった。

 それでも、村人たちは少しずつ守るようになっていた。


 最初は面倒がる者もいた。水や薪を余計に使うことを嫌がる者もいた。

 だが、病人が増え続けていた時には、そんなことを言っている余裕もなかった。

 今では、以前よりも気をつける者が増えている。


「ベルク村は?」

「新たな発症者は、まだいます」


 エリオットが答える。


「ただ、数はかなり減っています」

「重症者は?」

「新しく重症になる者も減っています。治癒術師の方々が治療を続けていますので、今いる患者についても順番に対応できているようです」


 アルヴァンは頷いた。

 病気が消えたわけではない。だが、新しく増える人数よりも、治療を終える人数の方が多くなっていけば、いずれは終わる。

 そこまでようやく見えてきた。


     *


 ベルク村。

 集会所では、以前ほど慌ただしい声が飛び交わなくなっていた。


「次の方をお願いします」


 セレネが声をかけ、運ばれてきた患者を診る。

 以前なら、一人を診ている間にも次の患者が運び込まれていた。治療を終える前に、新たな患者が増える。そんな状態が続いていた。

 今は違う。

 患者はまだいる。治療も続いている。それでも、次の患者が来るまでにわずかな間ができるようになっていた。


「少し、落ち着いてきましたね」


 隣で治療をしていた治癒術師が言った。

 セレネは患者の様子を確認しながら頷く。


「そうですね」


 だが、喜びすぎることはしなかった。


「まだ治療が必要な人はたくさんいます」

「分かっています」


 それでも、その言葉には、以前とは違う響きがあった。

 目の前にいる患者を治していけばいい。治療しているそばから、新しい患者が押し寄せてくるのではない。今なら、そう思える。


 セレネは患者へ治癒術を施した。

 少しずつ。一人ずつ。

 このまま続けば、終わりが見えてくる。そんな感覚が、ようやく訪れていた。


     *


 村の外でも変化はあった。

 魔物の発生数そのものは減っていない。

 山から下りてくる魔物。森の中で確認される魔物。街道沿いに姿を見せる魔物。

 領内では、相変わらず多かった。

 ただ、それに対応する冒険者たちもいる。


「また出たらしいぞ」

「今度はどこだ?」

「北の街道だ」


 報せを聞いた冒険者たちが動く。

 誰かが討伐し、別の誰かが別の場所へ向かう。

 一つの場所を完全に片付けても、しばらくすれば別の場所でまた姿を現す。

 それでも、放置される時間は以前より短くなっていた。

 魔物の数そのものは多い。だが、人の暮らす場所へ被害が及ばないよう、冒険者たちが動き続けている。


     *


 そして、ベルク村近郊の集落。

 ラウルたちも、山裾での活動を続けていた。


 領軍の規模は小さい。山全体をどうにかすることなどできない。

 だから、以前と同じように、集落へ近い場所を中心に見回る。

 痕跡があれば追う。魔物を見つければ討伐する。危険が大きければ無理をせず引く。それを繰り返していた。

 山の奥には、まだ魔物がいる。数も多い。

 異常な発生そのものが収まった様子はない。

 それでも、集落のすぐ近くまで下りてくる魔物については、以前より少なくなっていた。


 原因は分からないままだ。

 だが、今はそれを調べるために兵を増やすこともできない。

 できる範囲で減らす。それだけだ。


     *


 夕方、領主館。

 アルヴァンは最後の報告書を閉じた。


「今のところ、大きな再発はありません」


 エリオットが言う。


「小さな発症は?」

「まだあります。別の村で一人、二人といった報告は続いています」

「そうか」

「ただ、以前のように一つの場所から一気に増えることはなくなっています」


 アルヴァンはしばらく黙っていた。


 それが何によるものなのか。

 この世界では、確かめる方法はない。

 衛生に気をつけるよう命じた。

 その後、新しい発症者が減った。

 事実として分かるのは、それだけだ。


 命令が効いたのか。別の要因があったのか。偶然だったのか。それを証明することはできない。

 それでも、やるべきことは変わらない。


「各村への指示も、治療も、討伐もこのまま続けるよう」

「承知しました」


 アルヴァンは窓の外を見る。


 病気はまだ残っている。魔物も減っていない。領地が元通りになったわけでもない。

 それでも、一週間前とは違っていた。


 新たな患者は少しずつ減っている。

 治療する側にも、わずかな余裕が戻ってきている。

 今いる患者を治していけばいい。そう考えられるところまで来た。


 まだ油断はできない。

 だが、終息という言葉を考えてもいいところまで、ようやく来たのだった。

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