田園調布が戸越銀座の軍門に下る日
「よかったら、コサツモデル、やりませんか? 安易にお金になって、おいしいですよ?」
「えっ、コサツ?」
ちょっとおつむのあおったかい新橋のスナックの娘、佐藤真奈が、大人から見るとまあ、それはそれはいけすかない感じ、油断もなにもあったもんじゃない、ただのチンピラの客引きに声を掛けられたのは、池袋の西口に広がる繁華街も繁華街、そのなかでも若者がよく集うロサ会館前でだった。
なんで新橋でとれた娘が池袋くんだりまで足を運んだか、といえば、池袋ウエストゲートパーク奥にある東京芸術劇場でクラシックの演奏会を聴きに来るためだった。やっとすずしくなって、外に出歩いてもいいかな、という季節になってきた。となると、今度は急に肌寒くなってくる。今年は特に気候の変動がすさまじい。ただ、人は、どうしたわけか、うすら寒くなると、妙にブラームスを聴きたくなるのだ。たとえば、交響曲第三番第三楽章。あの、一度耳にしたら絶対に忘れられない、切なくも悲しい感情を掻き立ててくれる管弦楽。ブラームスの生まれ育ったのは、ドイツ北部の港町ハンブルクだが、真冬に行ってみるとわかる。どうしてこんな陰鬱なのに魅力的な旋律を編み出したのかを。岸壁近くの飲み屋でコーヒーをすすり、かもめが飛んでいるのを独り眺めていると、とたんにおセンチになって、旅情を掻き立てる。
佐藤真奈は小さいころからピアノを習っていて、それが性に合っていたのだろう。中学生まで続けた。しかし、学校の勉強も、軟式テニスの部活も、といろいろ忙しくなってきて、練習もさぼり気味になり、いつの間にか、やめてしまった。母親も、「ウチは、そんなお金持ちじゃないから」と口にしていた通り、音大に行かせてあげるほどの余裕があったか、といえば、心もとなかった。無理すれば、というところで、無理したって、この世界、大成する確率などゼロに等しい。だったら、別の分野を勉強して、人としての幅を広げたほうが、娘のためになるだろうとも頭の中で常々考えていたことだ。
こころの優しかった佐藤真奈は、なにか落ち込んだりすることがあると、家にあったクラシックのレコードやCDをかけては、自分の気持ちをなぐさめた。それでこの日も、久しぶりに池袋にやってきたのだ。
ただ、コンサートを聴いてそのまま帰宅するのも芸がないから、と西口一番街に足を踏み入れてみた。すると、うわさに聞いていた果物屋がたしかにお店を開いていた。元気のいいおかみさんが切り盛りして、ちょっと昔は悪かったらしき息子も店先にいる。なかなかのイケメンだなとちょっとうれしくなった。うわさに聞くところによると、なんでも、ここの息子は、池袋を根城にした自警団のブレーンらしく、これまで数々のトラブルをほぼ無償で解決してきたというから驚きだ。この日はとくに果物は買わなかったが、お店の雰囲気だけ覗いて、そのままロサ会館まで足を伸ばしたというわけだ。
その若者が多く集まるというアミューズメント施設の前で、嫌な感じの若い男が声を掛けてきた。
「どうですか。おねいさんならきれいだから、きっと常連のお客さんがすぐつきますよ。そうなれば、月に20万なんて楽勝ですよ」
ずいぶんと薄っぺらな男だ。朝9時から8時間、平日毎日働いたって、なかなかバイトじゃ20万なんかたまらない。それなのに、「月20万が楽勝だ」なんて。
「コサツって、なんですか?」
「おねいさん、コサツ、知らないんですか? いまどき、めずらしいな。要は、男性のお客さんと一対一でモデルになることですよ。個人撮影の略です。個撮って」
「ああ、そういう意味ですか」とちょっと納得。「私はまた、故意に人を殺すことかと」
「おねいさん、面白いこと言いますね。そんな勧誘しませんよ、人殺しの勧誘なんか、街中で」
「そうですよ、私もおかしいなと思ったんです。いまのご時世、『闇バイト』でかんたんに人を殺す時代ですから。こういう繁華街で、案外リクルートなさっているのか、と」
「わかりました。また、じゃあ、よかったら、よろしくおねがいします」
見かけは頭のよわそうな世間知らずの娘だと思って軽く声を掛けてみたが、案外、へんなことを返してくるものだから、いけ好かないチンピラ風客引きも、こいつはだめだ、と諦めた。
奥に行けば行くほど、客引きの数が増えてくる。とはいえ、女性の自分に対してではなさそうで、ときおり見かける中年サラリーマンらしき男性たちがよく声を掛けられているようだ。




