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田園調布が戸越銀座の軍門に下る日

 佐藤真奈は、池袋はほとんど来たことがなかった。悪い男がうようよしてるからあんな街、怖いからいかないほうがいいわよ、とよく母親から注意されて育った。たしかに、池袋に来なくったって、自宅のある新橋から大通り一本渡ればすぐに銀座だったし、若いから電車に乗らなくったって中央通りをまっすぐ数キロ北へ進めば日本橋だし、と買い物には事欠かなかった。むしろ、こっちのほうが格段にいいものが揃っている。だから、わざわざ場末の池袋なんか、という気持ちが強かった。

 ただ、せっかくだから、と興味本位が勝って、奥に進んでいくと、たしかに、通りには男たちだけでなく、女たちの客引きも数多く現れてきた。「ガルバ」だ、「コンセプトカフェ」だ、「キャバクラ」だ、と。そのうち、一本見通しのいい通りに突き当たったと思ったら、その通りは、ソープランドがひしめく一角だったりして、さすがに、佐藤真奈もびびった。

「おねいさん、どう、ウチにバイトでもしていかない?」

 目つきの鋭い店員らしきのが声を掛けてきた。どうみても、昼間の内幸町・日比谷・大手町界隈には見かけないタイプの、ぞろっとした男だった。

「ああ、こういう男たちのことを、お母さんは言っていたのね」

 佐藤真奈だって、だてに新橋育ちではない。小さなころから夜明かしの実情を子供ながらの目で見て、学んできていた。女を食い物にしている男は、新橋だって例外じゃない。一番は銀座の並木通りにうじゃうじゃいた。用心棒と称するホステスの引き留め役の男たちなんてまさにそうだ。また、そういうホステスたちのすれっからしなこと。

 よくバブル後の、大蔵官僚接待などで写真週刊誌をにぎわした時代に、ポルシェが置いてあるビルの入り口で、中年のホステスが、おなじような中年で頭をあぶらで撫でつけたボーイに、こう、ほざいたのだ。

「最近、エッチしてないね」

佐藤真奈はたまたま風薫る五月の陽気の時、そぞろ歩いていただけなのだが、たまたま、立ち止まったポルシェのビルの前で、ホステスが人目もはばからず、己の睦言を暴露したものだから、「つくづく、こういう水商売の連中って、いやあね」と嫌悪感をもよおしたものだった。

相手のボーイは、おそらくは一応、妻子がいる身だったかもしれない男だったであろうから、さすがに、こらえきれずに、グスッと吹き出した。が、それ以上は、なにも言葉を発しなかった。男にとっては単なるワンチャン、つまみ食いの類であり、深入りしたいタイプではなかったということだろうか。

とはいえ、自分も赤坂のAVまがいの芸能プロダクションに足を突っ込んだり、麻布十番の高額バイトその実メンエスの面接に行ったりするのだから、出自は争えないもんだな、となかば呆れもした。

 ソープランドをおさらばして、さらに奥へと進むと、今度は中国料理屋や中国語が目に付くようになってきた。そういえば、ネットニュースで、このあたり、在日中国人向けの風俗店が摘発されたわね、と思い出す。中国人だって、性欲ありありだから、一発ヤリたくなるのはわかる。が、人の国来て、そういうのをやってます、と言われると、当然日本人としてはうれしくない。うれしくないどころか腹が立つ。ひとの国に来たんだから、それくらい我慢しろ、と。

 とある中華料理屋はずいぶんと繁盛していた。お客は20代の若い中国人ばかりだったようだ。日本語なんて一切聞こえてこない。試しに中をのぞくと、なんでも、食材を自分で選べるようになっており、それを料理人が調理してくれるシステムになっていた。へえ、やっぱり、本場三千年は違うのね、と感心。あら、ひょっとして、4千年だったかしら、とどうでもいいことにつまづく佐藤真奈。ただ、本場のためか、日本人にはなじみのない店内の独特のにおいに少々気後れしたのは事実だった。日本人は海外旅行から成田へ、羽田へと帰ってきたとき、なんとも思わないけれど、外国人は日本独特のにおいを感じ取るのかしら。ふと、いまさらのように、思い返した。

 中華屋からUターンして、すぐの小道を東へと折れると、そこから先はラビリンスだった。言わずと知れたラブホ街である。なんだ、ここ。わかってるくせに、そう自問する女子大三年生。一人で歩くのは憚られたが、それでも、好奇心ゆえ、先へ進む。日本って、なんで、こんなに駅の周辺に連れ込みって多いのかしらね、と単純に疑問が湧いた。よく、祖父母も言っていた。「むかしの日本は、盛り場の駅周辺は、仕事がないから、女性たちが体を売る場所ばっかりだったよ」と。青線だ、赤線だ、などと言われる三業地が、東京中にあふれていたのだ。

 奇抜な看板やどぎつい色使いのラブホのなかを進むと、左手になにやら風俗店が。なんだこの店は? しばし立ち止まって観察してみることに。すると、ものの一分もしないうちに、なかから、さっきの客引き同様、お天道様に決して顔向けできないような裏街道ばかりを歩いてきたタイプの中年男が表へ出てきた。よく見ると、入り口に監視カメラが設置されていた。しかし、植物の葉っぱでカメラを隠すことでカムフラージュしていたから気づかなかったわけだ。なるほど、こっちは外からじっと観察していたつもりだったが、実際は、なにもかも見られていたのね、と納得。あまり用もないのにうろうろしているといいことないので、ソープ街から抜け出て、そのまま、JRに乗って帰宅した。





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