#2.0
その鍵からは、湯気のような、白靄が立ち上っていた。
明らかに、普通の鍵ではない。
普通の鍵と違っている点を上げればキリがない。
普通、こんなに大きい必要がない。苔生しているのもおかしい。第一何故、僕の家の庭に突き刺さっているのか。
むしろ、普通の鍵と同じなのはその形状だけで、他の要素は全て普通じゃなかった。
ということは、鍵ですらないかもしれない。
「って、じゃあ何なんだよ……」
ボソッと吐き捨てながら、鞄を庭に置いてそのオブジェの近くまで歩いていく。
今はとにかく心が疲弊していて、すぐにでも横になりたい気分だったけど、無視するわけにもいかない。
もし危険物だったら、妹が帰ってきたときにどうなるか分からないし。
むしろ、今朝、学校があんなことにならなければ先に帰ってきていたのは美紀の方だったのだから、もしかしたら美紀に向けての悪戯かもしれない。
しかし、悪戯だとしたら悪質だ。そして意味がわからない。
まず、こんなものを真っ直ぐ突き刺せている時点で不法侵入はされていると見ていい。
敷地の外から投げ込んだのならこうはならないだろう。
投げ込むのも駄目だけど。
というか―――
こんな時だっていうのに、冗談じゃない。
そう思いながら、鍵のような形をした石のオブジェに手を掛けた時だった。
カッ―――!!
「!? っ………」
オブジェの上部に手を触れた瞬間、光が瞬いた。
周囲一帯を、真白に照り尽くすような、強烈な光。
《[石牢の鍵:原初]よりアクセスしました。迷宮名:原初の石牢 が生成されます》
………え?
石牢の鍵? 迷宮?
脳内に響いたこの声はなんだ? 何を言っている?
呆然としたまま、地中へと沈んでいく石の鍵のようなものを眺める。
《……生成が完了しました。これより、探索が可能となります》
《原初 特性により、探索人数が 一人まで に制限されます》
《原初 特性により、探索者の全能力値は最低値に固定されます》
《原初 特性により、敵個体の全能力値が上昇します》
《原初 特性により、罠の看破難度が上昇します》
《原初 特性により、敵個体討伐に係る報酬が増加します》
《原初 特性により、アクセス者は迷宮内に強制転移します》
この迷宮は、踏破が確認されるまで発見不可能な状態へと移行します―――。
き、強制転移だって?
そんな非現実的なことが―――。
◇◇◇◇◇◇
―――起こるわけがな、……!?
「……そんな、馬鹿な………」
……瞬きもしないうちに、周囲の風景が一変していた。
自宅の敷地にいたはずが、いつの間にか四方を石レンガで囲まれた部屋に。
部屋の正面には、鉄の取っ手が付いた、鉄の扉がある。
微かに香るのは、アルコールのような匂い。
………ふう。一旦、落ち着こう。
まず、現実を受け入れることだ。
あの、謎のシステム音声が言っていたことが全て本当のことだとすると、僕が触ったあの石のオブジェは迷宮の鍵で、僕が触ったことにより迷宮? が作られて、僕はその迷宮の中に強制転移したことになる。
他にも色々と何かを言われた気がするけど、正直いちいち覚えちゃいない。
全能力値がどうのこうのと。
つまりなにか。
この迷宮には、能力値なんていう、ゲームのステータスみたいな数値が設定されているっていうのか?
じゃあまさか……。
「……ステータス、なんて―――うわっ」
ピコン。
僕がステータス、と口にするのと同時、目の前に薄青色のホログラムパネルが浮かぶ。
〈仁城 亜紀 lv.1[+]〉
生命力 1(3)
体力 1(2)
防御力 1(4)
筋力 1(2)
技術 1(3)
魔力 1(0)
素質 1(0)
[魔法] なし
経験値:0
……ステータス、なんてまさか出るわけがない、そう思いながら口にしたのに。
本当に出てくるとは。
しかし、全ての能力値が1……基準はよくわからないけど、レベルも1だしどうやら弱そうだということは分かる。
カッコ内の数値は……本来の数値ってところか?
それが今は、1にまで下げられた状態だと。
「………」
理不尽。
泣きっ面に蜂、なんて表現では済まない。凶事に続く凶事だ。
突然こんなところまで連れこられたかと思えばその上能力まで奪われているらしい、というのだから。
出来の悪い悪夢みたいだな、と思った。
まさに、理不尽でしかない。
しかし、ステータスまで表示されたとなると、これはいよいよここが“迷宮”とやらである可能性が高まってきた。
迷宮、と言うからには、攻略しなければ出られないのだろう。
……とりあえず、この部屋を出てみるか……?
僕は諦めとともに、恐る恐る扉の取っ手に手を掛け、ガチャリと内側に開く―――。
「―――――ッ!!」 バタンッ!
それは、本能に近かった。
カチリ、という小さな、ごく小さな音が聞こえた瞬間に、僕は開いた扉を勢いよく閉め直した。
その刹那、空気が爆ぜる。
鉄の扉が瞬間的に変形し、内側に向かって弾け飛ぶ。
ボッ!! という爆音を最後に、耳は聞こえなくなった。
掴んだ取っ手とともに扉と後方へ吹き飛ばされ、壁にぶち当たることで背中と頭を強打する。
「カッ……ハッ……!?」
肺の呼気が一気に押し出され、血とともに口から吐き出された。
思いきり石の壁にぶつけられた後頭部がガンガンジクジクと痛む。
何とか腕の力を振り絞って後頭部に手をやると、手がぬるりと何かで濡れるのが分かった。
「血……」
頭からこんなにも血が流れいるようでは、じきに死ぬのではないか。
ただでさえ、“生命力”とやらの値は三分の一にまで減らされていたわけだし……。
クラ、と意識が遠のいた。
ああ、これは本格的にマズい。
どんどん、血が流れ出ていくのを感じる。
心臓の鼓動が弱くなっていくのも。
視界に靄が掛かり始める。
堀岡たちにどれだけ殴られてもこうはならなかった。
明らかに、生命が危機に瀕している。
自分でも、もう、長くは持たないことが分かった。
「まさか、こんな早く……後を追うことになるとは……」
遠藤。
なんで、飛び降りたりなんかしたんだ。
どうして一言言ってくれなかった……?
僕はどうして、一言も言ってやらなかった……?
……庇わせてごめん。
庇ってあげれなくて悪かった。
僕たちは二人とも、堀岡たちの道化だった。
「………」
―――そして道化のまま、死んでいくみたいだ。
どういうわけか、あの遺書には堀岡たちいじめの主犯格の名前は記されていなかった。
そして、堀岡たちの他に唯一真相を知った僕も、こうして誰にも何も言わずに死のうとしている。
父にも、妹にも、何も伝えることなく。
下手したら、ここにある僕の死体が見つかることも、ないのかもしれない。
なんてことだろうか。
こんな、僕には理不尽な出来事ばかりが巡ってきて、堀岡たちにとってばかり、都合のいいことが起こる。
結局、そういうことなのだろうか。
何一つ力を持たない僕らは、力ある何者かに利用され、理不尽を背負わされ、そんな絶望にまみれていつか死ぬときまで生きていく。
………そんなのは、嫌だ。
強く、強く想った。
ふっ、と。
耳鳴りに代わって脳内に響いていたピアノの音が消えた。
絶対に嫌だ。
利用されただけの人生だったなんて。
家族にも見つけられない場所で死んでいくなんて。
絶対に。
生きる、希望を。
絶望の淵を超えていく、力を……!
「……ステータス」
ピコン。
〈仁城 亜紀 lv.1[+]〉
生命力 1(3)
体力 1(2)
防御力 1(4)
筋力 1(2)
技術 1(3)
魔力 1(0)
素質 1(0)
[魔法] なし
経験値:22,215
さっきまで無かったはずの経験値が、増えていた。
直感的に、レベルの横に表示されたプラスマークに触れる。
〈仁城 亜紀 lv.1[+14][-]〉
生命力 1(3)[+]
体力 1(2)[+]
防御力 1(4)[+]
筋力 1(2)[+]
技術 1(3)[+]
魔力 1(0)[+]
素質 1(0)[+]
[魔法] なし
経験値:23
残り14ポイント
プラスマークに触れるたび、経験値が減っていき、最後にはプラスマークを押してもなにも反応しなくなった。
レベルを上げるのに必要な経験値が足りなくなったらしい。
代わりに、ステータスの方にプラスマークが表示された。
どうやら、これでステータスを割り振れるみたいだ。
試しに一つ、生命力にステータスを振った。
それだけでは変化がない。
体が冷たくなっていくのを感じる。
失われていく血液と、焦る気持ちを抑えながら僕はその原因を推測した。
……もしかしたら。
プラスマークの横に出現していたマイナスマークに触れ、レベルの上昇値とステータスの上昇値を一致させてみる。
〈仁城 亜紀 lv.1[+1][-]〉
生命力 1(3)[+1][-]
体力 1(2)[+]
防御力 1(4)[+]
筋力 1(2)[+]
技術 1(3)[+]
魔力 1(0)[+]
素質 1(0)[+]
[魔法] なし
経験値:21,691
残り0ポイント
すると、新しいパネルが出現して確認を求めてきた。
《レベルを上げ、ステータスを更新します。よろしいですか? はい/いいえ》
これだ。これで、生命力を上げれば……!
光明を見出した僕の脳裏を、ふと数分前の記憶が掠める。
―――《原初 特性により、探索者の全能力値は最低値に固定されます》―――
確かに、そう言っていた。
つまり、ここでいくらレベルを上げてステータス向上を図ったところで、それは無駄になる。
全ての能力値は1のまま、固定されるはずだ。
だけど。
「………」
僕はその一縷の望みに賭けて、『はい』を押した。
すると、体の内側から力が湧き上がってくるのを感じた。
全身が、パアッ、と一瞬輝きを放ち……。
「………よしっ」
それと同時に、後頭部と背中の激痛、視界の霞、耳鳴り、喉の奥に広がる血の味が一気に、全部解消される。
予想通り……というか、直感通り、レベルアップによって体は全快の状態へと復帰するらしい。
残りの経験値でレベルアップできる回数は、十三回。
これはつまり最低でもあと十三回までは瀕死の傷を負っても回復できる、ということだ。
これで、方針は固まった。
十三回という回数以内に、この迷宮を攻略する。
外に出て、堀岡たちに報復するんだ。
そして、父さんと美紀、二人にも再会する。
僕は必ず、ここを生きて出てみせる。




