夜汽車にて
夜汽車にて
真っ暗な車窓。山肌を縫うように列車は走る。
里も山も、空さえも闇に溶け込んで、生き物すべてが眠っている時刻である。
列車からもれる淡い光でさえ、外から見ればまばゆい帯に映るだろう。
ほんの一瞬、目の高さに強い光の連なりが見えたが、すぐに何かに遮られてしまった。
また見えた。横一線に光が帯になっている。
漁火だろうなと思う。なんの根拠もなく、そう思う。
見えるものはあまりない。踏み切りの点滅のほかは、熱心に外を見ようとする自分の姿が窓に映っているだけである。
軽快にレールを刻む音と、乗客の寝息が車内に満ちていた。
座席の下には弁当殻、窓枠には酒やウィスキーのポケット壜。網に入ったみかんや茹で卵。退屈しのぎの新聞や週刊誌は床に落ちている。
それにしても、闇に濃さがあるのだと、窓に映る自分を眺めながら感じていた。
どこか儚げな自分は軽快な音とともに。急に音が大きくなると、窓の中の自分がくっきり浮き上がってくる。
タタン、タタン……、ダダン、ダダン……、ゴーーー、ガガン、ガガン……。
短いトンネルにハッとする。まるでテレビの中にいるみたいだ。
駅に停まると十人ほどの集団が乗ってきた。
身軽な一人が窓をいっぱいに開けると、ホームの仲間から窓越しに荷物を受け取った。
いくつもの座席が人と荷物で埋まり、とたんに魚のにおいが立ちこめる。
柳行李は干物入れ、ブリキの缶は生魚。車内で商品の取引が始まっている。
急な冷気に身じろぎした乗客は、声高な話し声と生臭さに夢路を邪魔され、眉をひそめている。が、魚の取引に夢中な一団も乗客なのである。
行商の婆さんが風呂敷きを広げると、竹の皮にくるんだ握り飯があらわれた。握り飯をほおばり、商売物のメザシを一本かじっている。
それをじっと見つめていると、婆さんが握り飯をくれた。そしてメザシも。
いつのまにか窓の外が白んできている。
見えもしない闇をすかしていただけなのに、いつのまにか空腹になっていた。塩気のきいた握り飯のおいしいこと。噛むたびに味がでるメザシのおいしいこと。
世界の始まりは手を加えないものこそおいしい。それを初めて知ったのである。
すっかり明けきった町に列車が停まるたび、大きな荷を背負った婆さんが一人二人と降りてゆき、最後の一人が降りる頃には町を行き交う車が増えていた。
終点を目前にした大きな駅で、一晩中走り続けた機関車が役目を終えた。
疲れたようなそぶりをみせず、荷物を捨てた機関車が離れゆく。
ボッ!。 短い汽笛を鳴らして小柄な蒸気機関車が後退してきた。
ステップに立って緑の手旗を揺らしていた誘導員がホームに跳び上がった。
赤と緑の手旗に導かれて機関車と客車ががっちり握手をする。
煤けた煙突のてっぺんで、排煙用のファンがゆっくり回っていた。
湖畔を列車が駆け抜けてゆく。国道を並走する自動車に追い抜かれようと、決して慌てるでなく。築地松に囲われた家を遠目に、先へ先へとレールを刻んで行く。
田起こしを始めた耕運機や、通学の子供たち。賑やかになった通りをかすめて列車は駆ける。
空席ばかりで身軽なのだろう。最後を任された機関車は、白っぽい煙をたなびかせて足を速めていた。
終点はずっと先の雲の下。それがわかっているからか、列車はますます軽やかである。