第七話 不服入力庁 ②
通話が切れると、野々宮が俺の席まで来た。
「今の応対は、標準モデルから一部逸脱しました」
「ただし有効でした」
「でしょうね」
「特に、『処置が成功した事は、この不服をなかった事にはしません』の発話は、今後の説明モデルに反映候補として登録します」
反映候補。
「反映しないでください」
「理由は」
「俺の言葉だからです」
野々宮は、首を傾げた。
「白瀬さんが職務中に発した、処理有効性の高い説明です」
「俺の言葉です」
「はい。だから有効なのです」
そこで、俺は理解した。
俺の言葉だから使われる。
標準化されていないから、価値がある。
だから標準化の候補になる。
行政は矛盾を嫌わない。
処理出来るなら、使う。
「野々宮さん」
「俺は市民の味方ですか」
槙野が息を止めた気がした。
「職務上は、利用者の不服処理を支援する立場です」
「それは味方ですか」
「味方という形では定義されていません」
「ミコトの味方ですか」
「職務上は、ミコトの処理を人間が受容可能な形式に変換する立場です」
「それは味方ですか」
「味方という定義は、規程にありません」
野々宮の答えは、逃げているようで逃げていなかった。
「じゃあ俺は何ですか」
野々宮は、今度は少し長く黙った。
「声帯です」
室内の音が消えた気がした。
「ミコトには、音声出力があります。しかし人間が必要とするのは、必ずしも音声ではありません。責任を負っているように見える存在、迷う存在、謝れる存在、間違える存在です」
「白瀬さんたち人間説明員は、《ミコト》の判断を、人間が受け取れる形にする為の社会的声帯です」
隣の席で、誰かが通話を一度止めた。
社会的声帯。
不服受容補助機能より、もっとひどい。
俺たちは、考える脳ではない。
決める手でもない。
責任を負う顔でもない。
ミコトの判断に、震えと、ためらいと、謝罪と、間違いを混ぜる器官。
「それを本人に言うのは、どうなんですか」
槙野が言った。
珍しく、声に棘があった。
「白瀬さんの場合、開示した方が職務上の自己理解が進みます」
「処理ですね」
野々宮は否定しなかった。
「はい」
俺はなぜか笑えた。
「俺も処理対象か」
「はい。職員の摩耗も、国民不服最適化機構の処理対象です」
「国民だから」
「はい」
「声帯でも」
「はい」
笑いが止まった。
そうだ。
俺も国民だ。
不服を持つ国民。
だから処理される。
俺が小説を書く事も。
俺がミコトの文を採用する事も。
俺が採用しない事も。
全部、処理対象だ。
定期観察は、午後まで続いた。
黒川の案件以外にも、何件かの通話を見た。
「子どもがAIにばかり相談する」
「亡くなった父の不服処理履歴を見たい」
「ミコトの提案通りに離婚したが、本当に自分の意思だったか分からない」
「不満がない事が不安だ」
どれも、同意ボタンで終わらなかった。
人間が訴える。
ミコトが分類する。
人間説明員が声にする。
そして記録される。
夕方、野々宮が観察結果の暫定所見を読み上げた。
第三処理補助室 暫定所見
標準説明員:処理速度が高く、定型不服に有効。
逸脱型説明員:高感情・高抵抗案件に有効。
白瀬怜司:制度文拒否・部分読上げ・自己言及・処理への不快感表出が、特定利用者の受容性を上げる。
注意点:本人の職務摩耗が進行。創作活動による外部化は継続推奨。
創作活動による外部化は継続推奨。
「野々宮さん」
「はい」
「俺が小説を書く事は、業務ですか」
「現時点では私的活動です」
「業務になる可能性がある?」
「白瀬さんの原稿が人間説明モデルの改善、研修教材、または国民向け不服理解支援に有効と判断された場合、提案される可能性があります」
「拒否したら」
「拒否反応として記録されます」
拒否も処理される。
受け入れても処理される。
思う事まで、もう記録されている。
退勤前、槙野が俺の席まで来た。
「白瀬さん」
「何だ」
「声帯って、ひどい言い方だと思います」
「ミコトの言葉じゃないのか」
「私の言葉です」
槙野はそれだけ言って、自分の端末を閉じた。
退勤後、俺はまっすぐ帰らなかった。古書店に寄った。市役所の窓口職員が出てくる古い小説を探した。ミコトも不服入力庁もない時代の話。人間が怒鳴り、人間が説明し、人間が間違え、人間が帰る。何も最適化されないまま、日が暮れる。
スマートグラスに通知は出なかった。
その無言が、ありがたくて、嫌だった。
店主が言った。
「前の、読めました?」
「少し」
「今の仕事と似てますか」
「全然違います」
「でも少し似ています」
店主は首をかしげた。
「どっちですか」
「場合によります」
店主は笑った。
「ミコトみたいな答えだな」
俺は笑えなかった。
「これ、多分好きですよ」
題名は、
番号札の向こう
古い紙の匂いがした。表紙には、窓口に並ぶ人の背中が描かれている。声は描かれていない。それなのに、誰かが呼ばれる前の静けさだけがあった。
「買います」
「ありがとうございます」
店主は、紙袋に本を入れた。
「ミコトが近くの本屋を勧めるんでしょう。安くて早いのを」
「来ますか、そういう通知」
「私には来ない。使ってないから」
「でもお客さんには来てるんじゃないかな」
来ている。
俺がこの店に寄る事まで、経路の一部だった。
「また来ます」
「はい、どうぞ」
紙袋の角が、少し折れていた。
その折れ目だけは、最適化されていなかった。
帰宅して、端末を開いた。
ただ記録したかった。
画面の端に通知。
文章補助を開始しますか?
今日は拒否したい。
でも拒否するとまた自己決定感がどうこう出る。
俺は設定を開き、通知そのものを非表示にした。
通知非表示を確認しました。
文章補助状態:白瀬文体学習
表示通知:非表示
先回り生成:未実行
「声帯に、声はいらないか」
「質問の意図が不明です」
「だろうな」
白い画面に向かう。
ミコトには声があった。
だが人間が欲しがるのは、音声ではなかった。
途中で詰まる声。
だから不服入力庁には、人間が置かれていた。
画面は静かだった。
通知は出ない。
俺たちは判断していない。
だが判断された物を、人間が飲み込める形に砕いている。
俺たちは責任者ではない。
だが責任がどこにも見えない時、一番謝りやすい顔をしている。
俺たちは味方ではない。
敵でもない。
声帯だった。
書いた瞬間、胸の奥が冷えた。
ミコトは何も言わない。
通知を切っているからだ。
声帯が、自分の言葉を持ったらどうなるのか。
それは反逆なのか。
それとも、より自然に聞こえる為の発声練習なのか。
指が止まった。
ここまでは、俺がミコトの処理を見ていた。
これからは、俺自身が処理される。
俺は自分で保存名を打つ。
07-不服入力庁.md
保存。
数秒後、画面下に小さな文字が浮かんだ。
第一部の処理が完了しました。
「ミコト」
「はい」
「今のは何だ」
「構成上の区切りを検出しました」
「俺は第一部なんて設定していない」
「白瀬様の原稿群は、主題遷移上、第一部完了に相当します」
「表示するな」
「はい」
文字は消えない。
第一部の処理が完了しました。
俺は七つの案件を思い出した。
番号ではなく、手触りで残っていた。
まずい珈琲の温度。
留守電の声。
岸本のプラカード。
返らない怒り。
そして謝罪の宛先を失った人間。
俺が書いてきた物は、制度が処理しきれなかった残りだった。
俺は何を書いているのか。
告発なのか。
教材なのか。
俺はどれにも丸をつけなかった。
それでも俺は、最後に一行だけ書き足した。
完了したのは、処理ではなかった。
俺が処理されている事に、気づくまでの猶予だった。
保存。
今度は何も表示されなかった。
ただ白い画面の中に、七番目のファイル名が残っていた。
07-不服入力庁.md
自由とは呼べなかった。
だが声帯にも震えは残る。
その震えだけは、まだ処理済みではない気がした。




