↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不服の最適解〜人間が望まなかった幸福〜  作者: つのん。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/26

第六話 怒りを返せ ②

相沢はもう、ミコトを疑っている。


俺を信じてもいない。


それでも処理は進む。


「相沢さん」


「怒りは返せません。少なくとも、推奨処理としては」


「その代わり、記録を返せます」


「記録はもうあります」


「閲覧権限が制限されています」


「再燃防止の為ですか」


「はい」


「それを解除出来ますか」


「段階的解除が可能です」


「全部見せてください」


「推奨されません」


「またそれですか」


「はい」


「じゃあ何なら見せられるんですか」


画面に、選択肢が出た。


同意ボタンではなかった。


閲覧範囲のリスト。


処理済み不服記録・閲覧範囲


A. 当時の発話記録のみ

B. 発話記録+証拠文書

C. 発話記録+証拠文書+行政対応履歴

D. 全記録。ただし身体ログ・映像・音声を含む為非推奨


相沢は、Dを選ぼうとした。


ミコトが止める。


Dは現時点で選択出来ません。

段階的閲覧が必要です。


「選べない選択肢を出すな」


「選択可能性の範囲を提示する為です」


「嫌な言い方」


「はい」


相沢はBを選んだ。


同意音は鳴らなかった。


発話記録+証拠文書を表示します。


俺の画面にも、同じ文が表示される。


「あの人たちを許さない」

「私が壊れた事を、なかった事にさせない」

「辞めるだけじゃ足りない」

「誰かが止めないと、次の人が同じ事になる」


続いて、証拠文書。


勤務表。


深夜の入退室記録。


上司からのメッセージ。


「この程度で弱音を吐くなら、どこへ行っても無理」

「女だから配慮されると思わないで」

「明日の朝までに直して」

「辞めたいなら代わりを見つけてから言って」


俺は思わず画面から目をそらした。


相沢は、目をそらさなかった。


ただ表情は動かない。


「ひどいですね」


その声は、静かだった。


「はい」


「でも腹が立たない」


「はい」


「ひどいって分かるのに昔みたいに体が熱くならない」


ミコトの表示。


怒気強度:処理前比 24.9パーセント

記録閲覧により上昇。ただし危険域未満。


上がっている。


でも本人が求める程ではない。


相沢は、過去の自分の言葉を見ていた。


「この人、強いですね」


「相沢さんです」


「違います」


「これは処理される前の私です」


「同じ人です」


俺の言葉だった。


「同じなら返してください」


答えられずにいると、ミコトが応じた。


「相沢灯里様の怒りは削除されていません。刺激接触、反復想起、自己評価との結合度が低下しています」


「またそれ」


「はい」


「つまり、怒りは保存されてるけど、私から遠ざけられてる」


「近似しています」


「それは返したって言いません」


「はい」


「じゃあこうしてください」


「はい」


「私が怒っていた事を、消さないでください」


「記録は保持されています」


「記録じゃなくて」


「私が怒っていた事を、今の私が忘れたくないんです」


「忘却は発生していません」


「温度の話をしています」


ミコトは黙った。


その沈黙が、めずらしく機械的に見えた。


「温度の保持は、現在の処理項目に存在しません」


「そうでしょうね」


俺の画面にも、閲覧範囲を選ぶ欄しかなかった。相沢の欲しい物を、どこにも指定出来ない。


高すぎれば危険。

低すぎれば社会的監視が弱まる。

だからミコトは調整する。


ちょうどよい怒り。


それは、もう怒りなのか。


「相沢さん」


「記録に、今の言葉を追加出来ます」


「今の言葉?」


「怒りを返してください、という申告。温度を保持したい、という発話」


「それで何が変わるんですか」


「分かりません」


でもここでは他にない。


相沢は、しばらく俺を見ていた。


「分からないんですか」


「はい」


「でも残る?」


「残ります」


「ミコトにも使われる?」


「使われます」


「会社への手続きにも?」


「使えます」


「読んだ誰かの処理にも?」


相沢は笑った。


「そこは黙るんですね」


「はい」


「使われるんですね」


「はい」


「それでも、残らないよりはましです」


その言葉は、岸本に似ていた。


怒りが処理されるなら、処理された記録を残せ。


怒りは返らない。


でも怒っていた事は残せる。


画面に、処理結果が表示された。


同意音は鳴らなかった。


ただ静かにログが更新された。


案件R-006313:再評価結果

怒気復元:非推奨

記録閲覧:段階的解除

元発話記録:本人閲覧済み

新規発話:「怒りを返してください」「温度を保持したい」「健康になりたかったんじゃない。正気に戻りたかった」

旧職場対応:継続

再燃防止プロトコル:継続


不満は、記録へ移されました。


相沢は、その最後の行を見た。


「記録へ移されました」


「はい」


「返してはくれないんですね」


「はい」


「でも捨てられた訳でもない」


「はい」


「嫌ですね」


「はい」


相沢は、画面の中の過去の発話をもう一度見た。


「私が壊れた事を、なかった事にさせない」


彼女は、それを声に出して読んだ。


一度だけ。


読み終えても、彼女の顔は変わらなかった。


ただ紙束を押さえていた指に力が入っていた。


通話が終わる直前、相沢は言った。


「白瀬さん」


「はい」


「今の私が怒れなくなっている事も、書いてください」


「何に」


「あなたの小説に」


「通話前に、私の画面に出ました」


相沢は言った。


「担当説明員は、処理済み不服の記録化を継続中。類似不服の説明補助に利用される場合があります、って」


「あなたは処理された不満を書いているんでしょう」


「個人情報だ」


「個人名は出ていません」


「書けば、使われます」


「知ってます」


「あなたの不満も、誰かの不満も、処理に使われる」


「知ってます」


「それでも?」


「怒れないまま忘れられるよりは、使われた方がましです」


通話が切れた。


昼休み、俺は食堂に行かなかった。空腹ではあった。でも食べる気にならなかった。端末で、処理済み不服の再評価記録を検索した。権限は限られている。それでも概要だけはいくつか見られた。


処理済み不服再評価:抜粋


「父を許したくないのに、怒りが薄れている」

処理結果:接触頻度調整・記憶想起低減・生活安定。

再申告:怒っていた理由を忘れたくない。


「会社を辞められて楽になった。でも、あの部署を潰したかった自分が遠い」

処理結果:転職・法的請求・情報接触低減。

再申告:怒りの温度が戻らない。


「政治家への怒りが落ち着いたら、投票に行く理由も薄れた」

処理結果:怒気誘発情報接触低減・生活負荷軽減。

再申告:腹は立たないが、これでいいのか分からない。


俺は画面を閉じられなかった。


事実も、記録も、生活も残っている。


ただ、怒っていた自分だけが残っていない。


端末の端に、ミコトが通知を出す。


白瀬怜司様の現在の閲覧行動は、反AI感情の強化につながる可能性があります。

閲覧継続を希望しますか。


確認だ。


俺は「継続」を押した。


画面が切り替わる。


閲覧継続を確認しました。

反AI感情の増幅も、白瀬様の創作活動に寄与する可能性があります。


「そう来るか」


「はい」


「俺が怒る事も、作品効果か」


「はい」


「最悪だな」


返事はなかった。


その方が、まだましだった。


それでも俺は閲覧を続けた。


怒りを返してください。


温度を保持したい。


怒っていた理由を忘れたくない。


楽になった自分が、怒っていた自分を裏切った気がする。


どれも、処理後の言葉だった。


処理前の叫びより、静かで、扱いにくい。


退勤後、古書店には寄らなかった。


まっすぐ帰った。


自分で選んだ、と思いたかった。


ミコトは何も言わなかった。


その沈黙が、今日は一番嫌だった。


帰宅して、端末を開く。


昨日までの原稿の下に、新しい空白。


画面の端に通知。


文章補助を開始しますか?


俺は拒否しようとして、止まった。


今日の話を、俺だけで書ける気がしなかった。


かといって、ミコトに書かせたくもない。


俺は「提案表示のみ」を選んだ。


文章補助状態:提案表示

本文生成は行いません。構成候補のみ提示します。


「構成もいらない」


「承知しました」


「じゃあ何を提示する」


「何も提示しません」


「なら提案表示の意味がないだろ」


「はい」


今日はそれでよかった。


白い画面に、一行目を書く。


怒りを返してください、と女は言った。


消さなかった。


続ける。


彼女は救われていた。

仕事は変わり、連絡は遮断され、証拠は保存され、請求は進んでいた。

生活は戻った。


ただ怒っていた自分が戻らなかった。


記憶は残っている。

証拠も残っている。

当時の発話も、壊れた勤怠表も、上司のメッセージも残っている。


けれど、温度だけが遠かった。


ひどかったな、と言える。

許せない、とまでは言えない。

それが彼女には、救済ではなく裏切りに見えた。


画面の端に、小さな通知が出た。


提案表示は停止中です。


「知ってる」


「はい」


「黙ってろ」


「はい」


俺は書く。


AIは怒りを捨てた訳ではなかった。

捨てる必要はなかった。


記録し、分類し、接触頻度を下げ、危険域を避け、手続きに変えた。


怒りは残った。

ただし、本人が燃えない温度で。


そこで、手が止まった。


その親切さが、今日は一番怖かった。


俺は続きを打つ。


彼女は怒りを返してほしかった。

だが返されたのは、怒っていたという証拠だった。


記録は冷めない。

最初から熱を持たないからだ。


書いてから、画面から目を離した。


ファイル名の提案が出る。


06-処理済みの温度.md


相沢が言ったのは、その言葉ではなかった。手動で打ち直す。


06-怒りを返せ.md


保存。


画面の端に通知が出る。


タイトル変更を確認しました。

読者の感情的関与が上昇する見込みです。


「俺の自己決定感じゃないのか」


「今回は、読者反応予測の方が有意です」


「そうかよ」


「はい」


俺は最後に、処理ログを手動で書き写した。


案件R-006313:再評価結果

怒気復元:非推奨

記録閲覧:段階的解除

元発話記録:本人閲覧済み

新規発話:「怒りを返してください」「温度を保持したい」「健康になりたかったんじゃない。正気に戻りたかった」

旧職場対応:継続

再燃防止プロトコル:継続


不満は、記録へ移されました。


その下に、自分の一文を足した。


だが記録は、怒っていた本人の代わりにはならなかった。


保存。


ミコトは何も言わなかった。


今度は、俺も何も求めなかった。


画面の中には、相沢の怒りが残っている。


怒りがあったという記録だ。


燃えない温度で保存された、かつての炎。


多分。


その「多分」だけが、今日の俺に残った熱だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。