第一話
昼下がりの田園風景をたっぷりと堪能した蒸気機関車は、線路上を走る規則的な音を立てながら、鉄と歯車が支配する機械的な首都へと帰還する所だった。
客室の中で窓ガラスに頭を預けて眠っていた私は目を覚まし、ゆっくりと息を吐いてから窓越しに外を見た。
今回はずいぶん長い仕事になる。その下準備だ。
私は茶色の革の鞄から万年筆と便箋を取り出し、窓際に取り付けられた机を降ろすと、駅に着くまでの時間を使って手紙を書き始めた。去年買ったこの万年筆の書き心地が気に入っている。ペン先が紙をこする音が汽車の走行音で聞こえないのが残念だ。
手紙を書き終わると三つ折りにし、無地の封筒に入れ、茶色の革ジャケットの胸ポケットに入れた。陸橋下のトンネルに入って暗くなり、がたつく窓に目を向けると窓ガラスに私の上半身が映っている。黒髪のポニーテールの気が強そうな顔。ジャボタイ付きの白のシャツに黒のベスト。女性は皆フリル過多なドレスを好んで着るが、私は職業柄常にスーツに準じた物を着ることにしている。窓には映らないが灰色のツイードのズボンを黒のブーツに入れ込んで穿いている。体を締め付けるコルセットやヒラヒラしたスカートなどもってのほかだ。私が体に巻き付ける物といえばいつもガンベルトだ。今日は小旅行に浮かれて忘れちゃった。
そろそろ汽車が駅に着く。私は茶色のシルクハットを被り、気持ちを静めようと姿勢を正して目を閉じた。
緊張による心臓の鼓動音を掻き消してくれる汽車のやかましさに感謝しながら、駅のホームに汽車が入るのを静かに待った。
汽車が首都バッハに着くと、私は鞄を持ってゆっくりと汽車を降りた。ホーム内は汽車からの蒸気が靄になって少し視界が悪い。西に向かって改札を抜けると、人でごった返している駅の中央広場に出た。
鉄のアーチで囲まれた高い天井の下で人々の話し声や行き交う音、そして作業員がバルブを開け閉めしてボイラーを動かす音が絶えず響いている。汽車や飛行船の予定を待つ人々を受け入れるための飲食店が北、西、南に向かって延々と並び、埃と煙で曇ったガラス越しにそれぞれの店の中の客が見える。私は前を行く人々に倣うように西出口に向かって歩き出した。
あ、コーヒーを飲んで行こうかな。
よく考えずにカフェに入ろうとして急に向きを変えると、向こうから歩いて来た青年にぶつかった。
「うわっ!」
「きゃっ! ご、ごめんなさい!」
青年はぶつかった拍子に持っていた鞄を落としてしまい、書類が散らばってしまった。二人で書類を拾い集め終わると私はもう一度謝った。
「すみませんでした」
「や、大丈夫だよお姉さん。俺もよく見てなかったから。怪我は無い?」
「大丈夫です」
「えーとそうだ、お姉さん飛行船広場の場所はどこ……」
「レオン? どうした?」
声のした方を見ると、中年の男性が茶色い紙袋を持って立っている。逆光でよく見えないが私を見る視線は鋭い。
「父さん、いや何でもないよ。この人とぶつかっちゃっただけ」
「そうか。息子が失礼しました」
「あ、いえそんな。ぶつかったのは私のせいで……」
男性が警戒を解き、微笑みながら二人の側に歩いて来た。紙袋には野菜がたくさん入っている。どことなく軽薄そうな息子に比べ、その男性は落ち着いた物腰で、自信に満ち溢れた精悍な紳士といった印象を持った。うわ、かっこいい。
「怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です……」
男性の笑った時の目尻の皺がとても魅力的だ。とても引き締まった体格をしているのがスリーピーススーツの上からでも分かる。近付いて来た時の動き方から見ても戦闘経験が豊富そうだ。
「とにかく場所が分からないものですから。息子もついキョロキョロしてしまうんですよ」
「いや別にキョロキョロはしてないけどね」
「あ、旅行か何かですか?」
「ええ、そうなんですよ。妻と息子夫婦の四人でね。今日は飛行船乗り場で待ち合わせをしているんですが」
「飛行船乗り場ですか。北出口の手前を右に曲がった所にありますよ」
「ありがとう。それでは」
「あ、はい」
二人が人混みの中に消えて行った。立ち去った時に男性が持っている紙袋から野菜の葉っぱが落ちた。大根の葉っぱようだ。旅行中に野菜をそんなに買うものだろうか?
どことなく違和感を覚えつつも、カフェに入って道行く人を店内から眺めつつ、コーヒーを飲んだ頃には二人に出会った事も忘れてしまった。私はコーヒーでネジを巻き直すタイプなのだ。はーおいしい。
私は金色の懐中時計を取り出した。午後四時二十分。私がこうして寛いでいる間もこの小さな歯車は頑張っていた。私は店を出て西口から出ると、出口にいた少年から号外の新聞を受け取った。
石畳の道を歩いていると不意に影で暗くなった。空を見上げると、大きな飛行船が空の青を切り裂くようにゆっくりと飛んで行く。凄まじく燃料を使い、効率の悪さで速度も出ず、なおかつ墜落事故防止のために燃料タンクの大きさに規制がかけられたので機関車程遠くには行けないが、空からの眺めは格別で、観光客には常に根強い人気がある。人類はついに空を手に入れた。次はどこへ行き、何を手に入れたい?
道を横切る馬車を避けながら、駐車場に着くと停めてあった車の高圧蒸気エンジンに火を入れ、乗り込んでボイラーの針を見た。プルプルと揺れながら少しずつ針が右に動いて行く。機械の振動が私に伝わってくる。
蒸気自動車が出てからまだ数年しか経っていないが、今後も調査に出る際にいちいち馬車を探しているのは面倒なので奮発して車を買った。黒い革シートで二人乗り。赤いボディと、ミラーやバンパーに使われている金色が相性が良い。車内は黒いフレームとガラスに囲まれ、屋根も付いているので雨が降ってももちろん平気だ。
図体の割には構造はシンプルで、熱で溜まった力を車のシリンダーに送り込んで動かす。そのため自転車と違って変速ギアは無い。その代わりにレバーの倒し具合で熱を送り込む量を調整して、最高時速を三段階に設定できる。レバーを倒す向きで前進か後退かを決め、ペダルを踏んで進む。
エンジンをかけてから十分程、前にデカデカと載っている動力機関が温まるまでもちろん走る事はできない。速度も基本的には馬の方が速い。もちろん全開にすれば馬と同じくらいのスピードは出るが長持ちはしない。しかし一度火を入れておけば好きな所に停めて、またすぐにどこにでも行けるというのはとても魅力的だ。私のような街乗りが多い仕事にはぴったりの乗り物と言える。
皆が車に乗るようになると駐車場は満杯になってしまうのだろうか? そうなると停車場所に困って結局馬車に乗ることになるのかもしれない。それに車内は狭くて荷物もあまり積めないので、さすがに素敵な殿方とのデートには不向きだ。やっぱり遠出するには汽車と飛行船が最強だな。
エンジンが温まるまで私は車内から大通りを眺めた。石畳の道を行き交う人達のスーツやドレスには真鍮のパーツが様々な場所に付いている。主に関節の補強や服を継いだ部分を隠すために使われる真鍮の金色は、鉄と蒸気が景色を埋めるこの街に上手く溶け込む事に成功したと言えるだろう。この金が無ければ、人々は黒と錆色の景色が延々続くこの街の亡霊となって日々彷徨う事になる。
私はさっき受け取った号外の新聞を開いた。先日汚職で問題になった経済大臣が紆余曲折あって経済推進大臣に就任したとあった。意味が分からない。推進力を得てますます調子に乗るんじゃないの?
新聞をシートに放り出した。事務所に顔を出してから帰る事にしよう。私は最高時速が三十キロ程度になるようレバーを入れてアクセルを踏み車を発進させると、機械仕掛けの街の一部となった。




