第302話 片田舎のおっさん、手を繋ぐ
「この度はご心配とご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありませんでした」
誘拐未遂事件から数日ほど経った後。俺は今ミュイを連れて、前言通り各方面へ謝罪行脚の旅に出ているところであった。
まあ行脚といっても、なにもバルトレーンから出るわけではない。魔術師学院とレベリオ騎士団と魔法師団と王国守備隊。この四つの組織に礼儀として頭を下げに行くだけ。
そりゃあ明るい気持ちで臨むなんてのは難しいが、とにかく犠牲者が出なかったことは善きことではある。なので然程重圧を感じることなく、てくてくと各所を回っているところだ。
「いえいえ。ミュイさんはじめ、皆さんがご無事で何よりです」
俺からの謝罪を受け、そう返してくれたのは魔術師学院の教師、キネラ・ファインさん。
彼女はミュイの担任ということで、まずは話を通しておかねばならんだろうと足を運んだ一人である。生徒を預かる立場で行方不明事件が起きたともなれば、気が気ではなかっただろう。
俺の言葉を受け取ったキネラさんは、ふんわりとした笑顔で受け止めてくれた。気苦労もあったろうに、それを察せられないように振舞えるのは流石だと思う。俺も戦闘中は流石に切り替えるけれど、平時から人の目を気にして自分を整えるのは未だにちょっと苦手だ。やっていかなきゃいけないとは思っているんだけどね。
というのも。片田舎で辺鄙な道場主をやっていた頃と違い、今の俺には広範囲で守らねばならないものがある。出来たと言った方がいいか。
それらは時に、俺の独力では如何ともしがたい。ミュイに言いつけた通り、有事の際は他人に頼ることになるわけだが、そうなった時に、少し大げさに言えば俺も清く正しく見られておかないと、正しい権力が発揮されなくなる恐れがある。
まあ平たい話が、普段から誠実に過ごしましょうという、なんてことはない結論になる。けれどそれは今回の件で改めて強く感じた。
俺に多少の権力があったとしても、それを振るう時に誠心誠意他の人が付き合ってくれるかはまた別の問題。そのリスクは出来る限り削っておきましょうということだね。
「……あの、すんません、した」
「ふふ、構いませんよ。ミュイさんも今回の件で、色々と学んだのでしょう?」
「えっと、まあ、はい……」
キネラさんの反応を受け、ミュイはばつが悪そうに謝罪の言葉を発する。よくないことをしたという認識はちゃんとあるようで何よりだ。
あの夜の後、ミュイはしばらく元気がなかった。そりゃ普段通り振舞えと言われても難しい話だろうが、目に見えてしょんぼりしていたというか、そんな感じ。思考の切り替えが比較的早く、俺相手でもあまり弱みを見せたがらないミュイにしては、少々珍しい事態でもあった。
まあそれくらい堪えた、ということだろう。俺も気にかけてはいたものの、率先して声をかけて慰めるまではしていない。こっちから声をかけると甘やかしちゃいそうだったから。
あれだけのことを言った手前、俺も前言を撤回するわけにはいかんからな。その気持ちは幾日か経った今でも変わっていない。あの場でしっかりと咎めるのは大人としての義務だった。
しかし彼女の芯は、なんだかんだで弱くはなかったようで。少しずつ気持ちの整理を付けて、今はこうして各所へご挨拶に向かえるくらいには元気になっている。
事件の後、医者のところへ行こうかという俺の進言を彼女は「大丈夫」の一言で切り捨て、そのまま自分の部屋に籠ってしまった。体調面は本当に問題なかった様子なので、それはそれで一安心ではあるが。
ただ、あの事件を結局どのような形で呑み込んだのか、それはまだ分からないままだった。
俺もかなり強く言った自覚はある。だけど今のところ、剣や魔術を辞めるだとかの戦う術を捨てる方向には向かっていない。一日たっぷり休んだ後、庭で木剣の素振りをしていたことも知っている。
とはいえやはり、本人から直接意思を聞かないことには、はっきりとした確信は持てず。とりあえず強くなることを諦めているわけではない、ということが分かったくらいだ。
俺自身はそれでもいいと思っているけれどね。そもそも魔術師学院で剣魔法を学んでいることすら、俺はルーシーとフィッセルが我が家に訪ねてくるまで知らなかった。自分の小さな去就をわざわざ俺に伝える必要が、彼女の中でなかったともいえる。
なので一旦は、あの事件を経てもなお、強くなることを諦めていない、らしい。これくらいの感覚で俺も接していた。
「――とはいえ、我々の教育が及んでいなかったことも事実としてあります。こちらこそ申し訳ありません」
「いえ、そんな。頭を上げてください」
そんなことを考えていたら、キネラさんはその表情を真剣なものに変えて、頭を下げてきた。慌てて彼女の動きを制する。
教育不足。つまり、ミュイたちに正しい力の振るい方と、正しい現在位置を教え切れていなかった、ということか。
俺としては少なくとも、今回の事件に関して学院側の瑕疵はないと捉えている。無論、教育の範囲だと言われればそうかもしれないが、親代わりと教師、どちらが教えるべき論点かというのは非常に難しい。
ある意味で、未熟者の暴走とも捉えられる今回の一件。魔術師学院は戦う術を教える教育機関ではあるものの、その責を負うのは少なくともキネラさんたちではない。
どちらかと言えば、剣の師として彼女と触れ合っている俺こそが言い聞かせるべきことであった。
「……ありがとうございます。ところでミュイさんは、いつから授業の方へ復帰を?」
「今のところは明日からを予定してます。事情聴取や本人の休息も必要でしたが、概ね整った様子なので。ね?」
「……ん、まあ……」
ミュイも居る手前、この話を引きずるのは互いに得策ではない。キネラさんはミュイの今後について話題を切り替える。
当然のことながら。誘拐事件がギリギリのところで未遂で終わった。良かったね。じゃあ明日からいつも通り登校しようか、とはならなかった。
本人に休息が必要なのは勿論だし、やはり色々と話をしなきゃいけないところもある。事件の直後に話したのはあくまで俺ひとりであり、正式な聴取を受けたわけではない。
というわけでしばらく学院の方をお休みしていたのだが、騎士団への情報提供も終えて、本人もそれなりに元気になり、明日から学業に復帰しよう、となったわけだ。
というか自宅で療養していると結構暇そうだな、と感じた部分もあった。だからこそ庭で素振りしてたんだろうしね。
「忘れることも出来ないでしょうし、すぐに切り替えるのも難しいでしょう。でも、そういう時に学問というものは、案外力になってくれるものです。頑張りましょう……とは軽々に言えませんが、ここはミュイさんを歓迎する学び舎ですから。そのことも忘れずにいてくれると嬉しいですね」
「……うす」
キネラさんには事情のすべてを俺から話したわけではない。けれど、魔法師団の方から情報の共有はあっただろう。
その上で、彼女はこういった言葉をかけてくれる。広義に分類すれば俺と同じ教育者、という括りなるとは思うが、この絶妙な優しさ加減は俺には難しいね。つくづく同じ大人としての経験値の違いってやつを思い知らされる。俺も頑張らなきゃならん。
本来ならミュイも、こうした気遣いに溢れる大人に囲まれて然るべき人間だ。残念ながら最初からそれは叶わなかったわけだが、色々な運や巡り合わせも含めて、彼女の現在はここにある。
それがどんなに恵まれていることか。今すぐそれを実感しろといっても無理な話ではあれど、こういう一時をいつまでも忘れずにいてほしいね。
「それでは、我々はこれでお暇いたします。慌ただしくてすみません」
「いえ、お気になさらず。ベリルさんも、今日はゆっくり休んでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
ちなみに今日は普通に学院が開いている日だ。キネラさんにも仕事がある。そこに面会の時間を差し込んでもらったわけだから、こちらが長居するわけにもいかない。そう思い、席を立つ。
今は学院にいくつかある応接室の一室をお借りしている。やはりこの規模の学び舎となると複数の要人来客などもある様子で、内に外にと学院の教師陣は忙しそうであった。
挨拶の締めに俺への気遣いも頂戴して、主題は終わりとなる。いやしかし、つい先ほども思ったばかりだが、デキる大人の女性というのは正に、キネラさんのような人を指す言葉なのだろう。
「それでは。ミュイ、いこうか」
「ん。あの……ホントに、すいませんでした」
「いいのですよ。もう色んな人に、沢山謝ってきたのでしょう?」
「うっ……まあ、はい」
沢山謝ってきた。キネラさんの言葉にミュイが言葉を詰まらせる。
そうだね、確かに方々に沢山謝ってきた。迷惑と心配かけてすんません、と。あまりそういう行動に慣れていないミュイはそれはもうしんどそうだったが、これも一つの経験であり、ミュイが果たすべき数少ないけじめだ。
ミュイ、シンディ、フレドーラ。その他誘拐された子供たち。彼らが結果的に全員無事だったからこそ思えることだが、この事件を糧に、やっぱり俺としては更なる成長を期待してみたい。
ミュイの人生は決して順風満帆とは言えない。それは今までもそうだし、これからもそう。色々な苦難が襲い掛かってくる。戦う術を学ぶことを選んだのなら尚更だ。俺としてはその助力に出来る限りなってあげたいところである。
とはいえずっと厳しくし続けて、彼女が自信を喪失し続けるのもよくない。これは皮肉にも、おやじ殿の教育方針をある種の反面教師として捉えることで、いくらかは参考になるだろうな。
いや別におやじ殿が間違っていたとまでは言わないけれどね。あの厳しさがなければ、俺は今この場所に立っていない。けれど、それをそのまま継承していくのは違う。ミュイは俺じゃないんだから。
「ふー。どっかでご飯でも食べて帰る?」
「ん……」
応接室を出て、ミュイに一言。時刻はお昼時の少し前といったところ。
まあ小腹が空いてきたのも事実ではあるのだが、こういう時こそ俺が普段通りに接してあげることが、結果として彼女のためになるとも思っている。事件の最中や直後はともかく、一段落ついたなら余計な世話は控えるべきだろう。それを望まれているわけでもなさそうだし。
「えと……オッ……サン」
「ん、どうした?」
学院の廊下を歩き、校庭を抜け、正門を潜ったのち。北区の少し人通りが疎らな通りを歩いているところで、ミュイから遠慮がちに声を掛けられる。
その表情は、やっぱりまだ晴れているとは言い難い。声にも力があるとは言えず、吹っ切れていないことはよく分かる。もしかしたら謝罪行脚で疲弊しているだけかもしれないけれど。
「んっと……」
「うん、ゆっくりでいいよ」
彼女が何かを言い淀んでいると見て、足を止めた。恐らく言葉を選んでいるか、適切な言葉が思い浮かばないかのどちらかだろう。
何かを伝えたいようだが、内容はまだ分からない。こういう時に焦らせてはダメなので、その場に留まって彼女の言葉を待つ。
やっぱりいいとか、なんでもないとか言われる可能性も当然ある。しかしそれは俺から切り上げることではなく、ミュイの言葉で締められるべきだ。
「……アタシさ」
「うん」
どれくらい待っただろうか。体感ではそんなに経っていない気もする。ミュイのために待つのは苦じゃないという可能性もあるけどさ。
そんな俺の感情はさておき、彼女はようやく次の言葉を紡ぎ始めた。お、声の力がちょっと戻っているな。何かを決意したとか決断したとか、そんな感じだろうか。
「強くなる。強くなりたい。シンディも、フレドーラも、皆守れるくらいに」
「……そうか。よく言えたね」
結果として出てきたのは、子供相応のなんてことはない決意表明。戦い方を学び始めた者の大体が通る道でもある。
俺だって世界を救う、なんて大言壮語こそ吐かなかったものの、強くなりたいなんて常日頃から思っていることだ。剣の道を行くのなら尚更必須の心構えである。
だがミュイは違う。別に戦う道を諦めたっていいし、憧れなくてもいい。彼女は戦を生業としていない。
それでも今、俺に向かって改めて決意を述べたのは、きっと彼女の中では大変に大きな決断なのだろう。背景には、友達を危険な目に遭わせた負い目があるのかもしれないし、自分自身が何も出来なかった悔しさもあるかもしれない。
けれどきっかけなんて、ぶっちゃけなんでもいいのだ。それが良いきっかけでも悪いきっかけでも。大切なのは本人がしっかりと目標を定めること。そしてやり通すと心に決めること。
その点で彼女は、しっかりやると決めたと言える。俺に対して宣言するくらいなんだから、折れるつもりはないんだろう。
「じゃあ頑張って、強くならないとね。でも焦っちゃダメだよ。焦りは何も生まない」
「わ、分かってるよ……!」
くしゃくしゃと、ミュイの頭を撫でながら諭す。焦りはマージで何も生まない。焦っちゃダメだと分かっていても人間焦るもんだからな。
剣術に限らず、戦う力というものはすぐには花を咲かせない。長い長い下積みの期間が必要だ。そこで焦った者から大体は脱落していく。その期間をすっ飛ばせるのは俗に天才と呼ばれるごく一部の人間だけ。
俺もミュイも天才ではない。資質はあるにしてもね。だからゆっくりとのんびりと、でも立ち止まらずに強くなる。つまるところ、凡人に出来る修行なんてそれだけなんだ。
「……あと、オッサンも守ってやる! どうせもうトシなんだし」
「おっ、言うねえ。それじゃあ俺がお爺ちゃんになった時は護衛をお願いしようかな」
「ふんっ」
強くなる。その一言を発したことで、彼女も吹っ切れたのだろう。ついでに俺も守ってくれるらしい。大変にありがたいことだ。
ただすぐにそうなっては師としての面目が立たなさすぎるから、俺は俺でまた一つ、頑張る理由が出来ちゃったな。ミュイが一人前になるまで、俺が庇護される立場になるわけにはいかなくなった。
勿論加齢の問題は避けられない。けれどこれは現実を見るよりも意地の領域だ。
そう考えると、おやじ殿の気持ちも少しは分かるというもの。我が子に早々と抜き去られていては親としての、そして師としての沽券に大いにかかわる。そりゃあこそこそ自己鍛錬するわけだよ。
「じゃあ強くなるための第一歩として、しっかりご飯を食べに行こうか」
「……ん!」
まあとはいえ、強くなると宣言したから強くなれるわけじゃない。コツコツと積み上げていくのが大事。そしてその第一歩は、強くしなやかな身体を作ることにある。
つまり飯をちゃんと食べましょうというわけだね。栄養がないと人間でっかくなれないからな、心身ともに。
というわけで、今日のお昼はちょっと良い肉でも食べに行くとしよう。
行こうか、と。自然と繋いだミュイの手を握る。細く、小さく、柔らかい手だ。恐らく時を経るにつれてこの手は大きくなり、硬くなり、頼もしくなっていくんだろう。
その過程と結果を、自分の目と肌で確かめることが出来れば僥倖だ。そのためには俺も一層、頑張らなきゃいけない。
「……手、かってぇ……」
「はははは。一応剣士だからねえ」
ミュイのぶすっとした一言が、俺の心を擽る。そう、剣士の手のひらは硬いんだ。これでまた一つ賢くなったね。
お昼前のやや閑散とした北区の通りを、二人で歩く。
繋いだ手が解かれることは、なかった。




