第294話 片田舎のおっさん、走る
「はっ……はっ……!」
すっかり日が落ちて暗くなったバルトレーンの街並みを、走る。居ても立っても居られなくなり、ついつい家を飛び出してしまった。だって仕方がないじゃないか、ミュイが帰ってこないんだから。
とはいえ、無計画にこの広い都市を探し回ったって意味がない。それで見つかれば勿論ラッキーだが、あくまでそれは特大の幸運であって、大体は時間の無駄になるだろうからだ。
「ふー……!」
上がった息を落ち着かせる。眼前には日が落ちてなお、輝きをともす巨大な施設。即ち、魔術師学院であった。
ミュイは「シンディとフレドーラから誘われて」と言っていた。つまり一人で何処かに行く予定ではなかった。学友たちと遊ぶ予定だったのだ。となれば、彼女の行先のヒントはこっちに転がっている可能性が高い。
勿論、最悪は入れ違いである。なので書置きは家に残してきた。ミュイが帰ってこないので探しに出ています、と。これで俺が意気消沈して帰宅した後、ミュイがしれっとポトフを食べていたら万々歳だな。本当にそうなる未来を祈っている。
「おや、貴方は……」
「剣魔法科臨時講師のベリル・ガーデナントです。すみません、火急の用事がありまして、失礼します」
「え、ええ。分かりました」
学院は騎士団庁舎などと同じく門があり、守衛が居る。国内屈指の教育機関なのだから当然だ。
この辺りも、俺が臨時講師をしていて良かった。普通は止められて色々と問い詰められてもおかしくないところを、一言で通れちゃうんだもんな。
やはりある程度の顔繋ぎというか、面識は持っておくに越したことはない。なんだかだんだんとアリューシアの計画通りに俺の思考が誘導されている気がしないでもないが、今それを立ち止まって考える必要はない。使えるものはなんでも使うに限る。
「さて……どうするかな……」
無事魔術師学院の敷地に踏み込めはしたものの。ここからどう動くかをちょっと考える。大雑把に言えば、寮に行くか職員室に行くかの二択。
心理的な距離で言うと寮の方が行きやすい。生徒たちとの面識もある。シンディとフレドーラが寮生活なら、有益な情報が得られる可能性もある。
職員室は大人の協力が得られるのが大きい。非常事態を伝えればすぐに動いてくれるだろう。とはいえ、時間を取られる可能性が高い。更に俺はキネラさんとフィッセル以外の教師陣とほとんど接点を持っていないから、その意味でも少々行き足が付きづらい部分がある。
「……先生? どうしたの?」
「ッ! フィッセル! 丁度よかった……!」
正門前を潜って数瞬、足を止めたところで。これも巡り合わせか、フィッセルがたまたま俺を発見してくれた。助かった、彼女とすぐに出会えたのは僥倖に他ならない。
「端的に事実を伝える。ミュイがまだ帰ってきていないんだ」
「――分かった。私としても丁度よかった」
「……うん?」
色々と言葉が脳裏を駆け巡るが、まずは事実の伝達を端的に。驚かれるかと思ったが、フィッセルは思いのほかすぐに事情を呑み込んだ。しかし、彼女にとっても丁度よかったというのはどういうことだろうか。
「さっき寮から連絡があった。シンディとフレドーラが居ない」
「……なんだって?」
ピリ、と。空気がひりつく。フィッセルも極めて真顔だ。どうまかり間違っても、冗談を言っている表情と口調ではない。
ミュイのみならず、シンディとフレドーラも帰っていない。魔術師学院に通う生徒が三人、同タイミングで行方が知れなくなっている。れっきとした大事件だ。ただ事じゃあない。
「私は今から他の先生に事情を説明しに行く。ベリル先生はミュイから何か聞いてた?」
「ああ。今日はシンディとフレドーラと遊んで帰る、と言っていたよ」
「……じゃあ」
「巻き込まれてるね、何かに」
事故か事件か、それは分からない。今判明している事実は三人が行方不明だということだけ。
事故ならある意味では仕方がないのだろう。それは極低確率とはいえ、人生を過ごすうちで何かしら起きても不思議ではないことだ。命に別条がないことを祈る。
しかし、事件となれば話は別。それを画策した何某かが居ないと事件は起こらないから。
「この件は魔法師団がもう動いてる。生徒の安全確保も仕事のうち」
「心強いね。頼りにさせてもらうよ」
俺一人で伝手を頼りながらミュイたちを探す、という方法は本当に最後の手段だ。いくらなんでも効率が悪すぎる。
その点、魔法師団が動いてくれるのは大変にありがたい。国の宝でもある魔術師の卵たちはしっかりと保護せねばならんということだろう。その枠にミュイが滑り込めたのも、また僥倖。宵闇の下でスリを続けていては、遅かれ早かれ酷い結末しか待っていない。
「先生はどうするの?」
フィッセルにはこれから魔法師団としての仕事がある。他方、俺にあるのは仕事ではなく、後見人としての務め。
その点で言えば、出来ることは少ない。図らずも、スレナを助けに向かった時と状況は似ているな。しかしそれは、何も出来ないわけではないのだ。
「俺は俺の伝手を使ってみる。学院と魔法師団に説明する手間が省けたのは助かった」
「分かった」
俺の言葉に、フィッセルはただ一言了承を返した。彼女はアリューシアやスレナに比べると一段若いが、情報の飲み込みと取捨選択が年齢の割にめちゃくちゃ速い。しっかりと師団内で鍛え上げられているのだろうな。なんとも頼もしく映るよ。
「遊ぶなら大体は中央区か西区。そっちを重点的に探す。多分、師団の魔術師がそこらに居ると思うから、合流するなら声を掛けて」
「ああ、ありがとう」
必要な情報共有を終えれば、ここで雑談にしゃれ込む必要はない。俺は勿論、フィッセルもそのことをよく分かっている。最後に合流の手筈だけ簡単に示され、俺はそのまま学院の外へ。フィッセルは魔術師学院の先生方にも事態を共有するため、学舎の方へと足先を向けた。
「どうも、ご苦労様です」
「えっ、ああ。はい、お疲れ様です……?」
先程挨拶を交わしたばかりの守衛さんに一言労いを入れ、再び通りの方へ。
まさしくとんぼ返りという表現がぴったりな状況だが、まあこういうこともあるんだと見逃して頂きたい。多少は変な目で見られたかもしれないけどね。
「……うっし、もう一走りか」
すっかり日が沈んだ後では、乗合馬車の本数が格段に減る。つまり、馬車を待っている時間が惜しい。だからこそ俺も自宅からここまで走ってきたのだ。
疲れただなんて、ぬるい言葉は吐いていられない。ミュイの安否がかかっている可能性がある。老骨に鞭を打ってでも走らなきゃいけない場面だし、そういう場面がいつ訪れても動けるように、鍛錬を続けているつもりだからな。
「ほっ!」
いくらか整った息を確認し、走り出す。行先は中央区のど真ん中だ。北区からは少々距離があるが、自宅まで走るよりはまだ近い。自宅との差で言えば誤差みたいなもんだが。
この時間なら少なくとも無人というわけではないだろう。あそこは朝から晩まで、いつも誰かしらが鍛錬しているからな。流石に俺一人で組織を動かすのは無理だが、動かせる人間を捕まえられれば良し。最低限、組織を動かせる人間と話が出来る立場の者を捕まえなければ。
「って、俺がそうか!」
走りながら考えたことに対し、思わず突っ込みの声が漏れる。そういえば俺は特別指南役だったわ。
しかし今回の件で、レベリオ騎士団が動くかどうかは正直なところ微妙だ。魔法師団から正式な依頼があればまったく別の話だろうが、言ってしまえば政治的立ち場にない、たかが個人の問題である。
ただそれでも、俺個人が動く以上は少なくとも報告は上げておかないといけない。アリューシアもヘンブリッツ君も、ミュイとは面識があるから事情は察してくれるはず。
なかなかこの辺り、踏ん切りというか定着のさせどころというか、やや迷いがある。こんな事件が起きれば尚更だ。
俺のこの大層な肩書はいったいどこまで通用して、どこまでが押し込んでいいラインなのか、そういう見極めが難しい。勿論、そんなもんを気にしないでいられたらそれが理想ではあるんだけれど、そうも言ってられない事実が、ここ最近は特に押し寄せてきている。
別に俺自身に権力が欲しいとかそういう話ではなくてね。変わらず平穏に生きていたいというのは本音である。
だがそうでなくなるのならば、相応のモノは欲しい。これは直接的な給金などに限らずそうだ。権力そのものには特に興味がないにせよ、皮肉にも俺の精神と視座が多少高くなってしまったことで、この類の感情が生まれてしまった。
良いことなのか、悪いことなのかは分からない。立場が人を変えるという言葉がぼんやりと頭の中に浮かぶ。
思い返せば、おやじ殿から道場を継いだ時にもそれは起こっていたんだと思う。わざわざ自覚するほど大きな変化ではなかっただけで。良くも悪くも、バルトレーンに招聘されてきてからは激動の連続であった。
そして今、更に新しい波が打ち寄せてきている。内容は決して喜べるものではないがね。
「ふぅっ……!」
ごちゃごちゃと考えながらも、走る足は止めない。そうするといつの間にか、レベリオ騎士団の庁舎前にまでやってきていた。
夜とはいえ、走れば暑い。既に全身が汗だくである。気持ち悪いことこの上ないが、呑気なことは言っていられない。
「おや、ベリルさん……?」
「どうもご苦労様です。ちょっと火急の用件でして。失礼します」
「え、ええ」
夜警を担当している守衛と、魔術師学院の時とまるで同じような会話を交わす。こっちは結構顔なじみなのでより簡素なやり取りで終わった。いわゆる顔パスというやつだな。
有事の際はとてもありがたい。まさかこんなことで実感するとは思わなかったよ。
庁舎にはまだ、明かりがぽつぽつと見える。とはいえこのまま団長執務室などに行ったとて、アリューシアが居るかどうかは不明。というか彼女は無駄な残業などしそうにない。さっさと業務を切り上げて、あるいは終わらせて、今頃自宅で明日への鋭気を養っていることだろう。
となるとやはり、修練場か。闇雲に走り回るより、ほぼ確実に騎士が居るであろう場所を攻めるのが正解かな。
「頼むぞ……」
誰か居てくれという想いを込めて、修練場へと急ぐ。日没を迎えてはいるものの、まだ深夜という時間帯でもない。通常なら熱心な騎士や遅番の者が鍛錬を行っている、ギリギリのタイミングだ。
「……!」
中庭を抜けて修練場に近付くにつれ、いくつかの音が漏れてくる。つまり、誰かが居る。
よし、これで最低限の目処は立った。出来れば新人以外がいいな。いやまあ、贅沢を望んでいる自覚はあるんだけどさ!
「誰か居るかい!?」
ガタン、と。修練場の扉を勢いよく開ける。やや荒っぽくなってしまったが、どうか緊急事態ということでご容赦願いたい。
「ッ!? ベリル殿……!? このような夜分に何か?」
「ヘンブリッツ君……! よかった……!」
俺は、最高なラッキーを引いた。いや、ミュイに起きた事柄はラッキーとは言い難いが。それでも今の俺が自力で引き寄せられる、ほぼ最大の幸運がこれだろうことは想像に難くない。
眼前には、褐色の肉体が逞しい"轟剣"ヘンブリッツ・ドラウト。汗まみれで木剣を振っていた彼の声色と表情が、今の俺には最高に頼もしく映った。




