第291話 片田舎のおっさん、剣先を置く
「悪いね、こんな朝早くに」
「いえ、先生のご要望とあれば何も問題はありません」
ヘンブリッツ君との立ち合いを終えた数日後。場所は変わらずレベリオ騎士団庁舎内の修練場。しかし言った通り今は朝日が昇るかどうかという実に早い時間で、俺たちの他にはまだ他の騎士の姿は見られない。
基本的にここはいつでも開いているけれど、流石に深夜早朝の時間帯ではほぼ人が居ない。そりゃ皆も自分の日常があるし、家庭を持っている人だっている。何より人間には休息が必要だ。一日中修練場に張り付く生活をするような酔狂は居ない、ということだね。
で、今はこの場所に俺と、アリューシアの二人だけ。こんな早朝に付き合わせて悪いとは思うが、どうしても人の目がないところで確かめたかったこともあるので、どうか勘弁していただきたいところだ。
彼女の顔色も、少なくとも悪くは見えない。普段から規則正しい生活を営んでいる証拠でもある。俺も大概早寝早起きだが、本当にアリューシアのタフネスは凄いな。日々の激務をこなしながら十分な休息時間を確保するのは至難の業だと思う。
とはいえ彼女は、指南役として修練場にやってくることはほとんどなくなった。その分事務仕事や交渉事に専念出来ていると見てもいいのだろう。
特別指南役に推薦された当時は焦りも困惑もあったけれど、今となっては彼女の負担を少しでも俺が肩代わり出来ていることを少し誇らしくも思える。そう考えられるようになっただけでも、俺にしては悪くない成長だよ。
「……ふふ」
「? どうかしたかい?」
今日の用件は伝えてある。過日ヘンブリッツ君に伝えた通り、武者修行の一環だ。アリューシア・シトラスというこの国最上級の剣士を相手に、俺の目が今まで以上に通じるのか試したい。この欲求はさほど不自然なものではないはずだ。
と思っていたら、アリューシアが微笑みを零す。
「いえ、まさか先生の方から『腕試しをしたい』と言われるとは……と、思いまして。嬉しさが少し」
「ははは、そうか」
なんとも控えめな、しかし華やかな笑顔で語るアリューシア。
そりゃまあ、道場に引き籠っていた頃の俺では考えられない提案ではある。そのくらいの自覚は持っているつもりだ。それだけ俺が変わったともいえる。
だけど少なくとも、一時の気の迷いだとかそういう類の物じゃない。それもまた自信を持って言えること。今の俺は明らかに自身の成長に喚起しており、俗な言い方をすればどこまでレベルアップ出来るのかが楽しみでならない。
その力を測るための相手にはやはり、アリューシアが相応しい。
「柄にもなく、やる気に満ち溢れていてね。……付き合ってくれるかな」
「勿論です」
改めて、手合わせを申し入れる。
彼女との会話は楽しい。今では素直にそう思えるが、今日は雑談に花を咲かせるための時間を借り受けたわけではない。アリューシアが多忙であることは百も承知なので、用件は出来る限り手短に済ませるべきだろう。
ちなみにだが。彼女には俺がヴェスパーに不覚を取ったことと、目の変化について伝えていない。前者はもしかしたらヘンブリッツ君とかが伝えているかもしれないが、少なくとも俺の口からは、というやつだ。
また後者についても、俺自身がその変化について確証を得られていなかったため、彼女に伝えるタイミングがなかった。それに結果としてこうやって手合わせをするのだから、余計な前情報はない方がお互いに都合がいいだろう。
俺だって、この目がどういう条件で"視える"ようになるのか、その詳細までを把握しているわけではない。自由自在に出し入れ出来る類のものでもないはずだから、見えたら見えたでそれに従えばいい、という実にアバウトな捉え方をしている。
これが、俺の知る限り最速を誇る"神速"相手に通じるのか。逆説的に言えば、アリューシア相手に通じればほとんどの相手は見えることになる。
「それじゃ、よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いいたします」
俺たちの声と、ただ歩く音だけが響く修練場。地元の道場とは比べ物にならない広さだけれど、その分静かになると何とも言えない空気が醸し出される。
静謐、とでもいうべきだろうか。日々鍛錬を行うある種神聖な場所だとの認識があるから、そう感じるのかもしれない。更にはここは、国一番の武を競う騎士たちの場所だ。ただの田舎の道場とはわけが違う。
そんな空間で、俺とアリューシアは互いに構えを取った。静まり返った修練場の空気が、鋭利なモノに一変する。
……やはり、たとえ模擬戦であっても。剣を構えた瞬間の張りつめた空気は好きだ。仮にその先に自身の敗北が待っていたとしても、代え難い何かがある。俺も立派な剣に魅入られた人間の一人、ということなのだろう。
「……」
構えを取って数秒。互いに動かない。
俺はもともと後の先を取るタイプだ。先手を取って押し切るスタイルではない。アリューシアはその初速から圧倒的な先の先を取れるタイプだが、わざわざ俺から腕試しをしたい、なんて申し出た内容を吟味していると見たね。様子を伺っている、といったところか。
「――ふっ!」
このまま延々と睨み合っていても埒が明かない。戦局を動かすという意味でも、俺から少し仕掛けてみよう。腕試しを申し込んでおきながら待ち一辺倒も、ちょっと情けないしね。
踏み込んで、横薙ぎを放つ。彼女なら当然この程度容易く躱すか防ぐ。だから次の手も考えながら打ち込む。
「はっ!」
しかし、初手から木葉崩しを合わせられることは、ちょっと想定していなかった。アリューシアは俺の踏み込みに対して腰をやや落として迎撃の態勢を取り、俺の木剣を巻き取とろうする。
「……っとぉ!」
危ねえ、一発目から不覚を取るところだった。重心を奪い取られる前に、素早く木剣を引き戻す。ついでにその勢いで突き。彼女も巻き取ろうとした木剣の動きは多少なり時間のロスになるはず。
「ッ!」
俺の突きはしかし、彼女が素早く後退することによって空を切る。相変わらず凄まじい重心移動とバネだ。歩法という領域の精度においては、俺を遥かに凌駕していると断言していい。これを正攻法で捉えるのはマジで不可能だろ、本当に。
「――」
アリューシアが後ろに飛び退いた直後。またしてもあの現象が俺を襲った。
流石に三回目ともなると心が慣れてくるね。未来が見えるというと恰好がつき過ぎるけれど。
彼女はどうやら、一度左に大きく振れて俺の視界と間合い、そしてタイミングを外しつつ突進してくる腹積もりらしい。
なんとも不思議な感覚だ。読み合いの延長ではなく、数瞬後に起こり得る未来が見えるっていうのは。
「……一本」
「――ッ!?」
見えたなら、後は身体に任せる。俺が取った選択肢は、左に振れたアリューシアの行先に踏み込んで、木剣を突き出すこと。
どちらかと言えば俺が剣撃を放ったというより、置いた剣先にアリューシアが突っ込んできた、と表現した方がいくらか正しいかもしれない。彼女の移動した先、その首元に、俺の木剣が置いてあったんだから。
「……参りました」
「うん。ありがとうございました」
流石にこの状況は予想していなかったんだろう。未だ少々の混乱を見せたまま、彼女は礼を取った。
いや、俺も納得しているかと言われれば微妙なところだけどね。でも折角手にしたものは使わないと勿体ないじゃないか。それが剣の道を行く上でこの上なく有用なものなら、尚更。
「……始動を制されたのは、初めてかもしれませんね」
「ははは」
礼を取った後、アリューシアが言葉を零す。なんだかヘンブリッツ君と同じような反応だ。
まあ俺自身びっくりはしている。まさかこんな成長の余地が残されていたなんて、普通は考えない。だからこそ愚直に剣技を磨く方向で長年頑張ってきたわけだし。
無論、その下積みあってこそだろうとは思う。いくらか先が見えたって、その事象に対する回答を身体と頭が持っていなければ、それは即ち宝の持ち腐れだ。見えていても、動けなければ意味がない。
その意味では、俺の努力は正しく開花したのだと思える。開化の方向性はちょっと予想外ではあったけれども。
「やはり、何かが変わられましたか」
「うん? そうだなあ……変わったと言えば、変わったね」
一息ついた後、アリューシアが今度は完全に動揺を収めて言葉を発した。
変わったと言えば変わった。具体的に何が、という突っ込みが来ないのはありがたいことでもある。俺自身、ちゃんと説明出来る自信が今のところない。
きっとこれは前向きな変化で、俺も幾ばくかの自信は持っていいのだと今では思えるようになった。
とはいえ、実際に心の置き所というやつは難しい。増長するつもりはないにせよ、鼻にかけるつもりは元よりないし、ずっと遠慮して縮こまるのもきっと違う。
まあこのことに気付けたのは、バルトレーンに居を移したおかげでもある。ミュイの存在もあり、ただただ卑下するのは良くないと気付けた。つくづく、巡り合わせと弟子たちに感謝だね。
「ふふ。私も負けていられませんね」
「それでこそ剣士だ。君はまだまだ伸びる。俺が保証するよ」
本当に反応の仕方と順番がヘンブリッツ君と同じだなあ。やはり一流の剣士はその辺りの思考回路も似通るのだろうか。
でも言った通り、彼女にもきっとまだまだ伸びしろがある。現時点が到達点であると決め込む必要は何処にもない。俺自身がそれを証明出来たからね。
「ところで、そろそろ種明かしをして頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、うん。種明かしっていうほど大層なものじゃないと思うけど――」
さて。剣士としての興味はやはり、俺が神速とも呼ばれる彼女の動きを完全に先読みし、剣を置いたカラクリについて。
当然彼女も気になるだろうし、俺としてもアリューシアに対して秘匿する必要性は薄い。みだりに言いふらしはしない信頼もある。それに彼女なら、荒唐無稽だと一笑に付すこともしないだろうしね。
「……という感じでね。時々、少し先が見えるというか……」
とはいっても。俺自身がその理屈をちゃんと説明出来ないのが少しもどかしい。どうしても抽象的な表現が多くなる。なんとか伝わっていることを祈るばかりであった。
「――凄まじいですね。先生の目は、もとより大変優れていると認識していましたが……」
「はは、ありがとう。これも努力の賜物、かな」
一応俺の拙い説明でも、アリューシアは理解してくれたらしい。ありがたい。
まあ俺も大っぴらに言いふらすつもりもないし、そもそもこの現象がずっと続く保証もないわけでね。先が見えるならこれから無敵じゃん、とは考えられない。その辺り、俺は性格の本質が保守的なんだろうと思うよ。
それに前提として、この目を活かせる技量と知識は維持しなければならない。となると、これからは鍛錬を多少サボってもいいや、にはならないのである。剣の頂は、かくも長く険しい。
「でも、君ほどの速度を誇る相手に通用した事実は大きい。より確信が深まったよ」
「悔しくないと言ってしまえば嘘になりますが……それでも、先生の更なる飛躍を目に出来ることは、喜びが増しますね」
「ははは、恥ずかしいねえ……」
更なる飛躍。彼女が俺にそれを求めているのはなんとなく分かっている。まあ俺も行けるところまで行ってみたいという欲は再燃したことだし、きっと突飛な言葉でもない。
けれど、これはあくまで俺が俺自身に課した新たな目標であって、人に期待されるとやっぱり少し、気圧されちゃうね。そういった部分も含めて、更なる精進は必要なんだろうな。
「後はこの目のことも、色々と検証したいね」
「ええ、恐らくもう間もなくやってくるはずですが――」
アリューシアに通用することは分かった。だがこれはあくまで瞬間の動きの先読みでしかない。勿論それだけでも十分強いんだが、それ以上の柔軟性があるのか、あるいはどこまでが限界なのか。それを探る必要がある。
いや、仮に必要がなくとも、俺に興味がある。つまり、それを試せる相手とどんどん打ち合いを重ねたいということだ。
「おい、シトラス」
その相手にも声を掛けてある。で、件の人物はもう間もなくやってくるはず。
彼女がその旨の言葉を零した直後。騎士団庁舎の修練場ではまず聞くことがないであろう、凛とした女性の声が響き渡った。




