第290話 片田舎のおっさん、身を委ねる
「せいぃっ!!」
「きぃぇあああッ!!」
早朝のレベリオ騎士団修練場。朝だろうと夜間だろうと、ここは基本的に騎士たちの気合と活気で満ちている。今日も各々が元気に木剣を振るっているところであった。
「ふむ……」
騎士の打ち合いを眺めながら、ここ数日考えていたことを整理する。あ、ちなみに脇腹の痛みは治まりました。やっぱり骨まではいってなかったようで何よりだよ。
さて、過日に感じた目の違和感。こいつは結局、他人の立ち合いを眺めている時には出てこないらしい、ということがまず分かった。
痛みで満足に動けないとはいえ、それはあくまで満足な戦闘機動が取れなくなっただけであり、指南のみに限れば問題はない。故に今までと変わらず庁舎の方には顔を出していたのだが、どうやら自分自身が立ち合わないと、あの現象の再現は出来ない、ということが分かったのである。
いやまあ、なんとなく予想はしていたけれどね。人の動きが常に未来予知じみた見え方をするのは現実的じゃない。何より普通に不便だ。四六時中そんな視界では、まともな生活が送れなくなってしまう。
漫然と見ているだけでは駄目なのかな、と思って、人の立ち合いを真剣に眺めてもその結果は変わらなかった。ということは、少なくともあの現象を再現するには自分自身が立ち合う外ないわけだ。
そもそも指南役となる前から、人の立ち合いは真剣に見ている。断じてぼけっと眺めているわけではない。それでも出てこないということは、そういうことなんだろう。
そして問題の立ち合いだが、これは念のため俺の負傷が全快するまで待つことにした。故にまだ検証が進んでいない。
軽いものであろうと、怪我を押して無理をして、更に怪我を負う悪循環は避けたかったから。
とはいえ、ヴェスパーから食らった剣撃の傷はもう癒えた。今日からぼちぼち本格的に動き始めようかな、という頃合いである。
後は適切な練習相手、というと言葉が悪いかもしれないが、感触を確かめる相手を選びたいところ。
ヴェスパーに一本を取られておいて何を、と思われるかもしれないけれど、なんというか、偶発的な事故と覚悟を持って臨むのとでは、ちょっと心の持ちようが違うわけでね。
具体的な説明が難しい。これはただの稽古ではなく、俺自身の具合を確かめる立ち合いとなる。そこに極力余計な思考や遠慮を入れたくはない。無理やり言語化するならば、そんな感じであった。
「おはようございます」
「やあ、おはよう」
早朝の修練場で稽古を眺めつつ、軽く準備運動をしていると後ろから一声。副団長のヘンブリッツ君の登場だ。
相変わらず、彼の登場頻度は極めて高い。俺もほぼ毎日ここに顔を出しているけれど、彼がいなかったことの方が多分少ないんじゃないかな。毎度思うことだが、ヘンブリッツ君のスタミナには驚かされるばかりである。
今でも十分すぎるほどに強いが、それでも飽くなき武への探求心を持っている。それでいて謙虚であり、一方で副団長としての威厳にも満ちた、好い男だ。アリューシアと彼が居れば、この騎士団は少なくとも二人が引退するまでは安泰だろう。
「体調の方はどうです、ベリル殿」
「ああ、ここ数日楽をさせてもらったんでね、大丈夫だよ」
そして俺への気遣いも忘れない。繰り返すけれど本当に好い男だよ彼は。これで浮ついた話が一つもないんだから、世の中の仕組みってやつはどうにも分からんね。
「さて、と……」
ぐっと足を伸ばしながら、ヘンブリッツ君を見る。
考えていた、立ち合いの相手。ずっと候補として浮かんではいたが、やっぱり彼が一番良い相手なんだろうな。諸々を考慮すると、自ずとそうなる。
「ヘンブリッツ君。来たばかりで悪いけど……一手、付き合ってもらえるかい」
「! ――ええ、私でよろしければ、是非」
俺の言葉に彼は一瞬だけ反応が遅れる。しかしそのすぐ後には、声色と姿勢を整えて返答を紡いだ。
ヘンブリッツ君は、俺がヴェスパーに不覚を取ったことを知っている。その瞬間までは流石に見ていないと思うが、俺が負けた事実を知っていることに変わりはない。
その上で、遠慮なく当たってくれる人。そして生半可な腕ではない者。そうすると彼しかピンとこないわけでね。
これが果たして俺の目の更なる成長なのか、それとも老いなのか。その判断を彼との立ち合いの結果に委ねようというわけだ。俺がそこまで含んだ言葉を発したわけではないが、ヘンブリッツ君も何となく察した様子ではあった。
剣士同士のこの空気感、俺は嫌いじゃないんだよな。勿論、口で語る方がいい場面だって沢山ある。だけど語らずとも伝わることもある、というのは悪くないものだ。それが一流の剣士と交わるのなら、なおのこと。
「それじゃ、君さえよければ早速お願いしたいかな」
「はい、承知いたしました」
手早く了承を取り、修練場の端から少し移動する。
初めてここに訪れた時と違って、俺とヘンブリッツ君が打ち合うこと自体は決して珍しいことではなくなった。俺も彼も暇さえあれば武を高め合う仲だから、模擬戦を行った回数はぶっちぎりで多い。
だから今更、特別な視線を集めることはない。ただ指南役が副団長と打ち合う、それだけであった。
「……ふぅ」
立ち合いを開始するまでの僅かな間。俺はあの現象について、一つの方向性と可能性を検討していた。即ち、次にあれが見えても余計なことを考えるのは止めよう、ということ。
要するに、ああだこうだ考えていても結局身体は動かないし、最終的には積み重ねてきた鍛錬がモノを言うんだと割り切るってことだね。事実、少なくとも剣術においてはそうだと考えている。咄嗟の時に飛び出すのは大抵、身体に染み込んだ反射だ。
となれば、あんな不可思議な現象を捉えた上で、更にそれが起こることをあらかじめ勘案した上で。それでもなお俺の身体が追随しなかったら、それはもう老いだろうと。目よりも先に肉体にガタが来たということだろうと。
そういう覚悟を持って、立ち合いに臨む。幸いながら、その覚悟をぶつけるには何一つ不足のない相手だ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はっ」
互いに距離を取って、礼。その後は互いにオーソドックスな中段の構えを取る。
始まりの合図も何もない。これはただの模擬戦であり、この修練場内では飽きるほど繰り返されている打ち合いの一つ。周囲の喧騒に呑まれ、俺たちの立ち合いは相対的に大変静かな立ちあがりであった。
「――カァッ!」
「ッ!」
構えた直後、ヘンブリッツ君が突撃を見せる。遠慮など微塵も感じられない気迫と勢いだ。やはり打ち合いは、こうでなくてはならない。無粋な遠慮など不要だと、改めて感じさせてくれる踏み込み。
突っ込んできた初手は突き。切っ先に木剣を添えて弾く。すると彼はその弾きを体幹で堪え、上段からの真向斬りに繋げた。
おお、二手目の上段はあまり見かけない連携だな。確かに有効な手札ではある。特にヘンブリッツ君のような膂力に優れる手合いなら、とてつもない突破力と破壊力になるだろう。
「ふっ!」
彼の上段を受け止める選択肢はない。絶対に当たり負けするし、下手をしなくとも木剣が折れる。ので、木剣を宛がって勢いを削いでいなす。
「つおおっ!」
力の向きを変えられた木剣は俺に当たることなく、上から下へと振り下ろされていく。しかし彼は自慢の膂力でもってその勢いを無理やり殺し、続けざまに切り上げを放つ体勢に入った。
「――これか」
その瞬間。
ヴェスパーとの立ち合いで得た、不思議な感覚。それとの邂逅を、俺は果たした。
見えたのだ。角度をつけた切り上げを放ち、今度はその勢いに乗って回転斬りに繋げるヘンブリッツ君の剣筋が。
今度は戸惑わない。
少しだけ未来の、そして不確定の事象を覗き見た俺は、この時点で考えることを止めた。
どう動けばいいのかは、身体に染みついている。見てから反応しているのではだめだ。目に追いつけない。見えたと同時、剣士の本能に身を委ねる。その判断を躊躇わない程度には、俺は自身の半生を剣に捧げてきた自負がある。自信はまだ、ちょっとないけどね。
これで身体が動かなかったら? その時は、その時だ!
「……一本」
「……参りました」
結果として。
俺の身体はヘンブリッツ君の切り上げを半身で躱していて。俺の剣は彼の回転が始まるよりも早く、標的の首筋に届いていた。
うん、なんとなくだが分かった。これはやっぱり、目の方が更に良くなったと考えていいんだろうな。
俺は目がいい。ただこれはあくまで動体視力が優れているというだけだ。いやそれでも十分凄いモノではあるんだが。おやじ殿とお袋改めて感謝。
で、今までの俺は目が捉えた動きに対して、反応していた。後の先というのはつまりそういうことである。
けれど、先程のような状況に入るとその反応ですら遅い。考えて動こうとしては僅かに遅れる。そうすると、目に映っている情報と俺の身体の動きがチグハグになる。思っていたのと違う、となるわけだ。
だから身を委ねなければならない。じゃないと目に映った情報を活かせない。自分で考えていてめちゃくちゃな理屈だとは思うが、実感ってやつは時に理屈よりも大切なんでね。
こいつが正確にどういう条件下で発生するのかなど、分からないことは未だ多い。けれど、この年齢になって新たな境地に立ち入ることが出来たのは僥倖でもある。既にピークを終えたと思っていたこの身体にも、まだ伸びしろがあることが分かったから。
伸びしろがあるという自覚は大きい。自身の成長がここで止まったわけではないと確信を持てる。つまり、今後の修練にも一層身が入るというものだ。これほどありがたいことはない。
いやあ、なんだか一世一代の大博打に勝ち切った気分だね。賭け事を好む性格ではないはずなんだけどさ。
「……躱されるのではなく、始動を抑えられたのは初めてです。ベリル殿、また一段と磨きがかかりましたか」
「そう映っていると嬉しいね。だがそれも、君たちの存在があってこそだと俺は思うよ。……ありがとうございました」
「は、ありがとうございました」
ヘンブリッツ君から感嘆とも呆れとも取れるお言葉を頂き、模擬戦を終える。
この言葉は嘘じゃない。俺一人では決して辿り着けなかった場所でもあるし、アリューシアに連れられてバルトレーンに来なければ成せなかったことでもある。無論、すべてがすべて良いことばかりではなかったが。
新鮮な生活、刺激的な相手。それらが俺の立つ位置の高さを少し、後押ししてくれた。そう捉えるのが妥当だろう。だから嬉しくはあるけど、誇る気にはまだちょっとなれない。
いつか、自分自身が立つ場所の高さに、俺自身が納得と自信を持つ時がやってくるのだろうか。まあ多分、やってきたらそこが本当の到達点であり、同時に終着点だろう。
そう考えるとまだまだ道のりは遠い。遠いが、進み甲斐がある。どうかその道程が、途中で途切れたりしないことを祈るばかりであった。
「しかし、私も普段の鍛錬は怠っていないつもりですが……いやはや、勝てる気がしませんね」
「珍しいね。君が弱音とは」
「弱音かもしれませんが、悲観はしていませんよ。あくまで現時点では、の話です」
「うん、その意気だ」
勝てる気がしない。ヘンブリッツ君ほどの練達にそう思われることは悪くない気分だが、誰だって壁の一つや二つにはぶつかるものだからな。俺だって長年、おやじ殿という壁に阻まれ続けてきた。今度は俺が誰かを阻む立場になった。それだけのこと。
とはいっても、その壁を乗り越える、あるいは壊す心意気がないと、一生そこで足踏みする羽目になる。俺の場合は辛くもその壁を乗り越えられたわけだが、ここから先に新たな壁がない保証なんてどこにもない。
あ、ルーシーは例外ね。あいつは壁とかそういうチャチなもんじゃないから。
「さて……と。すまない、少し外すよ。すぐ戻る」
そして、俺自身が老いではなく成長したという実感を得たことで。俺にしては随分強気な、剣士としては至極真っ当な欲が擡げ始めていた。
その欲に従って、少し修練場を空けさせてもらおう。こういうのは思い立ったが吉日というやつだ。
「え、ええ。分かりました。……どちらへ?」
俺の言葉に了承を返したヘンブリッツ君だが、やや疑問が漏れている。いや、疑問というより興味といった方が正しいかな。少なくとも否定的な感情はなさそうであった。
修練場に指南役として赴いた時、俺が席を外すことはあまりない。短時間に集中して指導し、スパッと切り上げるのが俺の流儀でもある。珍しい行動と言われればその通りだとも思う。
ただまあ、一度剣士の欲求に火がついてしまったら、これを鎮火させるのはなかなか大変だ。
柄にもなくテンションが上がっている自覚がある。時々、これがただの思い上がりだと思い知らされることもあるのだが、その時はその時だ。幸か不幸か、行き止まりには慣れているからね。
おっと。考えるのもそこそこにして、ヘンブリッツ君の疑問に答えねばならない。自身の内に新たにくべられた炎を宥めつつ、俺はいつも通りに言葉を発した。
「んー……武者修行の申し入れ、かな」




