父はいない
「ねぇ、母さん。僕の父さんってどこにいるの?」
擦り傷を膝や肘に作って帰ってきたヨシュアはただいまも言わずに母に尋ねると、母はカタカタと小さく震えだした。
「おおおおと、おと、お父さん? って、何かしら?」
「僕の父さんだよ!」
「お、お父さんなんていません! アナタにお父さんはいません!」
「もしかして……死んだの?」
「違います! アナタが生まれる前も生まれた後もお父さんなんていません!」
「別れたの?」
このとき7歳のヨシュアは無邪気にもそう尋ねた。
そして、ヨシュアのその一言に母は更に動揺をみせた。
「別れたんじゃありません! 最初からいないのです! 私は一人でアナタを作って産んで育ててるんです!」
母のあまりの動揺振りに、父親の事を聞いてはいけないのだ、と賢いヨシュアは悟った。
そして、人間は父がいなくても子供は出来る物なのだ、と知った。
***
「ほ、ほーう。なるほど……君は一人で子作りしたわけか。へーえ? どうやって受胎したのかなぁ? あ、もしかして処女懐胎? それとも細胞分裂?」
ある日の夕食時、あまりにも仏頂面のヨシュアに父が「そんなに私が気に入らないの?」と、ニヤニヤしながら聞くと、ヨシュアはあのときの母との会話を一言一句、動揺振りまで間違いなく再現した。
「だからアンタは僕の父さんなんかじゃないんだ」
「なるほどね」
父は、勝ち誇った顔をするヨシュアの頭をクシャっと撫でた。
それから、「良い事聞いちゃったー」という顔を母に向けた。
「こ、言葉のアヤ、というか……その、いろいろと、あの、えと……ん、と。あ、私、そろそろ出掛けなくちゃ……」
「ミランダ。こんな時間にどこに出掛けるの?」
「そうだよ、母さん? もう外暗いから危ないよ」
「いえ、今日中に、今すぐ出掛けなければならないのです!」
「あ、そ。じゃあ、気を付けてね」
「い、行って来ます」
やけにあっさりな父の気が変わる前に母はガタガタと慌しく席を立ち、いそいそとキッチンを出ようとした。
「じゃあ、私はヨシュアに正しい子作りでも教えるとするか。ヨシュアも知りたいよね?」
「何それ?」
「良い? 子供はお母さんだけじゃ作れないんだよ」
「え? マジで? さっさと教えてよ。僕、ナツと結婚して子供たくさん作るんだから」
「はっはっは。そうかー。あのお譲ちゃんも泣いて悦ぶよ」
「へぇ。ナツも喜ぶんだ。さすがエロオヤジ。産み分けとかも教えてくれるの?」
「オヤジじゃなくて、お父さんと呼んだら教えてやろう」
父子の会話に母はピタッと動きを止めると、ギギギ、と軋んだ音を立てながら振り向いた。
あんな事を私の可愛い息子に教えるの?
あの顔。絶対、ロクでもない事を教えるつもりだわ。
即ち、将来のお嫁さんが悲惨なことに……
どこから見ても瓜二つの父子の顔を見て、息子の将来よりもそのお嫁さんの将来が不安になってきた。
「わ、私、間違えてたみたい。今日は出掛けなくて良い日でした……」
「そうだよね。君は今日に限らず一生僕以外に用事はないはずだよね」
「あああああ。ううううう……」
「じゃあ、先ず、ミランダに正しい子作りを教えないと。子供はもう寝ろ」
「あ、わ、私、今夜はヨシュアとお風呂に入ってからヨシュアと一緒に寝る約束をしていたんでした! 今思い出しました!」
「ああ。なら、私も一緒に入ろう。そうだね。そうすればヨシュアも子作りが分かる――」
「私! 今日、コンスタン様と二人っきりでお風呂に入る予定でしたわ! すっかり勘違いしてしまって、ホホホホホ!」
父は「子供はさっさと寝ろ」とヨシュアに告げると、席を立ち母の背中に手を添えた。
「うふふふ。君から誘ったんだからね」
この後、ヨシュアは父と母のお風呂をちゃっかり覗き見ていたとかいないとか。