第31話 村の火
三島から箱根へ向かう山道は、朝の光が差しているはずなのに、どこか薄暗かった。
木々の間を抜ける風が冷たく、鳥の声も聞こえない。
私は歩きながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
──静かすぎる。
箱根へ向かう途中に、小さな村がある。
旅人が休む茶屋が一軒、畑が広がり、子どもたちが走り回るような、穏やかな村だ。
だが、その村の入口に近づいた瞬間、私は足を止めた。
焦げた匂いがした。
ただの焚き火ではない。
家が燃えた匂いだ。
村の入口に立つと、黒く焼け落ちた家が一軒。
屋根は崩れ、柱は炭のように黒くなっている。
村人たちが桶で水をかけていたが、火はほぼ消えていた。
「何があった」
私が声をかけると、村の男が振り返った。
顔に煤がつき、目が赤い。
「黒い陣羽織の連中が……突然来て……」
「葛山十兵衛か」
男は強く頷いた。
「葛山って名の男が……
“宗易を呼べ”と言っていた。
お前を呼び出すために、ここを焼いたんだ」
私は胸の奥が冷えた。
葛山は兵糧でも道でもなく、
**私を狙って動いた**。
村の奥から、老人がよろよろと歩いてきた。
杖をつきながら、私の前に立つ。
「宗易殿……あの男は、お前の名を知っておったぞ」
「何と言っていた」
「“宗易を箱根へ誘い出せ。
あいつは必ず来る”と」
葛山十兵衛は、
私の行動を読んでいる。
老人は続けた。
「黒い陣羽織の連中は、村人を殺しはせなんだ。
だが……“宗易を呼ぶためだ”と言って、
この家だけを焼いた」
私は焼け跡を見つめた。
家の前には、壊れた木桶、焦げた畳、
そして、火の粉を浴びたままの玩具が落ちていた。
葛山は、
“恐怖”ではなく“意図”を持って動いている。
村人を無差別に殺すのではなく、
“宗易を誘い出すために必要なだけの火”を使った。
その冷静さが、むしろ恐ろしい。
「宗易殿……」
男が震える声で言った。
「葛山は、箱根へ向かったようです。
“宗易が来る”と、そう言って……」
私は深く息を吸った。
葛山は挑発している。
逃げるか、向かうか。
その選択を迫っている。
だが、葛山の狙いは挑発ではない。
**“宗易が箱根へ来る”ことを前提に動いている。**
私は村人に礼を言い、
焼け跡をもう一度見つめた。
焦げた木の匂いが、
葛山の意図を突きつけてくる。
──来い。
──お前を待っている。
そう言われているようだった。
私は踵を返し、箱根へ向かう道を歩き出した。
葛山十兵衛。
北条を揺らし、東国を荒らし、
そして今は──
私を狙っている。
逃げる理由はない。
私は歩きながら、
葛山の言葉を思い返した。
“宗易を呼べ。あいつは必ず来る。”
葛山は私を理解している。
私がどう動くかを読んでいる。
ならば──
その読みを、逆手に取る。
私は箱根の山道へ足を踏み入れた。
霧が濃くなり、
風が冷たく吹き抜ける。
葛山十兵衛。
お前の狙いが何であれ、
私は行く。
──影は、影を追う。




