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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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30/156

第30話 北条家の動揺

 三島から戻った私は、

 すぐに大道寺政繁の屋敷へ向かった。


 政繁は地図を広げ、

 箱根の地形を見つめていた。


「宗易殿。

 葛山は動いたのですね」


「はい。

 次の狙いは箱根です。

 北条の喉を押さえるつもりです」


 政繁は深く息を吐いた。


「……最悪の場所だ」


 そのとき、屋敷の外が騒がしくなった。


「政繁様!

 氏政様がお呼びです!」


 政繁は眉をひそめた。


「この時に、か……」


 私たちは急ぎ小田原城へ向かった。


 城内は落ち着きがなく、

 兵たちが慌ただしく走り回っている。


 政繁が小声で言った。


「宗易殿。

 今日は“家中の会議”だ。

 あなたも同席してほしい」


「私が……?」


「葛山の動きを知る者は、あなたしかいない」


 政繁に案内され、

 私は北条家の重臣たちが集まる広間へ入った。


 そこには──

 氏政、松田憲秀、江雪斎、そして重臣たちが並んでいた。


 氏政が苛立った声で言った。


「葛山十兵衛が三島に現れたと聞いた。

 だが、所詮は裏切り者の浪人だ。

 大した脅威ではあるまい」


 政繁が一歩前に出る。


「氏政様。

 葛山は浪人ではありません。

 軍を持っています。

 しかも、背後に“徳川の家臣”がいます」


 広間がざわめいた。


 松田憲秀が口を挟む。


「徳川だと?

 証拠はあるのか」


 政繁は私を見た。


「宗易殿。

 話していただけますか」


 私は前に出た。


「葛山は三島で徳川の家臣と会っていました。

 箱根を押さえろという指示を受けていました」


 憲秀が鼻で笑った。


「そんな話、誰が信じる。

 徳川が北条を攻める理由がない」


 江雪斎が静かに言った。


「憲秀殿。

 徳川は“理由があれば動く”のです。

 その理由を作るために、葛山を使っている可能性がある」


 憲秀の顔が険しくなる。


「江雪斎殿は、徳川が北条を裏切ると言いたいのか」


「裏切る、ではなく──

 “利用する”と言っているのです」


 氏政が苛立った声で言った。


「もうよい!

 徳川が動くはずがない。

 宗易とやらの話は、どこまで信用できるのだ」


 私は氏政を見た。


「信用するかどうかは、北条の判断です。

 ただ──

 葛山は箱根へ向かっています。

 それだけは確かです」


 氏政は黙り込んだ。


 政繁が続けた。


「氏政様。

 箱根を押さえられれば、

 北条は東国で孤立します。

 兵糧も援軍も動かせません」


 憲秀が言う。


「ではどうする。

 箱根に兵を出すのか」


「出すべきです」


 政繁は即答した。


「葛山を放置すれば、

 北条は“動けぬ家”になります」


 氏政は腕を組み、

 しばらく沈黙した。


 その沈黙の重さに、

 広間の空気が張り詰める。


 やがて氏政は言った。


「……箱根へ兵を出せ。

 だが、少数でよい。

 大軍を動かす必要はない」


 政繁の表情がわずかに曇った。


「少数では、葛山の軍に対抗できません」


「うるさい。

 北条は大軍を動かす余裕がないのだ」


 江雪斎が静かに言った。


「氏政様。

 今は“余裕があるかどうか”ではなく、

 “動かなければならぬ時”です」


 氏政は江雪斎を睨んだ。


「江雪斎。

 お前は黙っておれ」


 広間が凍りついた。


 江雪斎は何も言わず、

 ただ深く頭を下げた。


 政繁が私に小声で言った。


「……北条は揺れている。

 この揺れが、いずれ“崩れ”になる」


 私は広間を見渡した。


 葛山十兵衛が狙っているのは、

 北条の喉──箱根。


 だが、

 本当に危ういのは、

 北条の“内部”なのかもしれない。


 会議が終わり、

 私は政繁と共に広間を出た。


「宗易殿。

 あなたには、箱根へ向かっていただきたい」


「葛山を追うためですね」


「ええ。

 北条の兵は少ない。

 あなたの“目”が必要です」


 私は頷いた。


 ──葛山十兵衛。

 ──徳川の影。

 ──揺れる北条家。


 箱根は、

 そのすべてがぶつかる場所になる。


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