八十三話-わざと
パルレのスパルタ教育は加速していった。平日は毎日、休日もリーリエの屋敷に現れる始末。故にトオルは早朝に屋敷を脱出した。逃げ先は一つしかない。ステラの所だ。スラムという立地もいい。パルレが追いかけてくることもないだろう。
急な訪問にも関わらず、ステラは快く迎えてくれた。
部屋に着くと、既にお茶と軽食が用意されている。従僕が運んでくれたのだろう。トオルは礼を言い、お茶に口をつけてから愚痴をごぼした。
「パルレから匿ってくれ。家まで来るんだ。クロとニクルも応援しているし、大手を振って送り出される」
クロとニクルだけでなく、主人であるリーリエも乗り気なのである。屋敷でトオルのサボりを許す者はいない。
もとより、サボった事はないが。
「私の家にも来ていますよ。服の案、似合う歩き方がより魅力的かと相談に」
ステラはお茶を飲みながら、視線だけ部屋の端にある本棚を見た。人の頭ぐらいの高さになる紙束が置かれている。ステラらしかぬ乱雑な置き方で、あれがパルレの持ち込みなのは明らかだった。
「悪いね。君には色んなことに付き合わせている。嘘にもさ」
トオルは申し訳なさから、ステラの隣に座って彼女に触れる。
が、それ以上進めない。冷静に考えて、恋人に浮気相手の相談に乗らせているわけだ。パルレとキスするためにステラに力を借りたこともあって、トオルがパルレの恋心を利用していることは知られている。
しかし、そんなことで止まり続ける男でもない。動揺はすれど、鈍りはしないのだ。トオルはステラを抱き寄せ、彼女の頭を自分の膝の上に誘導した。
「お気遣いありがとうございます。私は貴方を日向で守れるほどの力はありません。影にしかなれないのですから、嫉妬などありませんよ。パルレさんはひたむきで、少し眩しいくらいです」
ステラは微笑んだ後、目を閉じた。
「でも、褒美はありがたく受けとります。最近、トオル様と触れ合えていませんでしたから」
甘い声で言われると、トオルもつい可愛らしくなってステラの顔に触れるのだった。
ステラとの時間でリフレッシュしたトオルが帰路についていると、エニティンが仕事をしている所を見つけた。酒場で演奏をしている。入り口が開いていて、音も丸聞こえだ。きっと、こうして客を呼び込んでいるのだろう。
まだ帰りたくはなかったし、ついでにエニティンとも触れ合おうと決める。
エニティンはギターのような形状の楽器を演奏しつつ、客席を飛び回る。
彼女が動く度に短めの茶髪が跳ねて、その様を見ていると何だか元気が湧いてくる。
恐らく、演奏が楽しいと伝わってくるからだろう。八重歯が見えるほど口角が上がり、観客が温まってくると演奏も熱くなっていく。
トオルはバレないように店に入って、入場料代わりのドリンクを頼み、演奏を最後まで聞いた。
「ありがとうございまーす」
エニティンが会釈をし、籠を持ちながら客席を移動する。観客がチップを籠に入れつつ、軽い会話を交わす。あくまで健全なので、エニティンは客との触れ合いはない。
トオルの所にやってきたので、トオルも籠に金を入れた。
「よかったよ」
「あっ、ありがと」
エニティンは満面の笑みを浮かべる。
客席を一周し、舞台に戻るとアンコールの掛け声が響いてきた。
エニティンは少し考えこんだ後、はにかんで楽器を抱える。大きく跳ねて、弾き始めようとした時、足をもつれさせて転んだ。楽器をぶつけないよう、姿勢を取ってはいたがドンと鈍い音がなる。
観客が大丈夫か、と駆け寄るがエニティンは素早く立ち上がって頭を下げた。
「ごめーん。さっきの演奏で力尽きちゃったみたい。また明日でいいかな?」
皆、拍手で応じる。
拍手を受けながら、エニティンはトオルに向かって裏口でと合図をした。
トオルが店の裏口に行くとエニティンが抱きついてきた。大型犬のような愛情表現である。
「最後の大丈夫? 疲れか?」
「いやわざとだよ。トオルがいつ帰るかわからないし、会いたくてわざとね。たまにするんだ。ほら、金を出すからもっとって終わらないこともよくあって」
わざと、その言葉がトオルの身を駆け抜ける。
トオルは一瞬、脱力した後、エニティンを強く抱き締めた。
急な力強さにエニティンは目を白黒させる。
「エニティンと今日会えてよかったよ」
珍しくトオルは本心からそう言っていた。




