十一話
続きです。
一方その頃、エルミナ西方東部に位置するアエスタスの地では、大軍勢が展開していた。
その数七万――掲げる紋章旗からエルミナ最強の騎士の一人が指揮を執っていることがわかる。
「圧巻だな……」
一面の小麦畑と大勢の騎士たちを抱える平原の先に建てられている砦――カイム砦の胸壁に立つ少年が呟いた。その黒瞳には隠し切れない不安の色が浮かび上がっている。
彼の名は宇佐新。勇者の一人としてこの砦に陣取った軍勢の指揮官を務める者だ。
「大丈夫ですよ。アンネ将軍もそう言っていたじゃないですか」
彼の隣に立つ黒髪の少女が安心させるように言った。しかしその声音には抑えようもない緊張があった。
「こちらは五万で相手は七万……だけど、砦に篭城することで数の利をなくすことができる、でしたよね?」
「……ああ、そうだね陽和ちゃん。それは俺もわかってはいるんだけど……」
今回、新たち中央軍が選んだ作戦は砦での篭城戦であった。
敵である西方軍七万の進軍経路を予測し、このアエスタスの地を決戦場にすることを決め、そこに存在していたカイム砦を使用することにした。
カイム砦は〝征服王〟と呼ばれたエルミナ第二代国王が、〝なりそこない〟征伐の為に建造させただけあってかなり巨大な砦である。その為、五万もの将兵を収容できるほど広く、砦内は一つの街のような――否、街そのものであった。
刀剣や鎧などを製作、修繕する鍛冶屋があれば、様々な食べものを売る屋台すら存在している。これらは有事の際に戦に協力することを条件に砦に住まうことを許された人々によって運営されていた。
(攻城戦において攻める側は守る側の三倍の兵力が必要とされている。この考えが正しいのなら敵の勝ち目は薄い)
こちらは五万、対して向こうは七万だ。数の差は二万――平原などでの会戦ならこちらにとって危険な差といえようが、堅牢な城壁に守られている現状ではそうともいえない。
加えて食料の備蓄、飲料の不足は心配がない。食料は元々この砦にあったものと、今回運んできたものとを合わせれば最大で三ヶ月持つとの試算結果が出ているし、飲料は砦内を流れるヴィスワ川から汲み取ることができ、たとえそれが敵の策略などで使用不可になったとしても敷地内に複数存在する井戸からくみ出すことができるからだ。
(それでも危険な賭けでもあった……けど、こうして敵が姿を見せた以上、それも心配なくなった)
この作戦が出たとき、主に二つの問題点が幕僚たちから指摘されたものだ。
まず第一に時間の問題だ。
当初の想定である北方軍の足止めをダヴー将軍率いる中央軍が行っているのであれば問題なくこの作戦は実行できたのだが、そのダヴー将軍が北方軍へと寝返った以上、その想定は意味を成さない。早急に戻らなければ総司令官であるオーギュスト第一王子が居る王都が陥落してしまうことだろう。
しかしこの問題は一応ではあるが解決している。何故ならその北方、中央連合軍を迎撃すべくシャルロット第三王女率いる東方軍が北上しているとの情報が入ってきたからである。
数にして十万――北方、中央連合軍の三十万と比べれば圧倒的に寡兵ではあるが、彼らは長年国境守護、ならびにベーゼ大森林地帯からの魔物の侵攻を防いでいる歴戦の猛者たちだ。その錬度はエルミナ随一とまで謳われている。
加えて参陣している武将たちもつわもの揃いだ。エルミナ王国が誇る四人の大将軍の一人〝王の剣〟クロード・ペルセウス・ド・ユピターに、その父でもあり先代〝王の剣〟でもあった男テオドール・ド・ユピター、更には名前までは分からなかったのだが新たに誕生した大将軍〝王の盾〟までもが居るという。
(神剣所持者であるクラウス大将軍は同行しなかったみたいだが、それでもクロード大将軍の〝光風騎士団〟もいる。作戦次第では数の差を覆せるかもしれないとアンネさんは言っていた)
仮に勝てなかったとしても時間稼ぎになるし、何よりどちらが勝利しても戦力は削れているだろうし疲労も残ることだろう。どちらにせよこちらの利になる――とも茶髪の女将軍は言っていた。
非情とも言えるが、これは戦争――ならば彼女の考えは正論なのだ。
そして第二に挙がった問題は、敵がこちらを無視する可能性だった。
数で勝っており、地の利を得ている敵からすれば堅牢な砦に亀の如く篭るこちらなど無視するという選択肢を取ることができるのだ。
無視した場合、敵は西方南部で戦闘中の本軍の援護に回るか、中央軍の補給線を断ちに行くか、あるいはそのまま中央――王都になだれ込むかという三択を選ぶことができる。
しかしその一方で背後に五万もの敵戦力を抱えなければならないという危険性も同時に発生する。
そしてその危険性を敵は――エレノア大将軍は無視しないだろうとアンネ将軍は結論づけたのだ。
『エレノアは生真面目――悪くいえば融通がきかない人なのよ。彼女ならこれほどの危険性を孕んだままこちらに背を向けたりしないわ。きっとね』
その言葉には一定の信頼が見て取れた。おそらくその信頼は軍学校時代の記憶が生み出したものなのだろう、と軍議を終えた後、一人の老幕僚が新たちに語ってくれた。
『エレノア大将軍とアンネ将軍は年齢こそ離れてはおるが、王都にある軍学校で同期だったのじゃよ。同じ年に入学した二人は女性ということもあっての、常に意識しあう好敵手じゃった。それに良き友でも、の』
この世界の〝人族〟国家における軍隊では女性はほとんど在籍していない。武の道を歩もうとする女性はいるにはいるが、そのほとんどは自由かつ融通のきく冒険者という職業に就くからだ。
故に同じ性別――しかも同じ年に入学した二人が絆を育むのは自然の成り行きであった。
軍学校で共に優秀な成績を残し、卒業した後は共に幾つもの戦場を駆け抜けた。
そんな二人の仲のよさを表す例として最も挙げられる話がある。大将軍選定の儀におけるやり取りだ。
エルミナ王国において武官の頂点に位置する大将軍位は〝王の剣〟と〝王の盾〟の二名を除いて当代の国王によって直接任命される、非常に栄誉ある役職だ。
基本的には選ばれた当人が死ぬか、もしくは自ら返上の旨を国王に告げ、それが承認されるかの二通りでしか解任不可である大将軍位は、その性質上何十年に一度しかなる機会がない。
故に今を生きる武官たちからすれば一生に一度あるかないかという奇跡のような好機である。当然、その候補者として選ばれればなんとしても成りたいと考えるのが自然だ。
今から二年ほど前、エレノアとアンネの二人はその候補者として最終選定まで残った。両者共にその実力や国家への忠義心は拮抗しており、国王――アドルフ・マリウス・ド・エルミナは迷った。一体どちらを大将軍とすべきかと。
玉座の間で国王を前に頭を垂れる二人――その厳粛な雰囲気の中で、片方の女性が声を上げた。
『陛下、誉ある大将軍には私などよりもエレノア卿こそが相応しいかと、恐れながら具申させて頂きます。実力もあり忠義も厚く、加えて私より五つも若い。将来性を考えれば彼女こそが大将軍になるべきでしょう。もしお許し頂けるのであれば私はこの選定を辞退させて戴きたく思います』
堂々とそう告げたのはアンネの方だった。当然、親友がそのようなことを言えば驚く。エレノアはすぐさま声を上げようとしたのだが――、
『――よく分かった。余はエレノア、そなたを大将軍として任命する。任地は主に西方だ。よいな?』
一度国王が口に出した決定は絶対だ。翻意させる為に言葉を重ねることはできるが、失敗すれば末代までの恥となる。貴族の一人としてそのような危険を、エレノアは犯せなかった。
――かくしてエレノアは大将軍となり、アンネは将軍となった。これに対して二人の間で喧嘩が起きたのだが、それでも最終的に二人は仲直りし、共に国家の為に働こうと誓ってそれぞれの任地へと向かったのである。
(それが今じゃ殺しあうことになるんだものな……)
アンネは相手がエレノアだと知った時でも、実際に対峙した今であっても特に何も言わなかった。表情に出すことすらない――それ故に上司の心情を慮ってか、幕僚たちも言及することはなかった。
(きっと辛いはず……なのに俺たちを気遣ってくれている)
こちらが素人であること、また初陣であることを考慮して様々な便宜を図ってくれている。彼女がいてくれてよかったと、新は思っている。それはきっと隣に立つ陽和も同じだろう。
(必ず勝つ。エレノア大将軍は俺が倒す。……それがアンネさんから受けた恩に対する俺なりの義理だ)
勝算は十分にある。自らが有する〝固有魔法〟と〝神剣〟の特性を生かせば、きっと――。
「……中に戻ろうか、陽和ちゃん。さっき向こうの使者がやってきたっていってたから、もうすぐ戦が始まると思うから」
「そう、ですね。それに……なんだか雨が降りそうですし」
と陽和が不安げに空を見上げる。
つられて新も上向けば、そこには今にも泣き出しそうな天があった。
「……大丈夫だよ、きっと」
何についてなのか、それは告げずに新は砦内部へと歩き出すのだった。




