十二話
続きです。
――断られた。
無事に帰還しそう報告してきた使者に労いの言葉をかけて下がらせたエレノアは嘆息した。
互いの立場を考慮すればしごく当然の反応、故に分かりきっていたことだ。けれどももしかして――という思いが消えなかったのだ。
だが、そんな甘い考えももう捨てなければならない。こちらの降伏勧告を向こうが蹴った以上、交えるのは言葉ではなく刃となることが確定してしまったのだから。
「……では、これより第一陣を前進させる。軍議で決定したとおり、初日である今日は全力で攻撃せよ。明日以降のことは考えずにな」
曇天の下、エレノアの号令が響き渡る。闘志を掻き立てる大太鼓が鳴らされ、勇気を沸き起こす角笛の音が空間を揺らす。白地に天秤が描かれたエルミナ王国の国旗と、〝水簾騎士団〟のみが掲げることを許された白地に百合が描かれた紋章旗が次々と打ち立てられていく。
同時に三つの塊に分けられた西方軍七万の内、最もカイム砦に近い位置に居た集団が前進し始める。西方軍のみで構成された第一陣四万であった。
『エレノア大将軍、本当にこれでよろしいのでしょうか』
年若い一人の幕僚が鎧姿のエレノアに問いかける。その表情は不安に彩られていた。
『本日は緒戦……ここはやはり攻撃の手を最小限に抑え、敵の出方を見るべき局面ではないでしょうか』
彼の言うことはよくわかる。それは軍議においても挙がった意見であり、決して臆病な考えとはいえないものだ。
しかし、いくつかの事情により最終的には却下された意見でもある。
「卿の心配は最もだ。だが、これで良いのだ」
こちらは攻め手――故に攻撃の時期や方法を自由に選択できる立ち位置にいる。けれども向こうが陣取ったこのカイム砦の所為でその選択肢は大幅に減らされてしまったといっていい状況だ。
「カイム砦のあるこのアエスタスの地は平原――見渡しが良すぎる。その所為で奇襲は夜間を除いて不可能といってもいい」
アエスタスの地は一面が平地であり小麦畑が広がる場所だ。そこに唐突とも言える感じでポツンと建っているのがカイム砦である。
故に砦からは全方位、何の障害もなく見渡せる。これでは攻撃する側が丸見えになってしまう。どの方向から何人くるのか、持っている武器は何か、攻城兵器は――等々、丸分かりである。この時点で敵の意表をつく作戦の大部分は無効化されてしまっていた。
「それにカイム砦は大きすぎる。いくらこちらの兵力が七万とはいえ、分散させるのはあまりに危険だ」
次に問題となってくるのはカイム砦の大きさだ。五万もの将兵を収容できる敷地面積を誇るこの砦は端的に行って巨大すぎる。もはや一つの街といっていい大きさの砦を取り囲むには七万では少々心もとないというのが事実であった。
『何故危険なのでしょうか。分散による各個撃破などの危険は向こうも同じでは?』
「いや、向こうと比べてこちらの危険度は段違いに大きい。何せ向こうには堅牢な城壁があるのだからな」
兵力ではこちらの方が勝っている。通常の会戦なら危険度はむしろこちらの方が少ないだろう。
しかし攻城戦においてはそうはいかない。守る側には城壁があり、更に常に相手の頭上を取っているという利点があるからだ。対して攻める側には守ってくれる壁などはなく、常に上から矢や石などが降ってくるという恐怖と戦いながら攻城しなくてはいけない。どちらが有利かなど火の目を見るより明らかだろう。
「このカイム砦は百年以上前に第二代国王ジョン陛下が建設されてから今日に至るまで一度も陥落したことのない砦だ。それをたった二万程度の兵力差しかない我々が落とそうというのだ。大きすぎる危険は避けなければならない」
エルミナが聖王国から王国へと代わってから発生した中で最も恐ろしい天災と言われている〝なりそこない〟襲来事変。人族をはるかに凌ぐ身体能力と魔力を宿したそれらの攻撃にすら耐え抜いたのがこのカイム砦だ。
「それに……アレクシア殿下率いる本軍がモーリス将軍率いる中央、南方連合軍と会敵したという報告が挙がってきている。その結果次第ではここでの戦闘を早々に打ち切る必要も出てくるだろう」
『それは……本軍がま――』
「それ以上は言うな。卿とて不敬罪で死にたくはないだろう?』
エレノアが言外に告げたのは本軍が敗北するという可能性だ。それは決してないとは言い切れない結末なのだ。
(報告によれば〝勇者〟らしき若者二名も確認されているというが……)
エレノアがかねてより懸念している〝勇者〟という不確定要素。それが戦の雌雄を決する場合がある。いくら本軍が三万も兵力差のある相手、しかも平原という開けた場所での戦いという利点を有しているからといってまったく油断はできないと彼女は考えていた。
(だからといってここの敵に背を向けるわけにもいかない)
背を向けた瞬間に彼らは打って出てくることだろう。そうなれば雪崩を打つが如くこちらの軍勢は瓦解してしまう。仮にそうならなかったとしても放置しておけば、こちらが本軍と合流した瞬間に背後から攻撃され、呼応して正面からもモーリス将軍の軍勢が攻めてくる――なんてことにもなりかねない。他にもこちらを無視して一気に西方の本拠地であるデュレの街まで進撃する危険性もある。
(難儀なものだな今回の戦争は……)
自国民同士が殺しあうなどまったくもって悪夢以外の何物でもない。魔物や野盗などしか相手にしたことのないエレノアとしてはやりにくくて仕方がなかった。
そんな彼女の心境を読んだわけではないのだろうが――、
『面倒なものですね、軍隊同士の戦争というものは。野盗が占拠した砦とかならクラウス大将軍お一人でも制圧できるというのに……』
幕僚は嘆息交じりにそういった。上官として注意、もしくは叱責せねばならない発言ではあったが、若気の至りとしてすませようとエレノアは咎めなかった。それにエレノア自身、そういった考えがないわけでもなかったという点もある。
(クラウス大将軍の持つ神剣〝聖征〟なら、確かにこの条件下でもカイム砦を初日だけで落とせる可能性が高い)
使い手が絶えない神剣として有名な〝聖征〟は、常に人の世に姿を現し続けていることからその能力も広く知られている。またその使い手が成した偉業の数々もだ。
当代の所持者である〝征伐者〟クラウス・ド・レーヴェ大将軍はかつて、たった一人で一千もの野盗が占拠した砦を一刻程度の短時間で制圧したことがある。
その砦が使われていない廃砦だったということもあり、無制限の〝神権〟使用許可を国王から賜った彼は〝聖征〟の力を惜しみなく使った。初撃で砦の三分の二を消滅させた彼は、続いて単騎で砦内部へと突入し、残っていた野盗を電光石火の如く一瞬で鏖殺した。
(確かにあの〝力〟があれば――と思ってしまうのも無理はない)
実際にその光景を見ていたエレノアや人づてに聞いたであろう幕僚にすらそう思わせるほどの圧倒的な武威の持ち主――それが神剣所持者なのだ。
しかし、ないものねだりをしたところで意味はない。
「……とにかく、今は目の前の戦いに集中しろ。まずは最初の一撃で相手の出方を見る」
初めから全力での攻撃を指示したのには敵の出方を伺う意味もあった。第一陣のみでの攻撃にどれほどの兵力を出してくるのか、どういった方法で反撃してくるのか、また相手の士気はいかほどか――等々だ。
他にもう一つ重要な理由もあった。〝勇者〟の存在である。
(こちらにも〝勇者〟がいるという情報はつかんでいる。ならばその存在、その武力を確認する必要がある)
それ次第では今後の方針が変わってくる。故にその存在の究明は必須であった。
と、その時――一際大きな喚声が聞こえてきたことで、エレノアは思考の渦から意識を上げて正面を見やった。
そこには遂にカイム砦に肉薄した第一陣が、攻撃を始める姿があった。
怒涛の勢いで城壁に張り付き、複数人で運んできた梯子をかけて登ろうとする。それが攻撃している西門付近のみならず砦の西側全体で見られる光景だった。
しかし敵とて黙ってはいない。即座に胸壁に姿を見せた敵兵は矢を射掛け始める。通常の矢で第一陣の兵士を射殺すだけでなく、火矢で梯子を燃やそうとしていた。
一応火対策はしているとはいえ、所詮は木製だ。幾つもの火矢を喰らった梯子はたちまち炎上し始める。
形勢は――やはり防衛側が有利だった。だが、それは想定内のことだ。
「第一陣に合図を、魔法使いの部隊を前に出せ。弓矢に関しては大盾持ちの兵を魔法使いたちの前に置くことで対処せよ」
指揮官の指示は即座に第一陣に伝えられた。城壁に張り付いていた歩兵が整然と後退し、代わりに前に出てきたのは通常の盾の倍以上もの面積を持つ大盾を構えた重装歩兵で、その後ろには彼らに守られながら杖を手に、詠唱する魔法使いたちである。
(魔法が広く使われている現代において街や城、砦を守る門は真銀で造られている)
魔力をほとんど受け付けないという特性を持つ真銀は、その特性と強固さ故に今では多くの城門などに使われている鉱石だ。これは魔法戦がある以上、当然の措置といえる。
それはこのカイム砦も同様であり、魔法をどれだけ撃っても城門が微動だにしないことは試さなくても分かることだ。だから城門に撃つなどという愚かしい真似はしない。
代わりに狙うのは――胸壁に立つ敵兵だ。
『敵の動きはこちらの想定内に留まっています。今、ようやくこちらの意図にきづいた模様です』
幕僚の報告にエレノアは満足げに頷いた。これはエレノアの得意とする戦法の一つで、開戦時には魔法使いの部隊に刀剣や槍などを持たせることで単なる歩兵であると敵に勘違いさせ、ここぞという時期にいきなりそれまでの武器を捨てて杖を取り出させ詠唱を始めさせるというものだ。
部隊に魔法使いだと一目で分かるような格好をさせた者がいれば相手だって警戒する。いつ魔法を撃たれても良いように魔法使いの部隊を準備することだろう。
しかしそれがわからなければ如何だろうか。初めから魔法使いを使うつもりなら前線に配置しているだろうからその場合はなんとか対処できるかもしれない。けれどもそうでなければ通常、魔法使いはその希少性から中央、もしくは後方に下げられていることがほとんどだ。それでは咄嗟に対処できるはずもない。
『敵兵は慌てふためいております。屈んだり伏せたりと、反射的な行動しかできていない模様!すべてエレノア大将軍の読み通りです!』
幕僚たちが興奮し絶賛してくるが、エレノアとしては少々落胆してしまう。
(アンネ……以前と戦法が変わっていないではないか)
戦友であり軍学校時代の同期でもある敵将、アンネ・ド・ブルボン将軍。彼女のことはよく知っている。好きな食べ物も、くせ毛な茶髪を実は気にしていることも、得意な戦法も――こういった場面でどうするのかも。
「あの時から私は変わった……成長しているぞ、アンネ。なのにあなたはあの時のままなのか」
落胆、失意――されど懐かしいとも感じてしまう。
胸の内に湧き上がる感情の波を意識して抑えながらエレノアは前線を眺めやる。
「だとすればこの緒戦は私がもらうぞ」
幕僚たちに聞こえないように小さく呟かれた言葉と共に、魔法使いたちが一斉に火球を放った。火属性のこの魔法は球形をしており、山なりに飛ばすことができるという特性があった。これは他の四大属性にはない強みだ。
その特性は今回のような攻城戦において活きてくる。高い城壁を飛び越えて着弾させることができるからだ。
敵方が魔法使いを前に出していれば魔法による防御、あるいは迎撃が期待できたが……敵の動きを見るにそれはないだろう。
「やはり居ないか。……まずは一勝、貰い受けるぞ、アンネ」
勝利宣言、生真面目なエレノアが微かに喜色を浮かべかけた、その時だった。
何もなかった胸壁の上、虚空に突如として夥しい数の光剣が出現し、勢いよく火球へと殺到――そのすべてを迎撃してしまった。
『馬鹿なッ!!』
「――ッ!?」
幕僚と違って言葉にこそ出さなかったエレノアだったが、思わず目を見開いてしまった。それほどまでにありえない現象だったからだ。
(なんだ、それは……!?いや、まて、それよりも――)
驚愕に打ち震える司令部の中で、エレノアはいち早く立ち直ると声を張り上げて指示を下した。
「急いで魔法使いたちに迎撃体勢をとるよう伝えよ!敵の魔法はまだ消えていないぞ!」
『ッッ!?か、かしこまりました!おい、急げっ!早く伝令を――』
火球をすべて迎撃した光剣は間髪いれずに再び胸壁上の空に浮かんでいた。無数に飛んでくる火球を正確に打ち漏らすことなく迎撃した、そんな驚異的な腕前を持つ魔法使いが敵方に存在しているのは明らかだ。
しかも魔力が尽きる様子はない。このままではこちらの兵士が成すすべなく討たれてしまう。
(拙いな、こちらの魔法使いたちは魔法を撃ったばかりで、次の魔法を撃てるまでには硬直時間がある。対して何故か敵の魔法使い――信じられないがおそらく一人――にはそれがないと見える)
どういうカラクリかは知らないが……敵の魔法使いに魔法戦の常識を覆す存在がいることはもはや明らかだ。
と、ここまで考えたエレノアの脳裏にある単語が浮かんできた。
「まさか――〝勇者〟か!?」
これほどの〝力〟を持つ存在がエルミナ王国内に居たなどという話は聞いたことがない。武官の頂点に位置する大将軍たるエレノアですら知らない超越者などいるはずもない。在野――冒険者だったとしても高位の者はすべて知っている。故にこれは――つい最近まで王国内にいなかったか、もしくはこの世界にいなかった者による行為としか思えない。
(だとすれば危険だ!伝承が真実だったことになる)
その武威は一騎当千、その武力は天壌無窮の如くどこまでいっても終わりなく強まり続ける。
それが伝承に記された〝初代勇者〟である。
その伝承すべてが真実ではないとしても――あまりに驚異的すぎる。
もはや最前線の兵たちは諦めるしかないか……と思ったが。
(……うん?なんだ、攻撃してこない、だと……?)
先ほど凄まじい活躍を見せた無数の光剣はただただ空中に浮かんでいるだけだ。明らかに攻撃の機会をみすみす逃しているとしか思えない。もしやこちらが背を向けて撤退するのを待って、より大打撃を与えようとしているのかとも考えたが……。
(あの魔法からはまったくといっていいほど戦意を感じない)
そう感じたエレノアは迷った。己が直感を信じて兵に後退を命じるか、それとも硬直時間が終わった後に再び魔法を放つことで光剣を打ち消すか。
どちらも危険が伴う選択だ。前者を選択してもし敵が攻撃してくれば大打撃だし、後者であってもそれで敵の魔力が尽きてくれる保障がない。
逡巡はわずか、エレノアはこれまで何度も救われてきた直感を信じることに決めた。
「第一陣に命じる。開戦前の位置まで撤退せよ。あそこであれば敵側の魔法も届かない!」
だろうやと思うではない、ここは付き従ってくれている将兵を奮起させる意味合いでも断言する場面だ。故にエレノアは自信に満ちた声でそう命じた。
『は、はっ!直ちに実行致します!』
そうして命令は伝達され、第一陣は即座に後退していく。そのさまは波が引いていくようであった。
敵にとっては絶好の追撃の機会――だったが、エレノアの直感通り、光剣は一本とて動きはしなかった。
安堵する場面だ。現にエレノアの周囲にいる幕僚たちはほっと息を吐いている。けれどもエレノアは情けをかけられたように感じてしまい不快な気持ちになってしまう。
「舐められたものだな……」
こんな好機をあのアンネ将軍が逃すはずがない。ならばこれは意図的に行われたはず。
その事実が――何よりそれをされた相手が戦友であったことが、エレノアの大将軍としての矜持に傷をつけた。
「アンネ……そっちがその気なら――こちらは全力で叩きのめすまでだ」
彼女が率いている軍を壊滅させ、勇者を始末した上で生かして捕らえよう。泣いて許しを請おうとも無視してやる。捕虜として、奴隷として一生飼ってやる――、
「――私は、今何を……」
自らの恥ずべき思考にハッと我に返ったエレノアは、口元に手を当てて呆然としてしまう。
それからしばらくして彼女の元に第一陣の撤退完了の報告と、光剣消滅の報告が同時に上がってきたのだった。




