七話
続きです。
神聖歴千二百年六月十日。
エルミナ王国西域南部ゲトライト平原。
青々とした草が一面に広がるこの地にて、二つの軍勢が邂逅した。
平原北部に陣を敷くのは西方の盟主、アレクシア・ユリウス・ド・エルミナ第一王女率いる西方軍。
相対するは平原南部に陣を敷いた〝勇者〟一瀬勇と江守明日香率いる中央軍だ。
「ふむ、敵は鶴翼の陣形を取ったのか」
穏やかな陽光に身を晒す白髪碧眼の男性――モーリス・ド・プラハ将軍が言葉を発せば、幕僚の一人が頷きを示す。
『はい、そのようです。向こうはこちらよりも兵数で勝っておりますから、強気な姿勢なのは当然のことかと』
鶴翼の陣形とは両翼を前方に張り出し中心を下げる陣形だ。上から見下ろすと鏃を自軍側に向けたような形をしていることがわかる。
下げた中心に指揮官を配し、敵が両翼の間に入ってくると同時に敵後方を閉じることで包囲殲滅を狙う意図を持っている。
この際に両翼を薄く広げ、長くしたものを大鷲の陣形といい、隣国アインス大帝国が好んで使うのだが、どちらにも共通しているのは包囲が完了するまで中軍が敵の猛攻を凌がなくてはならないという点だ。
これが非常に危険で中軍が崩壊すれば陣形は意味をなさず、加えて指揮官を配置しているため討ち取られる危険性が高い。
故に兵力で劣っている場合には用いられない陣形だが、今回は西方軍側の方が兵数で勝っているため問題とはならない。
『八万対五万……兵力差は歴然です。加えて――その……』
「この場には勇者の方々はおらん。言ってよいぞ」
幕僚が何を言いたいのか、その不安げな表情から悟ったモーリス将軍がそう告げれば、彼は声を小さくした。
『勇者のお二方の実力は未知数ですから、敵も警戒はしているでしょうが、モーリス将軍ほどではないでしょう』
前者は今回が初陣、対して後者は歴戦の猛者だ。
名声も、実績も、戦歴も――何もかもに差がありすぎる。格の違いというやつである。
故に敵のみならず味方である幕僚たちですらも勇者の実力を不安視しているのだ。
兵を統率する立場にいる彼らですらこうなのだから、末端の兵士たちは不安どころの話ではないだろう。
「どのみちこの一戦でわかることだ。信用しすぎるのは危険だが、だからといって隅に追いやることなどできはしない」
それでは主であるオーギュスト第一王子の命に背くことになってしまうし、そもそも初陣なのだから実力が未知数なのは当然のことだ。
そのように説得するも幕僚の表情は晴れない。
無理もないことだと思いながらもモーリス将軍は苦笑を浮かべた。
「そういった諸々の懸念を踏まえた上で作戦を立てたのだ。あまり不安がるでない。指揮する者がそのような態度では兵も動揺するだろう」
『も、申し訳ございません……』
頭を下げる幕僚に気にするなと告げたモーリス将軍は前方を見やる。平時ならば緑豊かな景色が見物できただろうが、現在は物々しい雰囲気が平原に漂っていた。
遠方に視線を向ければ総勢八万もの大軍の姿を見て取れる。突出した両翼にはそれぞれ三万の重装騎兵を配置し、残る歩兵二万を中央に置いた形だ。
対してこちらは中央に三万を配し、残りの二万をそれぞれ一万ずつ両翼に割り振った。
中央を前に出し、両翼を下げた魚鱗の陣形を取っている。戦端が狭くなり遊軍が増え、かつ後方からの奇襲などに弱い陣形ではあるが、開けたこの平原においては奇襲に部隊を割いたところで即座に発見されるためそれはないと想定した上での決断だった。
「本来はこのような平原での会戦には適さないが……」
奇襲ができないからといっても騎兵の機動力を以ってすれば後方に回ることはできる。故にこのゲトライト平原のような騎馬を遮るような物がない場所では避けるべきであった。
では何故中央軍はこのような選択を取ったのか。理由はいくつかあった。
「時間がない、援軍の見込みもない、加えて敵地であることを考慮すれば短期決戦が望ましい」
ダヴー将軍の寝返りによって本拠地である王都は危機に晒されている。一応東方軍が迎撃に向かってはいるが、彼らとて味方ではないのだ。どちらが勝っても王都に侵攻することだろう。そうなる前に西方での戦いを終結させ、引き返さなくてはならなかった。
それに援軍のあてもない。今回の出兵では中央と南方から出せるだけの兵力を抽出した。それ以外は治安維持などで動かせない。出陣した軍は二手に分かれてはいるが、どちらも敵と相対している為に片方の援護に回ることはできない。そういった事情から現兵力で対応するしか道はなかった。
しかもここは敵地だ。地の利は当然向こうにあり、付近の町村も彼らに協力するだろう。兵站に関して向こうは一切気にする必要がない。それは大きな優位性だった。
「だからこその魚鱗だ。中央に兵力を集中させ正面突破を図る。それに向こうには名だたる武将は存在しない。対してこちらには勇者が二人もいる」
西方軍において名の知れた武将は一人だけ。しかもその人は中央から進撃するこちらの軍を撃退すべく出陣している為、この場にはいない。
神剣所持者もいなければ固有魔法持ちもいない。魔剣所持者くらいなら存在するだろうが、それでも固有魔法を持ち、神剣すら保有する勇者を前にすれば見劣りしてしまうものだ。
要は単騎で戦局を変えうる個人が西方軍には存在しないということだ。対してこちらには一騎当千とされている勇者が二人も存在している。
モーリス将軍は視線を遠方から外して自軍を眺めやる。その中軍の中ほどに勇者たちは居た。
(本来なら偃月の陣形で行きたいところだが……)
中央突破、かつ総司令官を討ち取ることを念頭においている以上、指揮官を先頭に配置した偃月の陣形が本来ならば望ましかった。けれども指揮官である勇者が初陣であること、また彼らがオーギュスト第一王子陣営にとって重要人物であることを考慮して魚鱗にしたのだ。
それに関してはモーリス将軍も納得だったし、幕僚たちも同様だった。固有魔法を持つ者は貴重であるし、ましてや神剣所持者ともなれば何百年に一人の逸材だ。ここで失うわけにはいかなかった。
(最悪彼らだけでも逃がすことになる)
とはいえこのようにモーリスが考えているなど誰にも明かせない。名目上とはいえ指揮官である彼らを真っ先に逃がすなど兵に知れたら士気が低下しかねないからだ。命令を下す上司を信じられなくなったら軍はおしまいといっていい。敗走どころか潰走すらあり得る。
しかしモーリスはもしもの時は勇者らを逃がして自分は最後まで残るつもりだった。
勇者の重要性を考慮したということもあるが、彼らがまだ年若い少年少女だということもモーリス将軍は配慮していたのだ。
「平和な世界から突如として戦乱の世界に召喚、加えて彼らはまだ若い。このような場所で散ってよい命ではない」
救国の為に異世界より勇者を召喚。そういえば聞こえは良いかもしれないが、実際は無関係な若者を拉致して剣を取らせ、人殺しを強制したに過ぎない。
罪深い所業――されどモーリスの立場ではどうしようもない。せめて死傷率の高い先鋒から外してやることくらいしかできなかった。
「ユウ殿、アスカ殿……いざという時は私が守ってみせますぞ」
モーリスは秘めた決意を口にして、腰に吊るした魔剣の柄に手を置くのだった。




