一話
続きです。
時は夜光たちがバルト大要塞を出立した日まで遡る……。
穏やかな風が吹いている。
一面に広がる小麦畑は黄金色に輝いていて、照らす陽光は暖かなものだった。
「……美しいですわ」
思わずといった様子で賛辞を口にしたのは、滑らかな金髪を持つ女性だ。
彼女の薔薇石色の瞳が映し出している光景は、エルミナ西方の一大産業である小麦が実っている大地である。
神聖歴千二百年六月二日。エルミナ西域中部の街デュレ、その中心に位置する小高い丘の上に建てられた領主の館からの展望であった。
「この光景には値千金以上の価値がある、とわたしくは思うのだけれど――あなたはどうかしら、ジル?」
館の三階にある領主の執務室――そこにある露台から街の外に広がる黄金色を見つめる女性がそう言えば、彼女の背後から茶髪茶眼の女性が歩み寄ってきた。
「恐れながらアレクシア様と同意見です。我が西方が誇る小麦もアレクシア様からお褒めの言葉を頂いて喜んでいることでしょう」
「ふふ、お世辞は結構よジル。わたくしとあなたの仲なのだから。……それよりも、あなたがわたくしの元に来たということは準備が整ったということかしら?」
声に滲むのは期待の色――そんな主の望む答えを用意できていた茶髪の女性、ジル・ド・ヴィヌスは頷いた。
「はい、アレクシア様。主だった西方貴族の軍勢およそ十万がこの街の外周に集結しています。残る五万はオーギュスト第一王子が差し向けてきた軍勢に対処すべく、中央と南方の境に既に布陣済みとなっています」
ジルの報告に金髪紅眼の女性――アレクシア・ユリウス・ド・エルミナ第一王女がやっと振り向いた。
その美貌に満足げな色が過ったのは一瞬のことで、すぐさま不快げに眉根が顰められる。
「オーギュスト……あの愚兄にしては随分と考えられた策を講じてくるみたいね。まったく忌々しい限りだわ」
「おそらくはオーギュスト第一王子ではなく、アルベール大臣の策でしょう。あのお方は戦のいろはを何も知りませんから」
実の兄に対して尊敬の欠片もないと言わんばかりの態度。否、実際に一欠片とてそのような思いを抱いてはいないアレクシアの言葉に苦笑しながらもジルは己が想像を告げれば、主は明らかな侮蔑を表情に浮かべた。
「はっ、本当に情けない。アレがわたくしの兄などとは思いたくもありませんわ」
アレクシアの言葉に正直なところジルも同意見だった。
何せオーギュスト第一王子がこれまでの人生において成したことと言えば、国庫の財貨で私欲を満たすことぐらいなもので、まともに国家に貢献したためしがないのだ。エルミナ王家の血を引いておきながら王者の資質など皆無で、今回の王位継承権争いとてアルベール大臣に唆されたから起こしたに過ぎない。
だからこそ驚きだった。先手を打ってこちらから宣戦布告したというのにオーギュスト第一王子陣営の対応が早かったのだ。
(戦は数と言い張るような人物の動きではない。やはりすべてを動かしているのはアルベール大臣ね)
アルベール・ド・マルス大臣は国王から南方の運営を任されている四大貴族の一角、マルス家の先代当主だ。大臣に就任するにあたって当主の座を息子に譲った彼だが、それは表向きで、裏では未だに彼がマルス家の実権を握っていると貴族諸侯の間ではもっぱらの噂である。
その証拠に今回の西方征伐にはオーギュスト第一王子を支持する中央貴族だけではなく、どの王族も支持してこなかった南方貴族の軍勢も参加していた。
(南方と中央を支配し、国王陛下を幽閉。それから上手く手綱を握ってオーギュスト第一王子を操り戦争を引き起こした。……本当に危険な人物ね)
こちらに向かってきている彼らの軍勢は中央と南方から進軍してきている。その意図するところはこちらに二正面作戦を強いることで戦力の分散を図り、各個撃破を狙っているのだろうと推測される。
(とはいえ戦力の分散は向こうも同じこと。しかも彼らが動かせる戦力はこちらの総戦力よりも少ないというのに……)
オーギュスト第一王子陣営の総戦力は二十万。その内十万は北方より侵攻してきているルイ第二王子への対処として中央と北方の境に配置されていると報告が上がってきていた。
残る十万を二軍に分け、それぞれ中央と南方から進軍させているわけだが、それではこちらの十五万という数に対抗するには難しいと言わざるを得ない。
何故なら単純に戦力差があるということもそうだが、こちらには地の利があるのだ。対して向こうからすれば西方は異郷の地――明らかに不利であろう。
だというのにあえて二正面作戦を選んだということは何かしらの勝算があるということで。
その勝算とやらに心当たりがあったジルはそれを口にした。
「あのお方は問題ないでしょうが、彼らが〝召喚〟したという〝勇者〟たちは警戒に値するかと思われます」
王都に潜伏させていた密偵から上がってきていた報告の中に、彼らが禁忌を破って〝異世界〟から〝勇者〟を五人も召喚したというものがあった。
この世界において〝勇者〟という存在は非常に重要な意味合いを持つ。故にジルは警戒を促したわけだが、彼女の主は一笑にふした。
「ふっ、そんなに気にすることはありませんわよ。〝勇者〟といえども大した力は持っていないみたいだから。その証拠に戦争前に一人魔物によって殺されたと聞いていますわよ」
その情報はジルも知っていた。けれども懸念が晴れる気配は一向になかった。
「ですが〝勇者〟ですよ?もし彼らが伝承通りの存在だとするなら……かなり危険です」
ジルがここまで〝勇者〟を警戒するのには訳がある。かつて召喚された〝初代勇者〟が残した功績があまりにも大きく、また有名であるからだ。
そのあまりの偉大さから人族の間では千年以上経った現代ですら畏敬の念を抱かれ、隣国であるアインス大帝国では神として崇められてすらいる。
(最強にして最恐の〝英雄王〟……もし今回召喚された勇者が同じ位の〝力〟を有していたら)
とジルが恐怖からブルリと身体を震わせると、その様子を見たアレクシアが呆れと慈愛がない交ぜになった表情を浮かべながら彼女の細身を抱きしめた。
「あ……」
「大丈夫ですわ。戦力ではこちらが勝っていて、地の利もこちらにある。それに勇者のような突出した武威を持つ個人はこちらにも一人いるでしょう?――ねえ、エレノア」
と、最後の人名だけ声を大きくすれば、扉が開かれて一人の女性が入室してくる。
主と抱き合う姿を他人に見られるのは不味いとジルが慌てて離れれば、アレクシアが僅かに残念そうな顔をするものだからジルとしてはたまったものではない。
大きな感情の波があふれようとするも、これまでの貴族人生で培ってきた鋼の理性でそれを抑える。必死に表情を取り繕ってやってきた女性の方へと身体を向けた。
すると女性はアレクシアの眼前で片膝をついて頭を下げていた。その仕草によって彼女が身に纏う鎧が金属音を奏でる。
「私の力など微々たるものでしょうが――それでも殿下がお望みとあらば勇者とやらの首、討ち取って御覧に入れましょう」
静謐な声音に滲むのは確かな覇気と自負で、彼女が武人であることを理解させられる。
明らかに尋常ではない雰囲気を纏う彼女の名はエレノア・ド・ティエラ。
エルミナ王国が誇る四人の大将軍〝四騎士〟の一角〝潔癖〟その人であった。
「相変わらずあなたは堅苦しいのが好きね。生きづらいのではなくて?」
「いえ、この性格は生まれついてのものですので、そのように思ったことは一度たりともありません」
「そう……ふふ、あなたらしい答えね。それでわたくしのところまで来たのは盗み聞きをするためかしら」
「……それにつきましては申し訳ございません。丁度扉を叩こうという時に殿下とヴィヌス卿の会話が聞こえてきましたので」
「別に構わないわ。ただあなたをからかいたくて指摘しただけだもの」
と笑みをこぼしたアレクシアだったが、不意に生真面目な表情を浮かべた。
「――それで、何の用だったのかしら」
「集結した十万、全軍の出撃準備が整いました。後は殿下の号令を待つのみです」
「そう……なら往きましょう」
主が発したその言葉にジルも身を引き締めた。
ここから先は一切の油断ができない。主と仰ぐアレクシアの為、四大貴族ヴィヌス家の当主として彼女を補佐するのだ。
大将軍と四大貴族の当主を従えてさっそうと歩くその背はまさに王者のそれだ。
(ああ、今日もアレクシア様はお美しい……)
ジルはうっとりとした表情を浮かべて金髪が揺れる背に熱視線を送りながら付き従う。
その様子を横目で見たエレノアは察した。アレクシアとジル、彼女たちの間には主従の関係以上のものがあるのだろうと。
されど、自分には関係のないことであるし、たとえ関係が深かろうが戦に影響しなければ問題はないので特に指摘しなかった。
それに――ジルの気持ちも多少ではあるが、わからないでもない。
何せエレノアもまたアレクシアに未来の王の姿を見たからこそ、彼女の陣営に加わることを決意したのだから。
――殿下こそ、次代の王に相応しい。
そう思いながらもエレノアは覇気にあふれる主の背を追うのだった。




