十四話
続きです。
味方に助言をした直後――夜光の中で何かが弾けた。
その何かの名は理性――人が人がある為に絶対に失ってはいけないものだ。
それを知っていたからこれまで保ってきた。ガイアやシャルロットの傍では上手くいっていた。なのに――、
「……もう、駄目だ」
ここに至るまで長い期間、彼女たちと会っていないせいだろうか。〝死眼〟を使用することで発生する他者への殺意は溜まる一方で、まったく解消されていなかった。
唯一ギャルテニアの街で敵の間者を始末したあの一瞬だけ解消されたが……先ほど四十体を超える〝なりそこない〟相手に〝死眼〟を使ってしまったことで元に戻ってしまっていた。
否、戻るどころか以前よりも多い。
(殺したい殺したい殺したい殺したい――……)
狂おしいほどの殺意に夜光は――、
「いや、したいじゃない。殺そう」
屈服してしまった。
直後、一体の〝なりそこない〟が雄たけびと共に棍棒を振り下ろしてきた。
一人の人族を潰す光景を思い描いた〝なりそこない〟は歓喜の声を上げようとしたが、すぐに困惑の声に切り替わる。
何故なら――、
『オオォ……ガッ!?』
「うるせえんだよ」
棍棒を持った腕が地面に転がっていたからだ。
あまりに一瞬の出来事だったため理解が及ばす〝なりそこない〟は動きを止めてしまう。
そんな敵を見た夜光の右手にはいつの間か白銀の剣が握られていた。
美しい剣だ。〝なりそこない〟の腕を切り飛ばした後でも刀身には一切の汚れがついていない。
眩い光を発する白銀の剣を持ち上げた夜光は口端を吊り上げる。
「黙って死ねよ」
吐き捨てるように言った夜光の姿は消えたように〝なりそこない〟には見えた。
けれども次の瞬間にはそれは間違いだったと知ることになる。
トン、という軽い音が聞こえたかと思えば、次いで視界に映りこんだのは曇天だ。
そこに白髪の少年の足が移りこんだことでようやく彼は地面に倒れこんだのだと理解した。
立ち上がろうとするも――両足の感覚がない。頭を上げて己が下半身を見やれば太ももから先がないことに気付く。
思わず怒りの咆哮を上げようとした〝なりそこない〟だったが。
「だから、黙れっていってるだろ」
魔力の膜と障壁、二重で守られていた右胸にたやすく白銀の刃が滑り込んだことで絶命した。
それを認めた夜光は〝なりそこない〟の腹の上で片足を鳴らして周囲を見回した。
明らかな挑発を受けた〝なりそこない〟たちは仲間の死体の上に立つ少年に向かって駆け出した。
『グオオォ――ッッ!?』
「遅い。図体だけが取り柄かよ」
あっという間だった。
何体もいた〝なりそこない〟が雪原に転がる。どれも無残なものだ。四肢を切り飛ばされた者もいれば首を刎ね飛ばされた者もいる。共通しているのは右胸を破壊されているということだろう。
「はは……」
喜悦を浮かべる今の夜光にとって〝なりそこない〟など大した敵ではない。〝死眼〟による未来視をためらうことなく使用しているため、どう動けば敵を殺せるかが手に取るようにわかっているからだ。
紫色の返り血を浴びて、動かない〝なりそこない〟を踏みつける夜光の姿は悪鬼にも思える。
眼帯からは青紫色の光が漏れ出ていてその狂気に拍車をかけていた。
夜光、クロード両大将軍の活躍によって数を減らした〝なりそこない〟は、既に五体ほどしか残っていなかった。それ故に余裕ができた騎士たちが夜光の姿を目にしてしまい思わず後ずさってしまう。
それほどまでに夜光の放つ覇気と殺気が異常だったのだ。
「……ヤコウ、そなたは――」
明らかにおかしい様子の夜光を心配したクロードは声をかけようとした。
しかしその時――一人の騎士が焦燥に満ちた大声を発したことで立ち止まってしまう。
『て、敵襲!敵襲だっ!』
「なに……?」
騎士が指さした方角に視線を転じれば、地平線に蠢く大軍の姿を認めることができた。
あれほどの数、加えて南からやってきたことを考えれば何者なのかはすぐにわかる。
「ルイ第二王子か!?」
だとすればこの状況は非常に不味い。すぐさま残りの〝なりそこない〟を討伐して騎士団の体勢を整えなおさなければいけない。
「くっ……ヤコウ、聞こえているか。ルイ第二王子率いる軍勢が向かってきている!すぐに迎撃態勢を取らなければ――ぬ!?」
その時、勢いよく一陣の風が吹いたことで雪が舞った。風は収まるどころかどんどん強くなっていく。
足元の雪が舞うことで視界が一気に悪くなる。そんな中でクロードの金眼に映りこんだのは――。
「……最悪の事態だ」
――突如として発生した吹雪の嵐だった。
*
時は僅かに遡る。
夜光たちが〝なりそこない〟と戦端を開いた頃、ルイ第二王子率いる北方軍一万五千は彼らの近くまでやってきていた。
『ルイ殿下、前方にて配置していた例の部隊が交戦状態に入ったとのことです。相手はおそらくは……』
「十中八九、クロード大将軍率いる光風騎士団だろうね。わかった、なら急ごうか。交戦中なら奇襲をかけられるかもしれない」
軍勢の中央を往くルイがそう言えば、兵士は一礼して去っていった。
それに代わるようにして一人の幕僚が馬を寄せてきた。
『殿下、何かご不満でもございますでしょうか?』
「うん?どうしてそう思うんだい」
幕僚の唐突な言葉にルイが首を傾げれば、彼はルイの顔を見てくる。
『先ほどからお顔の様子がすぐれないからです。いつもならもっと、こう……余裕のある表情をしてらっしゃいますから』
王族に対して中々な物言い、王家に対する忠義厚い者がいれば咎めたかもしれないが、ルイがそうすることはない。
ルイ自身が言葉を飾る必要はないと常日頃から幕僚たちに伝えているためだ。そうすることで意思疎通を円滑に行おうという目的である。現に幕僚たちのルイに対する信頼は上がっていた。
ルイは頬に手を当てながら苦笑した。
「そうかい?ボク自身、自覚はないんだけど……キミにはそう見えるんだね?」
『はい……少々怖いお顔になっていますよ』
「はは、なるほど怖いか……大丈夫だよ」
『そう、ですか……わかりました。何かお困りのことがあればいつでもお申し付けください』
心配そうな顔をした幕僚が下がっていく。そんな彼から視線を切ったルイは重々しい息を吐いた。
(彼には自覚はないっていったけど……)
本当は自覚していた。処世術として自らの表情の変化には気を配っているからだ。
部下たちに心配をかけないように普段の飄々とした態度でいなければならないことはわかっていたが、それでも顔に出してしまった。
(何か嫌な予感がするんだよね……)
ブルマス砦を出立してからずっと感じている違和感、何かを見落としているような気がしてならない。
(今のところすべて想定の枠内に収まっている――はずなんだけど)
どうしても違和感がぬぐえない。歯に物が挟まっているかのような感覚に襲われている。
(シャル率いる東方軍は想定外だったけど、それを織り込んだ新たなる策を練った。何も問題はない)
当初の計画では中央と南方が西方に掛かりきりになっている間に王都を陥落させ、オーギュスト第一王子らを人質にとることで内乱を早期に収束させる予定だった。
今後やってくるであろう大戦に備えエルミナ国内の兵力を温存するための作戦だったが、今ではその作戦は機能していない。
だからこそ第二の策を立案して実行しているわけだが……。
(ヨハンとダヴー将軍の軋轢が想像以上に大きかったり、クロード大将軍が東方軍側に下るとも思っていなかった)
付け加えるならオーギュスト第一王子陣営にいる〝勇者〟という存在も想定外だった。
よもや千年以上前に失伝したと言われていた〝異世界〟から〝召喚〟する禁術を発見した挙句、行使するなどと一体誰が想像できようか。
(千二百年前、その禁術によってこの世界に召喚された初代〝勇者〟――〝英雄王〟。伝承にある通りの存在だったとすれば、今回召喚された四人が同等の力を秘めている危険性がある)
千二百年前に世界を魔族の圧政から救った〝英雄王〟――隣国の超大国アインス大帝国では神として崇められてすらいる。
伝承によればたった一人で万の軍勢を打ち破るほどの武威を持っていたという。
「その者が持つ万物を読み解く瞳は軍勢を容易く壊滅させ、その者が振るう王の剣はあらゆる猛者を討ち取る、か……バカバカしい話だけどね」
もし本当にそのような存在だったとすれば誰も勝てないし止められないではないか。
そのような天災じみた怪物、当時の人々が受け入れるはずもない。
(でも、もしあの書物に記されていた通りならあり得なくもない)
王家の人間のみが入ることを許されている禁書保管庫という場所がある。
ルイは以前そこで世間一般には広まっていない〝英雄王〟にまつわるある伝承を見つけていた。
(〝英雄王〟はとある〝王〟を殺して喰らい、自らの力とした――か)
〝王〟と呼ばれるこの世界における神の一柱を殺し、喰らうことで〝力〟を得たとその書物には記されていた。
もしそれが真実ならば、彼にまつわる荒唐無稽な伝承も事実となりえる。それほどまでに〝王〟の〝力〟というものは強大なのだ。
(それにもしそうなのだとすれば〝勇者〟自体にはそこまでの力はないということになる)
とはいえ報告によれば〝勇者〟の四人は全員が〝固有魔法〟を宿しており、男二人に至っては王城に保管されていた〝神剣〟を所持しているという。厄介なことに変わりはないだろう。
(神剣が勇者を選んだか……)
にわかに世界が動き始めたことを予感させる出来事だ。大陸東側ではアインス大帝国が周辺諸国に侵攻しているという。
「東側もこちらも騒乱の最中……これはやはり〝月光王〟が予言していた時が来たと考えていいのかな」
二百年前、姿を消す前に人族の守護者である〝王〟が残した言葉。やがて再び来るという〝転換期〟――それが今だというのだろうか。
(だとすれば急ぐ必要がある。この国を護る為の準備を整えなくちゃいけない)
とルイが馬上で考えに耽っていた時だった。
軍勢の先頭から一頭の騎馬がやってきて、乗っていた兵士が一礼するなり口を開いた。
『ご報告致します。前方にて例の部隊と交戦する集団を目視で捉えました。掲げる紋章旗は白地に天を貫く剣――〝王の剣〟クロード大将軍率いる光風騎士団で間違いないかと思われます』
「そうかい、なら全軍に指示を。大鷲の陣形を取って――っ!?」
報告を受けたルイは指示を下そうとして――硬直した。その銀眼は驚きに包まれている。
『……ルイ殿下?どうかなされましたか』
「…………これは」
傍に近寄ってきた幕僚の声さえも届かないほどルイは驚愕していた。
何故なら不意に激烈な怖気に襲われたからである。
(なんだ、今のは……!?)
進行方向――すなわち前方から空気を震わせる強烈な殺気が放たれている。
瞳を閉じて意識を集中させれば、膨大な魔力を宿した生命体が複数いるのがわかり、さらにその中心部で荒々しい覇気が放たれていることがわかる。
(この気配……クロード大将軍――ではない?)
その近くに感じる雄々しき覇気は以前にも覚えがある。おそらくクロード大将軍のものだろう。
周囲に複数いる魔力の塊は例の部隊――〝なりそこない〟たちだろう。
ならばこの気配は一体何なのか、ルイは困惑から秀麗な眉根を寄せた。
(神聖、それでありながら邪悪……なんだろう、気味が悪いな)
相反する性質が交じり合って独特な雰囲気を醸し出していることがわかった。加えて放つ覇気は常人のそれではない。
しかし光風騎士団にこれほどの覇気を持つ者が存在するなど聞いたことがなかった。
(いや、今はどうでもいいか。どのみち開戦すればわかることだ)
ルイは気持ちを切り替えると、突如として黙り込んだ指揮官に困惑する幕僚たちへ視線を向ける。
「すまない、少しばかり考えごとをしていてね。じゃあ、今から作戦を――」
『る、ルイ殿下!あれをご覧くださいっ!』
出鼻をくじかれたルイは突如叫んだ兵士の指さす方を見やる。つられて幕僚たちもそちらに視線を転じれば――、
『なんということだ……』
――唐突に発生した暴風雪がこちらに襲い掛かってくる光景があった。
「不味いな。このタイミングで暴風雪か」
エルミナ北方における代表的な天災の一つがこの暴風雪だ。
発生を予測することは困難で、ほんの一瞬前までのどかな雪原だった所にいきなり発生する。しかも威力は壮絶で、巻き込まれれば雪と風に襲われて二歩先すら把握できなくなる。例年、この暴風雪が死因と思われる死者は後を絶たないほど危険なものだった。
『どっ、どうすればいいのだ!?』
「うろたえるな。全軍に密集陣形を取るよう伝えるんだ。暴風雪の中ではぐれたら死ぬからね」
想定外の事態に動揺を隠せない幕僚に冷静な言葉を投げたルイは、腰から一振りの剣を抜き放って天に掲げた。
美しい剣だ。全体が青く透き通っており、まるで蒼黄玉を剣の形に拵えたかのように輝いている。
「この天災を好機ととらえよ。暴風雪に紛れる形で敵に奇襲を仕掛けるんだ」
大声ではない。この混乱にあってはかき消えてしまう程度の声音。
けれどもその声は、指示は、命令は、確かに全軍に伝わったのだろう。
その証拠に一万五千もの軍勢が一斉に行動を始めた。
強大な天災を前に、狼狽えることなく。
これがルイ・ガッラ・ド・エルミナの持つ王権。まさに王者の声であった。
「……流石に向こうも気づいたか」
ルイの視界に映りこむのは隊列を整え始める光風騎士団の姿。
眼を凝らせばほとんどの〝なりそこない〟が倒されていることがわかる。
だが、彼らは役目を果たした。見事光風騎士団の足を止めたのだから。
「キミたちの死は無駄にはしないよ」
そう呟いたルイは暴風雪によって白く染まり始めた世界に向けて、掲げていた剣を振り下ろして切っ先を向けた。
そして――、
「全軍、ボクに続け!」
――声高らかに命令を下すのだった。




