五話
続きです。
神聖歴千二百年六月十一日――エルミナ王国東域北部グロッタ湿原。
至る所に水溜まりが点在し、その上に橋が架けられている。近頃雨が多かったせいなのか、水嵩はかなり高く、加えて霧が発生していた。
いくら橋が頑丈かつ幅広いといえどもそのような状況では騎馬を走らせるわけにはいかない。
故にクロード大将軍率いる〝光風騎士団〟は慎重な足取りで北方へと向かっていた。
「凄い霧だな。全然前が見えないぞ。おかげで前に進んでいる気がしない」
騎馬隊一万の先頭を往く二頭の軍馬、その内の右側の馬上で夜光がぼやいた。
グロッタ湿原に入ってからこのかたずっと霧の中と来れば仕方のない言葉といえよう。
濃霧と言っても差し支えのないほどのもので、夜光の強化された視力や〝死眼〟を以てしても何も見えない。
それは左側を往くクロードも同様で、夜光のぼやきに律義に頷きを見せた。
「そうであるな。だが斥候を出してつど確認を取っている故問題はないぞ」
「まあ、それはわかるけどさ……」
斥候を出し現在地や敵の姿を確認しているとはいえ、このように足元しか見えないという状況は中々神経に来るものがある。
(橋は広いし欄干もあるから下の湿地帯に墜ちる心配はあんまりないけど……)
古来より人が暗闇を怖がるのと同じだ。見えない、知覚できないという状況は人に心理的負担をかける。
加えて裏切られ、常闇の奈落へ落とされた身である夜光は警戒心がかなり強く、そんな過去から周囲が把握できないということで不安げであった。
そんな夜光とは対照的にクロードは落ち着いていた。不安を一切感じていないと言いたげな堂々たる態度は流石と言わざるを得ない。同じ大将軍としての格の違いを感じた夜光は嘆息する。
(同じって言っても俺は〝王盾〟に選ばれたから大将軍位に就いたに過ぎない。幼少期から軍人として学んできたクロードと比べれば赤子と大人くらいの差があるだろう)
大きすぎる壁――されど諦めるわけにはいかない。それではシャルロットとの約束を破ることになりかねないからだ。
(恩を仇で返す真似だけはできない。……少しずつでも近づく努力をするしかないか)
ここまでの行軍中も夜光はクロードから教えを受けていた。軍事に関する座学、模擬戦闘による訓練、〝光風騎士団〟に所属する騎士たちにも協力してもらって集団を指揮する訓練も行っている。
(クロードは才能があるって言ってくれたけど……)
クロードとの実力差を感じる日々だ。自分が本当に大将軍で良いのかと声高に主張したくなる。けれども他国と違ってエルミナ王国では〝王盾〟に選ばれた者が大将軍となるのが法で定められている。そこに貴賤は関係なく、これまでの経歴や軍人としての経験の有無さえも問われない。
それほどまでにこの国では〝王盾〟の所持者というのは特別なのだ。
(頑張るしかないか……)
と夜光が重々しい息を吐き出した――その時。
「っ、今の聞こえたか?」
「ああ、某もしかと耳にした」
夜光の耳朶に触れたのは男の声――それも悲鳴だった。
はるか前方から聞こえてきたその声はクロードも捉えたようで、表情を険しいものにしている。
「斥候になにかあったんじゃ……」
「かもしれぬな。――全軍、停止せよ!」
クロードが騎士団に指示を下す合間に夜光は前方へと眼をこらす。相変わらずの濃霧で何も見えないが……夜光の直感は警告を発していた。
今までもその感に助けられてきた夜光は馬を止め、〝王盾〟を戦闘状態へと移行させると右手を何もない虚空へと伸ばす。すると空間に亀裂が入り、中から一振りの剣がゆっくりと現出する。
世にも美しい白銀の剣――〝天死〟である。
「クロード、俺が様子を確かめてくるよ。それまでここで――っ!?」
夜光が肩越しに後ろを向いていた時だった。
何かが夜光の視界の端を横切った。それはビチャリと生々しい音を奏でて橋床にへばりつく。いったい何が、と視線を下向ければ――そこには肉塊が存在していた。
何か鋭利な物――魔物の爪のようなもので切り裂かれたような跡がある。吐き気をこらえてよく目を凝らせばその肉塊には見慣れた服の切れ端が付着していた。
(これは――〝光風騎士団〟が鎧の下に着る服だ!)
その事実に夜光が気づくと同時に殺気が襲い掛かってきた。
咄嗟に馬から転げ落ちるように身を投げ出せば、嘶きを上げる暇もなく馬が両断された。
吹き上がる鮮血、飛び散る肉や臓器――それら凄惨な光景に意識をやる暇はない。夜光の視線はその凶刃を振るった者へとくぎ付けになっている。
(なんだこいつは――!?)
成人男性よりも二回りほど大きい巨体を持ち、肌は病気にでもかかっているような紫色をしている。人間と体の構造は同じように見えるが、頭を見れば一発で違うと断言できる。
頭髪は一切生えておらず、顔はどこかのっぺりとしている。まるでマネキンのようだ、と夜光は思った。だがそのマネキンモドキは動いているし、何より明確な殺意をこちらに向けている。血が滴る大剣を片手に持っており、それで凶事を成したであろうことは明らかだった。
「何奴だ!」
凍り付いた時がその声一つで動き出す。
〝王剣〟を抜剣し濃霧から姿を見せたクロードが誰何する。その声にマネキンモドキが反応して耳を塞ぎたくなるほど禍々しい咆哮を放って駆け出した。
向かう先は夜光――ではなく今しがた姿を現したクロードの方だった。
『ガァアアアアッ――』
「ぬ、ぐぅ……」
繰り出された大剣をクロードは咄嗟に手にしていた〝王剣〟で受け止めた。神器所持者のクロードは加護によって身体能力が強化されている。だというのにマネキンモドキの一撃をクロードは弾けず押し込まれてしまう。
凄まじい膂力に押され刃が顔まであと数センチというところで――夜光が横合いから放った刺突にマネキンモドキが反応、その巨躯に似合わない素早さで身を引き白銀の刃をかわした。
夜光はクロードが体勢を整えるまでと、殺気を放ち〝天死〟の切っ先を向けることで牽制する。その間相手は仕掛けてはこず、無言でこちらを見つめていた。
能面のように無表情な顔から視線を外しその巨体を見回せば、強大な魔力の存在を感じ取ることができる。
あまりにも異常な魔力量だ。勇者たちやカティアですらこれほどの魔力量は保有していないだろう。夜光が奈落で出会ったガイアに迫るほどの濃密な魔力――しかし、ひるんではいられない。
「クロード、俺が奴を引き付ける。その隙を狙ってくれないか」
「任せよ」
短い応答、けれども確かな信頼を声音から感じる。
二人の大将軍は旧来の戦友であるかのように並び立った。
両者が放つ覇気は尋常ではなく、対峙するマネキンモドキは気圧されたのか半歩後退し、背後で様子を窺っている味方の騎士たちは憧憬の眼差しで二人の背を見つめていた。
そして――、
「ハァアッ!」
始まりは夜光だった。
気迫を上げ地を蹴って接近、マネキンモドキめがけて〝天死〟を振るう。
特殊な素材で作られた武具でなければ容易く切り裂く白銀の刃を相手は大剣で受け止めた。常ならば切り裂いたであろうが今回は違った。なんとマネキンモドキが手にする大剣は〝天死〟を受けきったのだ。
「何――っ!?」
『グォオオッ!』
夜光を軽々と上回る腕力に攻撃が弾かれる。天を向いてしまった右腕に隙ありだと大剣による横なぎが繰り出された。
されど、その一撃は夜光が左手に持っていた蒼光放つ神秘の盾に防がれる。凄まじい衝撃が夜光を襲う。かつてであればそのまま腕をへし折られたかもしれないが、今の夜光は盾の扱いを騎士たちから学んだあとだ。
盾を持つ手と腕を動かし調整、斜めにして受け止めた力を下方へと流す。これによって体重を乗せた相手の大剣は橋床へと流れ、床を粉砕しつつ突き刺さった。
明確な隙――それを逃すクロードではない。
「その首、もらい受けるッ!!」
『――――』
咆哮を発する暇すら与えない神速の一太刀がマネキンモドキの首を刎ね飛ばした。
断面から鮮血が吹き上がり、能面じみた頭が床を転がってゆく。
遅れて巨体が倒れれば、生み出された風圧が一瞬ではあったが周囲の霧を晴らした。
体勢を整えた夜光がクロードと共に伏したマネキンモドキへ近づく。動く様子はないことを確かめて安堵の息を吐いた。
「ふぅ――……なんとかなったな。しかしこいつは何だったんだろうな。魔物だとは思うんだけど」
「…………」
夜光の何気ない問いにクロードは表情を険しくさせたままマネキンモドキを凝視していた。待機していた騎士団の面々もやってきてその姿を認めてささやきあう。
『なあ、これってもしかして……』
『いやあり得ないだろ。アレは第二代国王陛下の時代に完全に殲滅されたはずだ。製法を知っていた者は一人残らず処刑されたっていう話だろ』
『でもこの肌の色は……』
軍規に厳しい騎士団では任務中に私語を交わすことはない。それは何日も共にいる夜光もよく知っている。しかし今、騎士たちは動揺もあらわに囁きをかわしあっていた。
普段であればクロードが窘めるが、彼は死体を見つめたままだ。
一体このマネキンモドキは何なのか、それを知るべく夜光が騎士たちの方へと向いた時だった。
「総員、急いで離れよ!」
鋭いクロードの声に危機感を抱いた夜光が振り向けば、そこには飛びずさるクロードの姿と起き上がるマネキンモドキの巨体があった。
「嘘だろ……」
夜光が茫然と呟くのも無理はない。
何故なら、起き上がりつつあるマネキンモドキの首から無数の触手のようなものが生えていたからだ。〝王剣〟によって切り裂かれたその断面はグチュグチュと生理的嫌悪を催す音を奏でて次々と触手を吐き出している。
(どうなってるんだよ、こいつは……っ!?)
明らかに普通の魔物ではない。首を落とされても動ける魔物など――生物などいない。否、居てはならない。
夜光は顔を引きつらせながら大声を上げた。
「おい、クロード!こいつは一体なんなんだ!?どうすれば倒せる?」
「間違いない。〝堕天〟――愚者の末路〝なりそこない〟だ!体内にある〝魔石〟を破壊しなければ殺すことはできぬ!」
「なんだって!?」
クロードの言葉にあったいくつかの単語は理解できなかったが、体内にある何かを破壊すればいいらしい。ならば――、
(〝死眼〟、俺に〝視〟せろ!)
夜光は対象の殺害方法がわかる未来視にも似た特殊な瞳――〝死眼〟を使うことを決意する。
同時に武骨な眼帯に覆われた夜光の左眼が赤く発光し、禍々しい魔力が立ち上った。
本来夜光が持ちえない魔力にクロードが瞠目したが、集中していた夜光がその様子に気付くことはない。
(〝視〟えたぞ、あれが〝魔石〟とかってやつか!)
今や完全に立ち上がったマネキンモドキ――〝なりそこない〟を左眼で〝視〟れば、心臓とは逆の右胸に魔力が凝縮している物体が存在することがわかった。
「クロード、右胸だ!奴の右胸に〝魔石〟がある――と思う」
ちょっとだけ自信なく言葉を付け足したが、クロードは夜光の言葉を疑う様子はなく頷きを見せた。
「承知した。総員、盾を構えて待機せよ。ヤコウ、共に参るぞ!」
「了解だ!」
返事と同時に地を蹴った夜光は跳躍――白銀の刃を振り下ろした。
対して〝なりそこない〟は何も持たない右腕を翳しただけ。けれどもその右腕は〝天死〟を受け止めた。
(そういうことか!)
先ほど感じた違和感――何故単なる鉄の大剣如きが〝天死〟を受け切ったのか、今ならばわかる。
〝なりそこない〟はその身に宿す異常なまでに強大な魔力を大剣に纏わせることで防いだのだ。刀身に触れれば切断されるが、何十にも折り重ねた魔力という純粋な〝力〟だけなら〝天死〟を受け止めることができる、という理屈だが、通常はあり得ない。というか不可能だ。
その理由は〝天死〟を防ぐことのできるほどの魔力を宿した生物などほとんど存在しないからだ。S位階以上の魔物でなければあり得ない。ただの人ではまず不可能なのだ。
だが、現に〝なりそこない〟とかいう相手はそれを成している。ならばS位階以上の魔物と同等と判断して対処するしかないと夜光は意識を切り替えた。
「オォオッ!」
『――――』
夜光の一撃を防ぐ〝なりそこない〟の胴体めがけてクロードが〝王剣〟を振るった。先ほどまでであれば切断できたのだろうが、今回は腹部にわずかに切り込むだけで終わってしまう。
と、ここで夜光は力加減を絶妙に調整して〝天死〟による一撃を緩めた。拮抗していた状態が崩れ、夜光の右腕が弾かれる。しかしそれは計算の内、彼はその勢いを利用して中空で一回転すると〝なりそこない〟の腕を踵で蹴り上げた。
すると〝なりそこない〟の体勢が崩れ、その巨体が後ろにぐらついた。
そこにクロードが追撃をかけ、掌底を放つ。と、体幹を崩した〝なりそこない〟はそのまま倒れこんだ。
「今だ――!」
「ゼァアア!!」
夜光が叫び、クロードが気迫と共に〝王剣〟を〝なりそこない〟の右胸に突き刺した。しかしまたしても魔力によって妨害され、銀刃が届かない――否。
「届かせるッ!」
そこに夜光が参戦する。〝なりそこない〟を踏みつけて、蠢く触手を〝王盾〟で防ぎ、〝天死〟を全力で右胸に突き刺した。
膨大な魔力による障壁がそれを防ぐも――〝王剣〟と〝天死〟、破格の性能を持つ二振りが相手では流石に分が悪い。
拮抗は一瞬のことで、次の瞬間には破砕音と共に魔力障壁が破られて二振りの刃が〝なりそこない〟の右胸を貫き、その中に隠されていた紫光を放つ不気味な宝石すらも粉砕した。
夜光とクロードが荒い息をつく中で、〝なりそこない〟は弱々しい動きを見せながらやがて完全に沈黙したのだった。




