十一話
続きです。
神聖歴千二百年五月三十日。
第三王女の演説から既に一週間以上が経過していた――今日、バルト大要塞の中央正門前には大軍勢が集結していた。
その数十万。これはバルト大要塞が保有する戦力の三分の一ほどである。
大勢の兵士が立ち並ぶ姿は圧巻の一言で、城壁から見下ろす夜光は感嘆の吐息をもらした。
「……凄いな」
「俺としちゃこれでも足りないって思ってるんだがな」
満足げな夜光とは対照的に隣に立つクラウスの顔は晴れない。
何故ですか、と夜光が問えば、彼は頭を掻きながら応じる。
「今の俺たちは三方から囲まれている状況だ。いや、仮想敵国である東側諸国を合わせれば四方というべきか」
エルミナ東方――現在の夜光たちは四方を敵に囲まれている状況にある。
北にはルイ第二王子、西と南はオーギュスト第一王子、そして東にはアインス大帝国を始めとする列強諸国が存在している。
そのどれもが二桁を超える軍勢を有しており、こちらが十万を用意できたとしても油断はできない――そうクラウスは主張しているわけだ。
「防衛についてはこの大要塞があるから問題ないだろう。だが、撃って出るとなると話は別だ」
こと防衛においてはこちらが有利だ。難攻不落と謳われるバルト大要塞があり、ここには出陣する十万を除いてもまだ二十万の大兵力が残っているからだ。
しかしこちらから動くとなると話は変わってくる。堅牢な城壁から外に出れば、どのような結末が待ち受けているのかまったく予想できない。包囲殲滅されることだって十分にありうる話なのだ。
「だからこそ短期決戦を狙う――そう軍議で決まったじゃないですか」
と、夜光がクラウスの憂鬱を晴らそうとすれば、それに同意してきたのは二人の背後から近寄ってきた男――テオドールであった。
「ヤコウ殿の言う通りだぞ、クラウス。王都へと進撃し、陛下をお救いすればこちらの勝利だ」
そう言い切れるのには理由がある。
ルイ第二王子、アレクシア第一王女の二人はシャルロット第三王女と同じく国王を救うために立ちあがったという大義名分があるから兵士や民衆の支持を得られている。
逆に言えば三者の内一人が国王を救った時点で他の二者の大義名分が失われるということである。
「大義なくして人心は集まらない。人は獣や魔物と違って戦う際に理由を求める存在だ」
だからこそ夜光たちは中央へと進撃することを決断した。それにこの判断はシャルロットのなるべく流血を避けたいという主張とも合致する。故に反対意見が軍議で出ることはなかった。
「それに自国民同志で争っている場合でもないからな」
「違いないですな。東側はどうにもきな臭い」
「……他国が侵攻してくるのは避けられそうにないんですか?」
夜光がテオドールとクラウスに尋ねれば、二人は重々しく頷いた。
「密偵からの報告によれば東側は戦争状態にあるとのことだ。それが終われば勝者がこちらに牙を向けてくる可能性は高い」
現在、〝大絶壁〟を挟んだ南大陸東側は戦火が燃え広がっている状態だという。
超大国であるアインス大帝国が現皇帝の元に領土拡張路線を歩んでおり、周辺諸国に侵攻。対する国々は同盟を結び対抗しているのだが、アインス大帝国の圧倒的な軍事力を前に敗退を続けているらしい。
「アインス大帝国は実用化と実戦配備に成功した飛空艇を多数保有しているらしくてな。それのおかげで連戦連勝を重ねているみたいだぜ」
「それにかの国には〝護国五天将〟がいる。まだ断片的で明らかではないのだが、その中にかの〝英雄王〟の末裔がいるらしい」
「マジっすか!?それが本当で、しかも伝承通りの〝力〟を持ってるんだったら勝てませんよ」
「確定ではないと言っただろう。……だが、本当なら勝つのは難しいだろうな。二百年前に現れた末裔ですら討ち取るのに万の軍勢が必要だったらしいからな」
テオドールとクラウスが深刻そうに語る中で気になる単語を見つけた夜光は口を開く。
「……そういえばオーギュスト第一王子が飛空艇を投入してくる可能性ってあるんですか?もしそうなったらかなり不味いと思うんですけど」
夜光の脳裏に浮かぶのはこの世界に召喚された直後の光景だ。王都パラディースの上空に浮かんでいた巨大な戦艦――飛空艇〝オルトリンデ〟の存在、あれが使えるのであれば戦争を有利に進められるだろう。
(この世界において人が空を飛ぶ方法は飛空艇だけだ)
空を飛ぶ魔法は未だ存在しない現状、制空権を取れる飛空艇を有しているというのはかなり有利だと言える。人の手が届かない天空から一方的に攻撃できるというのは反則的とまでいえよう。現にその飛空艇を何隻も保有するアインス大帝国は複数の国家を同時に相手取って勝利を積み重ねている。
(もちろん地上から魔法を使って攻撃することはできる。けどほとんどが射程が足りずに届かないし、届いたとしても厚い装甲と魔力障壁に阻まれてしまう)
まさに反則的な存在、けれども製造方法は秘匿されており、生み出した最初の国家であるアインス大帝国が独占している状態だ。エルミナ王国も何十年もかけて独自に開発を続け、遂には初号機オルトリンデの製造に成功したという背景がある。
しかし、そんな夜光の懸念はあっさりと払拭されることとなる。
「それは心配ないぜ、ヤコウ。エルミナの飛空艇は今のところオルトリンデ一機だけだし、あれもまだ未完成なんだ。空に浮かべるってとこまでしか進んでなくて、まだ前進とか後退とかが出来ないんだ」
「それに加え武装も装着していない。よって此度の戦では無視してよい存在だ」
「なるほど……そういうことなら安心ですね」
単なる張りぼて、見せかけの存在でしかないのならば何の問題もない。
安堵の息を吐く夜光。そこへシャルロットが歩み寄ってきた。
三人は一斉に臣下の礼を取る。シャルロットの「楽にしてください」という言葉で再び立ち上がった。
「先ほど出立の準備が整ったと報告を受けました。皆さんも用意はいいでしょうか」
「はい、姫殿下。問題ありません」
「俺も大丈夫ですぜ。まあ、ただ見送るだけですから」
「口が過ぎるぞ、クラウス」
「まあまあ、そう目くじら立てないでくださいよ、先輩。姫殿下はお優しい方ですから多少の無礼はお許しくださいますよ」
二人の会話は内容こそ真面目なものだが、交わす言葉には気軽さが見られた。
これが長年の仲なのだろうかと少々うらやましげに見つめる夜光に、シャルロットが声をかける。
「ヤコーさまは大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ。シャルこそどうなんだ。緊張とかしてないのか?」
「……正直に言えば緊張はしています。けれど――立ち上がった以上、立ち止まることだけは許されませんから」
そう告げるシャルロットの表情はどこか固い。夜光の主でもあるこの少女はどうにも自罰的というか自分に厳しく他者に優しい傾向にある。為政者としてそこまで間違ってはいないのだろうが、そんな生き方を続ければいずれ破綻する。溜まりに溜まった心理的負担が彼女を殺すだろう。
(そうならないようにするのが俺の役目か)
と、夜光はシャルロットに近寄る。幸いこの場にはテオドールとクラウス、既知の間柄しかいない。ならば、と夜光はシャルロットの頭を撫でた。
「あ――」
「大丈夫だ。この先何があっても俺が傍にいる。守ってやる」
それが〝守護騎士〟としての使命でもあるしな、と夜光が笑いかければ、シャルロットは驚きの表情から安堵の表情へと変化させてほほ笑んだ。
「……もう、子ども扱いしないでください。ですが……ありがとうございます」
「実際まだ子供だろ?」
「わたしは十四です!もうとっくに成人してます!」
「……そういえば十二歳で成人だったな」
そんな会話を繰り広げる夜光とシャルロット。二人を見守るテオドールは「だから人前で……」と呆れを含んだ視線を向けており、クラウスは「仲のいいこって」と生暖かい眼を向けている。
これから出陣だというのに、どこか弛緩した空気が流れる場は――突如として切り裂かれた。
『クラウス大将軍、クラウス大将軍はいずこに!?』
ここまで走ってきたのだろう、荒々しい息と共にクラウスを探す声を一人の兵士が発していた。
一体何事か、クラウスが手を上げて居場所を示せば、その兵士は鎧を慣らしながら走り寄ってきて片膝をつく。
「おう、どうした」
クラウスの他に第三王女や四大貴族の長がいることに気づいたのだろう、緊張から言葉を詰まらせる兵士を思いやってか、あえて軽い口調で尋ねたクラウス。
そんな彼の配慮が功を奏したのか、兵士は息を整えると報告を行った。
『斥候が〝光風騎士団〟の姿を確認しました。その数一万、率いるのは〝王の剣〟クロード大将軍ですっ!』
「……それは確かなのか?」
信じがたいといった様子のクラウスが問いかければ、兵士は何度も頷いた。
『事実です。先頭の馬に乗っているクロード大将軍らしき人物の腰にあの〝王剣〟が吊るされているのを確認しておりますので、まず間違いないかと』
〝王剣〟はエルミナ王国においては有名すぎる武器だ。その神秘的な造りは遠目でも他の武具とは違うと分かるほどである。
加えて――、
『掲げる紋章旗は白地に天を貫く剣――〝王の剣〟の御旗でした』
その特徴的な紋章旗は代々〝王の剣〟が率いる軍勢のみが掲げることを許された旗だ。
故に見間違いでなければこちらに向かってきてる相手は〝王の剣〟クロード大将軍ということになる。
「いずれ戦うとは思ってたけど……まさかこんなに早くとは思ってもみなかったな」
軍議でのクロード大将軍に対する予測では、彼との戦いはまだまだ先になるというものだった。これは王都に潜伏させている密偵から、彼が北方へ向かうという報告を受けていたためだ。
(それがまさかいきなりこっちに方向転換してくるとは……想定外にもほどがある)
しかも率いる手勢はたったの一万だという。対してこちらは未だ要塞にいることから最大で三十万を動員できる。
(どう考えても向こうに勝ち目なんてない。一体どういうつもりなんだ?)
と夜光が怪訝そうに眉根を寄せていれば、テオドールがシャルロットに問いかけた。
「姫殿下、どうなさいますか?私としてはこのままバルト大要塞に留まり、迎え撃つのがよろしいかと思いますが」
「…………そう、ですね。テオドールさまの案が良いと思います。ただし決してこちらから攻撃しないようにしてください。クロード大将軍には戦う意志などないかもしれませんし、もしそうなら話し合って解決できるかもしれませんから」
シャルロットの言葉は甘いと言わざるを得ないが、一方で納得がいくものでもあった。
(確かに戦う気がないのかもしれない。あったらもっと大兵力を連れてくるだろうし、少数ならそれに応じた動きをするだろう)
兵力で劣るならば奇策などを用いてその差を埋める戦い方をする――それくらいのことならば兵法についてまだ初心者の夜光ですら知っていることだ。
それをせずに姿を見せつける形で一直線に向かってきているということは、シャルロットが言ったように戦う気がないのかもしれない。
もしそうならこちらとしても都合が良い。出陣前に兵力を減らしたくないし、何より相手は生ける伝説であるクロード大将軍だ。いくら兵力でこちらが優っているとはいえ、必ず勝てるとは言い切れない。
それに――、
(テオドールさんにとって辛い戦いになってしまうし)
相手であるクロード・ペルセウス・ド・ユピターは、その名が示すようにテオドール・ド・ユピターの実の息子である。
親子――肉親同志が争うというのはこの殺伐とした世界においてはさほど珍しいことではない。ないが、それでも悲劇であることには変わりないし、夜光としては避けたいところだ。
(テオドールさんにもクロードにも恩義がある。彼らが殺しあうところなんて見たくないし、そんなの俺がさせない)
出来る、出来ないではない。やるのだ。
望まない悲劇などこの手で壊してしまえばいい。
そのための〝力〟だと夜光は思う。復讐の為だけのものではないと考えた。
(お前から貰ったこの〝力〟で、俺は復讐以外の事をするよ――ガイア)
きっと彼女も同意してくれる。感情表現に乏しかったが、それでも優しい心の持ち主であったあの少女ならばきっと復讐なんて昏い目的以外に〝力〟を使ってほしいと望むはずだ。
しかしどうしても怒りは捨てられない。もう魂に染みついてしまっている。必ず復讐は果たす――けれどもそれだけでは駄目だとも思っていた。
「ガイア……俺は――」
慌ただしくなる場の中で、夜光はポツリと呟いた。
それを聞き届けたのは一人だけ。彼の傍にいた金髪碧眼の少女だけだった。




