第一話「英雄の朝」
手に取っていただきありがとうございます。よければ最後(第五話)まで読んでいただけると嬉しいです。
完璧な英雄というものは、朝から完璧なのだと、サポーターを務めるレンは思っていた。
旅に出るまでは。
実際には、勇者は人だった。とだけ。
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鶏が鳴いた。
レンはすでに身支度を終えていた。荷物の重量配分を確認し、今日の行程を地図で三回なぞり、宿の主人から仕入れた街道の情報を記録帳にまとめた。旅に出て三ヶ月、朝の準備だけは誰にも負けない。
記録係として、サポーターとして、自分にできることを全力でやる。それがレンの誇りだった。
あとは勇者様を起こすだけだ。
廊下を歩き、一番奥の扉をノックした。
「勇者様、朝です。出発は日の出から一刻後——」
返事がない。
もう一度、今度は少し強めに。
「勇者様?」
沈黙。それから、布団が擦れる音。
「……んあ」
レンは首を傾げた。
「あの、起きていらっしゃいますか」
「……起きてる」
明らかに起きていない声だった。
十分後、魔法使いが通りかかった。
「まだ出てこないのかしら」
「返事はあるんですが」
魔法使いは扉を三回、リズムよく叩いた。
「アルド。起きないと置いていくわよ」
沈黙。
「……今行く」
声に輪郭が戻ってきた。レンはほっとした。
扉が開いたのは、さらに十五分後だった。
アルドは完璧だった。
どれだけ待たされても、扉から出てきた勇者の姿はいつだって絵になった。褐色の肌に朝の光が落ちて、背筋はまっすぐ、目は澄んでいる。腰の剣は寸分の狂いなく収まり、旅装に皺一つない。
英雄とはこういうものだ、とレンは思う。朝から完成されている。
「お待たせしました、勇者様。荷物はこちらに」
「ああ」
低く落ち着いた声。レンの背筋が自然と伸びた。
アルドは荷物を受け取り、階段を下りていく。その背中を見ながら、レンは今日も胸が熱くなるのを感じた。
出発前、レンはアルドの部屋を確認しに戻った。忘れ物がないか点検するのも仕事のうちだ。
扉を開けて、固まった。
シーツが床に半分落ちていた。枕が壁際に転がっている。脱いだ靴下が片方、窓枠に引っかかっていた。水差しが傾いたまま奇跡的にこぼれていない。着替えが椅子に山を作り、その頂上に昨夜レンが丁寧に折り畳んだ地図が無造作に載っていた。
さらに、テーブルの上。
食べかけの干し肉が、そのまま置いてあった。包んでいた紙だけが几帳面に畳まれて横に置いてある。食べかけを残すのに、紙だけ畳む。その奇妙な几帳面さが、レンにはいちばん理解できなかった。
黙って片付けた。シーツを直し、枕を戻し、靴下を鞄に押し込み、地図を折り直し、干し肉を包み直した。十五分かかった。
一階では、アルドが僧侶の男と地図を広げていた。
「この道は川沿いに迂回が必要だ。増水の季節だからね」
「では北回りで?」
僧侶は尋ねた。
「いや、増水するのは支流の方だ。本流は橋が生きている。ここを渡れば半日は短縮できる」
的確だった。レンが三回見ても気づかなかった迂回路を、アルドは一瞥で読んでいた。
盗賊が「こっちの山道の方が面白くない?」と口を挟んでも、短い言葉で理由を説明して却下した。魔法使いが小さく笑った。
完璧だ、とレンは思った。
ただ、テーブルの上にアルドの水筒が置いてあった。出発直前だというのに、本人は気づいていない。レンはそっと持ち上げ、荷物の中に滑り込ませた。
アルドは気づかなかった。
出発の朝日の中、五人は宿を後にした。
先頭を歩くアルドの背中は、どこまでも頼もしかった。
レンはその三歩後ろを歩きながら、昨夜たたんだ地図が今朝また別の折り方になっていたことと、窓枠の靴下と、食べかけの干し肉のことを、誰にも言わなかった。
記録帳を開いた。
第九十三日。出発。勇者様の部屋、本日も要片付け。靴下一足、窓枠。地図、再折。干し肉、紙のみ几帳面に畳まれていた。理由不明。
書いてから、最後の一行を少し眺めて、消さずにおいた。
読んでいただきありがとうございます!!
是非、五話まで読んでくださるとうれしいです!




