第2-3話 篠崎さゆり(2)
麻夕ちゃんの部屋で机を囲み、俺たちは他愛のない談笑を繰り広げていた。
会話の内容は俺とさゆりちゃんのプロフィール的なところが多い。まだお互いに知り合ったばかりだから、とりあえず探り探りといった感じだ。
初対面の人との話を盛り上げるテクニックとして、会話の中から共通の話題を見つけるというのがある。
俺もそれは分かっているのだが、俺と共通の趣味や経験を持っている人なんてそうそういないから厄介だ。
俺の趣味といえば映画、音楽、小説、マンガ、アニメ、ゲーム等々。
こうして挙げてみるとそれなりに話の引き出しがありそうだが、いかんせんそれぞれのジャンルにおける知識の幅が狭いから、ピンポイントで話が合わないとニアミスで終わってしまうことになる。
よくあるのが、
『俺、家にいるときはずっとマンガ読んでるんだよね』
『そうなんだ、俺もよく読むよ。○○○○って知ってる?』
『いや、それは知らんわ……』
……おしまい。
俺は歴史オタクでもあるのだけど、以前歴史好きを名乗る人に出会った時には織田信長の偉大さについてマシンガンのごとく語ってしまい、当然のように引かれた。
こうした様々な失敗から学び、辿りついた境地が誰とも話さないことというわけだ。
しかし、今この場においてはその奥義を使用することもできず、俺とさゆりちゃんは交互に当たり障りのない質問を続けていた。
「慶太は今おいくつですか?」
名前の呼び捨てと丁寧な言葉遣いのギャップが耳にくすぐったい。
喋り方は姉の琴葉さんを真似ているのだろうか。琴葉さんに比べるとそこまで流麗ではないものの、春の陽射しのように穏やかな口調は聞いている人を安心させる。
それにしても、さゆりちゃんは本当に笑顔を絶やさない子だ。
心理学的にも笑顔は笑顔で返されるというが、さゆりちゃんはいいお手本だと思う。
普段から目が死んでるだの顔に生気がないだのとよく言われる俺ですら、この子を前にすると口元が緩んでくる。
「二十一歳だよ。さゆりちゃんは十四歳だよね?」
麻夕ちゃんと同級生ならそのはずだ。もしかしたら誕生日が早くて、もう十五歳になっているかもしれないけれど。
「そうですよ。さゆは麻夕ちゃんよりちょっとだけ誕生日が遅いのです」
なるほど。ということは麻夕ちゃんの方がお姉さんになるわけだ。
確かに、こうして見ていると麻夕ちゃんにはなんだか年上としての自覚があるようにも思える。そんな自覚を持ってしまう辺りがまた可愛らしい。
「いいなぁ、これから高校に行って、大学に行って。俺も麻夕ちゃんやさゆりちゃんと同い年だったら良かったのに」
十四歳で、中学三年生になったばかりの俺と麻夕ちゃんとさゆりちゃん。
思春期を迎えた三人の、甘く切ない関係性――
そんな妄想が、ふと頭をよぎる。
しかし現実は残酷だ。
俺は既に二十歳を過ぎ、人生は崖っぷちに面している。そして女性と交際したことだって一度もない。
世間では高校生にもなれば彼女なんていることが当たり前というような感じだが、俺には到底理解できないことだ。
「高校は楽しかったですか?」
さゆりちゃんの問いには何の邪気もない。
だから、俺にとっては少し心苦しい質問なはずなのだけど、さらりと答えることができた。
「今となっては楽しかったかな」
そう、今となっては。
当時は無味乾燥とした毎日にほとほと嫌気が差して、早く卒業して大学に行きたいと思っていたはずなのに、やっぱり過ぎてしまえばそれは不可侵の時の流れに守られて、美しい思い出となる。
なんとなく買ってみた小説に心を奪われて一夜で読破したことも、眠たい眼を擦りながら空が明るくなるまでゲームをしたことも、インターネットでふと面白い動画を見つけて一人で大笑いしたことも、今となってはすべてがいい思い出だ。
何よりも、漠然とではあるが将来に希望を持っていた。それだけで、十分に楽しかったと言えるだろう。
「今となっては……ですか?」
さゆりちゃんもそこの部分が気になる様子。まだ中学生の麻夕ちゃんやさゆりちゃんには理解できない感覚かもしれない。
「うん。でも、きっと楽しいと思うよ。さゆりちゃんには麻夕ちゃんもいるし、琴葉さんもいるしね」
麻夕ちゃんにもさゆりちゃんにも、心から大切に思える人がいる。
ならば、これから先の人生にどれほどの艱難辛苦が待ち受けていたところで、後で振り返ってみれば楽しかったと思えるはずだ。
「はい」
そう言って、さゆりちゃんは満面の笑みを浮かべる。
ああ、本当に可愛いなぁ……。
この子がこうして笑っていられるためであれば、何だってしてあげたいと思ってしまう。
女のために身や国を滅ぼした男の例は歴史上にも枚挙に暇がないが、誰しも初めはこういう気持ちだったのかもしれない。
そこでふと、俺はさっきから麻夕ちゃんが静かなことに気付く。
見てみると、麻夕ちゃんは少し口を尖らせて、じっと床を睨んでいた。
あらら……ちょっと失敗したかな。
さっきから俺とさゆりちゃんばかり話していたから、仲間外れにされたと感じて拗ねているようだった。
こんな子どもっぽいところも可愛いけれど、もう少し俺が配慮するべきだったな……。
「麻夕ちゃんは高校生になるの楽しみ?」
「え?」
急に話を振られて、麻夕ちゃんは少し考え込む。
「えっと……そうでもないかな……。今よりもっと勉強しなくちゃいけないと思うし……」
確かに高校になると授業の難しさはぐっと上がるもんな。中学の時みたく、片手間の勉強で十分というわけにはいかなくなる。
「高校に入ったら部活とか入ってみたら? 音楽部とか、美術部とかさ」
麻夕ちゃんはピアノやヴァイオリンを弾いたり、絵を描いたりするのが得意だと聞いている。
だったら、その方面の部活に入ればきっと楽しいんじゃないだろうか。
「んー……でも、やっぱり部活はいいかな……。私、家にいる方が好きだし、琴葉が何でも教えてくれるし」
そうか……今の俺からしてみれば、それでも友達と何かに打ち込める貴重な機会だから、入った方がいいと思うんだけどな……。
俺も高校の時は両親や担任教師からの薦めがあったにもかかわらず部活に入らなかったが、今となっては多少後悔している。
やっぱり、その時にしかできないことというものがあると思う。中学でしかできないこと、高校でしかできないこと。その一瞬一瞬を精いっぱい楽しめるかどうかが、人生を充実させる大きなポイントなのだ。
俺のように捻くれた性格だと、上手くそれができずに無為な人生を送ってしまう。
麻夕ちゃんやさゆりちゃんにはいらぬ心配かもしれないが、せっかくいい反面教師ができたのだから、是非とも参考にしてほしい。
「まあ、まだ高校生になるまで時間があるからね。ゆっくり決めればいいよ」
「うん」
時間はある。ただし無限ではない。
だから、麻夕ちゃんにもさゆりちゃんにも、自分が一番楽しいと思える時間を過ごしてほしかった。