家族とは誰なんだろう……
扉が開く音がこだました。一体なんなんだ。こんな森の奥に用事がある人が多すぎではないか?
「お客さんですよー!ささ、どうぞこちらへ」
さっきまで黙りこくっていたカイトが急に大声を上げながら嬉々として、四十代近くの綺麗な女性を招きいれていた。
茶髪のロングで、綺麗な顔立ちだが、化粧が濃い印象を受ける。腕にかけている鞄や、羽織っているコートがとても高そうだ。しかしこの夏場にコートは熱いだろ。
近くにあった椅子を女性の背中へと移動して座ることを促しながら、向かい合うようにカイトも椅子に座った。
「ここではお構いが出来なくてすみません。さっそくですがどんなご依頼を?」
カイトは真剣な目つきで話し出す。
「あの、息子がいなくなったんです」
「……それならば、警察のほうがいいのでは?」
すぐに切り返すカイトを見て、少し驚いた。会社への依頼なのだから、すぐに承認すると思っていたからだ。
「息子はもう来年で中学を卒業します。だけど警察に取り合ってみてもちょっとした家出と言われて、
無理を言って捜索をしてもらったんですが、警察は捜索する素振りが見えないんです」
「なるほど。どのくらい前から帰ってきてないんですか」
「一ヶ月ほどです」
「その歳で一ヶ月は不思議ですね。家出ではないんですね?」
「はい、部屋には財布から衣服まで、貴重品は全てあるんです」
ハンカチを目頭に当てながら、泣くのを堪えている女性は本当に息子のこと考えているのが分かった。
「友達の家にお泊りは?」
「もちろん電話をしました。でも、いませんでした」
「それでは、何故こちらのサービスを利用しに? こちらの会社は、忘れてしまった記憶を想起させることが目的ですが……」
「存じてます。パソコンで調べていたら偶然こちらの会社のホームページがありましたので、住所を見たら近くにあったもので、藁にもすがる思いで来ました。もちろん、忘れてしまった記憶を呼び起こして欲しいんです」
「分かりました。依頼内容はなんですか?」
そう訊ねると、少しだけ目を泳がしてから女の人は話し出す。
「一ヶ月ほど前、息子が私に一通の手紙を渡したのですが、中を見ない間に手紙が何処かへと消えてしまったのです。きっとその手紙には息子を見つける手がかりになるはずなんです」
「それでは、その手紙のありかを知りたいというご依頼ですね」
「はい、よろしくお願いします」
「質問なんですが、なぜその手紙が怪しと思うのですか?」
「それは……なぜでしたっけ。あれ?そもそもあれは手紙……?え、あれ?なんで?」
髪を掻き毟りながら、女性は手を震わせていた。
僕も何かを忘れたときは、少しもやもやして気持ち悪くなったりするが、この女性は尋常ではない。
「突っ込んだ質問をしてすみません。大丈夫です、落ち着いてください。すぐにその記憶も思い出させて上げます」
カイトの相手を安心させるためのほっこりした微笑みは、女性も落ち着きを取り戻した。
「それでは、後日改めてそちらのお宅にお届けものをするので、同封されている説明書にしたがって行動をしてください」
「いますぐにはできないんですか!?」
女性は食ってかかった。僕達みたいな怪しい会社に声をかけることになるほど、精神的にもきついのだろう。感情の起伏が激しい。
「落ち着いてください。この会社で行うと、改良したヘミシンクの音響による脳波が、機械に異常をきたす可能性があるんですよ」
もっともらしい意見をのべると、肩を掴んでいた手を離し、女性は申し訳無さそうに一言謝った。
「こちらの書類に記入をしてください。正直によろしくお願いします、こちらも重要になってくるので」
意味深な笑みを浮かべながらカイトは、一枚の書類を差し出した。
カイトから渡された一枚の書類に、女性は鞄からボールペンを取り出して、鞄を膝の上におく。鞄を下敷きのようにして書いていった。
女性は書き終えると、椅子から立ち上がり頭を深々と下げて「よろしくおねがいします」と言い、会社から出て行った。
書類をファイルに入れて、カイトは二階へと上っていき、数分後降りてきたカイトの手には、サキチも持っていたヘッドフォンと音楽プレーヤーが握られていた。
たぶんこの二つがあの記憶の世界に入り込むための道具なのだろう。
カイトはその二つを梱包して、ポストまで行って来ると言い、愉快な足取りで外に出て行った。
塾があるとのことで、ピナは一足先に帰ってしまう。サキチと二人でいる沈黙の空気から逃げるように、僕も帰宅を選択した。
次の日、僕はあの不思議な夢を見ながらも九時に起床をして、母さんが驚いていた。
そんなに、暇人の僕が朝早く起きるのがめずらしのかよ。
軽く朝食を済ませた後、洗面台で眠気を覚ますために冷たい水で一気に顔を洗う。
自室へと戻り、ストレートチノパンに白のネック半袖シャツを着て、スウェットニットキャップを浅く被る。
「今日は出かけてくるから」
あらかたの準備を終えて『ソクラテス』に向けてアルバイトに向かう。
「昨日に続いて、どうかしたんですか?とても活き活きとしてますよ」
どこを見ながら話しているのだろう、僕は強制的に変な仕事に付き合っている可愛そうな高校生のはずだ。
「なんでもないから。――行って来る」
外に出るとショルダーバックをかけなおして、靴のつま先で地面を軽く蹴る。
母さんに会社であった出来事を説明できるのだろうか。否、できるはずが無い。
説明をした日にはすぐさま父さんの病院へと連れて行かれ、精密検査を行われるだろう。
そういえば話をしていなかったが、僕の父さんはここらへんでは有名な総合病院の院長である。しかし、昭和に生まれるはずだった人が現代に生まれてしまったような頑固な性格であるため、母さんが敬語になったり、僕への小遣いは手伝いをすれば貰えるというお駄賃制度になっている。
できることなら違う家族に生まれたかった!と言った反抗時期もあったが、言ったその日に父さんから愛のビンタを受けて、更生したという一日反抗時期があった。
ここは笑うところだ、笑ってくれ。
木々が生い茂り、僅かながら舗装されている道を縫うように歩いていると、ピナと会った。
一緒に会社まで行くことになったが、ピナはどことなくそわそわして、時々僕に同情の目をしてきた。
そんな態度も会社に着くたびカイトから聞かされた発言ですぐに理解した。
「そんじゃあ、昨日頼まれた仕事はワタル君一人で行ってね」
突然過ぎないか。
コンビニで昨日入ったばかりのアルバイトにマニュアルも渡さず、説明もされないで接客頑張ってねと、言われるぐらい不安だ。
だが、
「分かったよ。やってやる」
やるしかない。
理由はどうあれ僕はすでにこの会社の一員であるので、上司命令には逆らってはいけない感じがした。
まぁ、それ以前にここがまともな会社ではない事を認識した上であるが。
「やる気のあるワタル君は嫌いじゃないよ? それと、依頼者には君が仕事をすることを言っといたから」
「はいはい」
生返事をしたあと、カイトから一人で行動する際の説明と、30分の質疑応答をした。
「――とまぁ、こんなところだろう。それじゃあ、頑張ってねー」
「頑張ってください! ワタルちゃん」
二人の声援を背中に背負いながら僕は会社を後にした。
カイトの声援をすぐに崖から叩き落してやろうとしたが、これは社会人として耐えなければいけないと妙な責任感があった。
堪える僕偉い!
無理にテンションを上げても仕事に対して心配なものは心配だな。
通常のテンションに戻して、カイトから手渡された地図に赤いマーカーで書かれてる道順にしたがってある場所へと向かう。
ある場所とは、廃屋のビルであった。このビルは一ヶ月前に建設されていたのだが、許可を取ったはずの近くの住民が急遽やめて欲しいと言ってきたのだ。建設会社は無視をして建設を続行したが、不可解な自殺事件が起きてしまった。
工事中にビルが建設されるはずの中心で、建設中止を願っていた人はポッケから取り出した果物ナイフで首を切り、取り押さえようとする従業員を突き飛ばし、まるでここで死ぬ事が運命かのように脊髄にナイフを突き立て、息絶えたと言う。
この事件以降建設に関わった人は体調不良を訴え、呪いの工事現場と呼ばれるようになり、誰一人近寄らなくなったここらへんでは有名な場所だ。
会社からはさほど距離は無く、徒歩20分といったところである。
工事現場に着くと、置き去りにされたままの鉄骨やトラックの他にもたくさんの物があった。そして、未だ未練でも残すかのように、それともここから離れたくないかのように、広範囲の鉄骨に変色した血の跡があった。
それだけで、ここで起きた事件の恐ろしさが背中に襲ってくる寒気と一緒に伝わってくる。
僕は工事現場にある休憩所をつかって、仕事にかかる予定だ。
僕は生憎、幽霊の類は実際に体験してみないと信じない派である。幽霊に来るなら来いと、言いたいものだ。
迷い無く歩みを進め、休憩所の前まで難なく到着する。錆びたドアノブを回し、休憩所へと足を入れたが、なんとも無かった。
ここはサキチ先輩もたまに来ているようなので、ズッシリくる淀んだ空気と隅にある汚れは気になるが、全体としては綺麗な方だと思う。
さっそく僕は立てかけてあった割と綺麗なパイプ椅子に座り込み、ショルダーバックを長机の上に置いた。カイトから渡されたヘッドフォンを装着し、合図を待つ。
ポッケから聞こえた初期の着信音の二回半、コールが鳴り響いた。これが合図である。
ヘッドフォンに繋がっている音楽プレーヤーのスイッチを入れ、耳元から鳴り響くヘミシンクの音楽を聴いて、睡魔に手招きされるまま意識が遠退いていく。
ヘミシンクとは左右が僅かに違う波長の音を流し、右脳と左脳の脳波を同調させることである。それに改良を加えたのが、今聞いている音楽であり、依頼者の脳とも同調できるようになっているのだ。
パイプ椅子の背もたれに体を預けていると、窓からこちらに向かってくる人影が見えた。
「――なんで……お前が……」
ドアを開けた人影に向けて、眠気に押しつぶされながらも掠れた声を出す。
「ワタルの邪魔はしないわ」
確かにナルと呼ばれる女の子がこの場にいた。
耐え切れず僕は、睡魔によって意識を刈られた。
*****
目を覚ますと、大理石の黒い椅子に座って、白い箱の中だった。
今はナルについて考えるより、まずは目の前の仕事を遂行する事にしよう。邪魔はしないと言っていたし。
ここがパートナーの夢と呼ばれている理由は、依頼者のパートナである僕が準備をする場所だからだ。パートナーと言っても、ただ依頼者の記憶を想起する人を指すので、一緒に協力はしない。
このパートナーの夢はピナと一緒に入ったところとは少し違う。違うものは、青白く発光する玉が赤い数字のデジタルカウンターに変わっていることと、外からの通信が出来なくなっている事だ。
デジタルカウンターは僕と依頼者の脳波が同調するまでの時間であり、ここにいられる時間という意味にもなる。
ここではただ時間を待つだけではない。記憶の世界で使う道具を頭の中で想像していなければ、実際に行ったとき出し入れが出来ない事になっている。
そういや、サンプルではどうなのか聞いていなかった。
まぁ、その道具が潜在知識と呼ばれる。だが、その潜在意識には欠点があり、例えば拳銃を出したいとしよう。外見だけを想像させて出現させると、弾が発射されない以前に中身に鉄を流し込まれたような、鉄のガラクタになる。もしも拳銃を出現させたいならば、一つ一つのパーツをセンチ刻みで覚えて、そのパーツは何処に組み合わさるかも想像しなければいけない。
そんな芸当は銃のオタクか、パートナーの夢に設計図を持っていけるような人にしか出来ないだろう。
それに加えて火薬についても詳しくないといけない。
説明をしてたらデジタルカウンターが残り十秒を切っていた。
急がないとな。
カイトから聞いた、持っていくオススメの3つを想像した後、護身用であるサバイバルナイフを頭の中で思い浮かべる。
オススメの3つは、高いものに手が出せるように脚立、直接触れられないものがあるかもしれないのでゴム手袋、最後は明らかにふざけていると思うやつだ。それは割れ物などを梱包するときにつかうプチプチである。
使うはずがない。だが、もしかしたら、この記憶の世界には必要不可欠かもしれない。
デジタルカウンターが0を示し、周りの背景が一瞬にして変化した。
窓から冷たい月明かりが差し込む。この記憶の世界は時間帯が夜なのか。
微量の光りで捉えたものはフローリングの上に少し傷がついた家具が据えており、観葉植物や端に寄せられている古雑誌を見ると、ホッとさせる雰囲気で、誰かが住み慣れたような場所である。
きっと依頼者のリビングなのだろう。
体がいつもより重く感じ、少しだけ平衡感覚がおかしい気分だ。
「まぁ……探しますか!」
自分への鼓舞と、変な気分を吹き飛ばすように声を発した後、右腕に巻かれているデジタル時計のストップウォッチを起動させる。
最初は黒い箱――『アトラクタの箱』を探すのが先である。『アトラクタの箱』の置いてある場所が分かれば、鍵に変わるキーアイテムが予測しやすいからだと聞いた。
探し方は物を壊さない程度なら、空き巣に侵入されたように散らかっても影響は何も無いそうだ。
リビングの電気を点けてみると、月明かりで見えた状況と変わらないほど、リビングは質素で綺麗に片付けられていた。
さっそく僕は屈み、のそのそと歩きながら『アトラクタの箱』を探す。
見渡すだけではいけない。小さなものから大きなものまでまで触ってみなければ、キーアイテムを確認できないのである。
一目で全体が見渡せるほど余計な物が無いリビングにはさほど時間をかけなくても良かった。
リビングと繋がっているキッチンへと向かい、引き出しの中にある鍋やボウル等ををひっくり返して外に出しながら見てみる。しかし、それらしきものは見当たらないし、キーアイテムも無い。
だが、鍋の蓋の裏に貼り付けられた茶封筒を見つけた。形と分厚さから分かる事は、使い古されたへそくり方法である。
背徳感を抱きながらもコンビニアルバイトの面接で「お札を素早く数えられるかな?」という質問がきてもいいように、二日間徹夜して覚えた技を披露する。
右手が最後の一枚をスナップと同じ感覚で弾くと、合計で32枚のお札が入っていることが分かった。
普通ならば預金通帳にするのだが、この場合は急にお金が必要になったときのためだろう。へそくりとして高額なのかは分からないが、1人の高校生にとっては高額だと思った。
もう1つ不思議な鍋を見つけた。所々に傷がつき、ボコボコとおうとつが出来て変形していても捨てられていないのだ。これはまさに主婦のもったいない精神の極みだろう。
その他にキッチンには目新しいものは無かったので、次の場所へと向かう。
廊下も目立ったところも無く、一般の洋風家屋と変わらなかった。風呂とトイレを素早く片付け、二階へと続く階段の一段目に足をかけた。
「――っ!」
その瞬間、頭蓋骨をすり抜けて、直接脳を握られてるような激痛が走る。
視界が朦朧として、階段の手すりに寄りかかり、深呼吸をしながら痛みが引くのを待つ。痛みは数分続いた後、何も無かったかのようにすっと消えていった。
たぶんサンプルの記憶ではないから、こういった症状があるのだろう。
手すりを握って、少し息を荒くしながら階段を上り、最後の段差を蹴り上げた。その場で深く息を吸い込み、吐く動作を続けていると、幾分気分はよくなった。
一つの白熱電球から発せられる、明るい夕焼けに白を混ぜたような光りは縦長の廊下を映し出し、扉が等間隔で三つ据えてあった。
手前の扉を開けてみると、間髪入れずに大きな茶色の物体が襲い掛かってきたのだ。
半ば反射的にパートナーの夢で想像した、小型のサバイバルナイフを思い出す。次に自分がそのナイフを持っているところを想像すると、右手にズッシリとして、滑り止めのためのザラザラした触感が伝わる。
ナイフを握る右手に力を込め、標的をしっかりと見据え、茶色の大きな物体に向かって突き刺そうとするがあることに気がつき、体の勢いを明後日の方向に逃す。
「……はは」
苦笑するしかなかった。
実は大きな茶色の物体の正体が、ただ山積みされているダンボール箱が少しだけこちらに傾いているだけだったからだ。
ダンボール相手に全力でサバイバルナイフを突きたてようとするなんて……。誰かに見られていたら恥ずかしくて、叫んでいただろう。
僕の心の何処かに、初の仕事に対して緊張があったのだろう。もう一つ深呼吸をしておいた。
しかし、山積みにされたダンボール箱は厄介である。ここからありとあらゆる思い出の品々が現れ、全てを触ってキーアイテムかどうか判別していたら時間が無くなってしまう。
時間というのは記憶の世界に残れる制限時間のことを示しており、睡眠サイクルの一つの起伏に相応する90分である。
浅い眠りになってしまうと、お互いの脳波が同調しづらくなってしまい、依頼者の記憶の世界から追い出されるのだ。それに加えて、依頼者の脳に障害をもたらす可能性がある。
そびえたつダンボールの山にやる気を削がれるが、ウジウジしていたって物事は変わらない。
積み上げられたダンボールの箱の二段目を両手で抱えて素早く引くと、だるま落としのようにダンボールが落下して、見事に着地を決める。
――はずがなかった。ダンボールはドミノ倒しのように、近くのダンボールを道連れにしながら倒れていった。
ダンボールの海を目前に僕は深いため息をつき、自嘲するかのように少しだけ笑う。
なんか楽しかった。部屋を散らかしている事にではなく、目標を持ってそれに向かうための行動の事である。
手にしているダンボールを置き、ガムテープを一気に剥がす。中には新品同様の女性用の服が、畳まれて敷き詰められていた。服なんて詳しくない僕にでも、有名なブランド服ということが分かる。
開封したほうを下に向けると、どさどさと服が落ちてきた。服を1つずつ触って、キーアイテムなのかを確認する。
窓から差し込む月明かりが妙に、不気味さが増して降りかかる。
1個、2個、3個と順調なペースでダンボール箱を開けて、調べていく。
10個目を開き終わり、前から奇妙に感じていたことが確実なものになった。
今までのダンボールに入っていたのは全て女性用の下着などの身に着けるものから、鞄などの小物用品ばかりである。しかも2、3度使用している。
依頼者の家族関係は両親と息子の三人家族で、父親は一ヶ月ほど前に不審な事件に遭い死亡している
。不審な事件とは首から上が無い遺体になり、道端に転がっているという誰もがトラウマになりそうな事件である。その一週間後息子が消息不明になったと、書類に書かれていた。
愛する人が二人も、自分を置いて何処かへといってしまったら、自分だったら正気じゃいられないだろう。
だが、そんな苦しい状況なのに高値のブランド用品を買えている。しかも女性用がたくさんあるのはおかしい。
――もしかしたら。
僕はその場を後にして、隣の部屋に入る。
電気を点けてみるとカーテンが閉められ、シングルベッドが窓際と、決別しているかのように壁際に1つずつ並べており、端にタンスやクローゼットが据えている寝室だった。
この部屋の静かな雰囲気にそぐわず、窓際のベッドだけは布団がめくりあがり、枕が地面に落ちている。
ここじゃない。
荒くドアを閉めながら、急いで最後の部屋に入る。
そこには無残な光景が広がっていた。
ベッドの上に乱雑に置かれた紙とペンに、散らかった勉強机、倒されたタンスやクローゼットに本棚。カーテンは引きちぎられ、壁には鈍器のようなもので開けられた穴がある。
「くそっ!」
飛び込むように部屋の中へと入り、手当たり次第に物を掴んでキーアイテムか確認した後、廊下へと投げていった。
拾って、投げる。
その繰り返しを血眼になって行動したが、小物が多いせいで時間がかかる。
腕時計を確認すると、制限時間が残り30分を切っていた。
これは絶対に呼び起こさないといけない記憶だ。
この記憶は依頼者の家族のためだから。
これも違う。これも、これも、これもこれもこれも……違う!
時間が過ぎれば、僕のせいで依頼者に消えない傷をつけてしまう。そんな過去を背負って生きていき
たくない。
タイムリミットが徐々に近づくたび、僕の脳内は依頼者ではなく自分の心配に染まっていく。
嫌だ。
地面に散らばっているのを諦め、勉強机の前に行き、机の上にあるものを全て地面に落とす。ガラス
の破片が落ちたような音をたてながら落ちていく鉛筆やペン。重厚な音をたて、落下していく教科書や辞書。
引き出しを強引に開けて、中身を狂ったかのように漁る。手当たり次第に物を握り、投げる。
壊れるぐらいの勢いで、下の引き出しを開けた。
一枚の写真が視界に入った。その写真だけは他のものがゴミに見えてしまうようなほど、ケースに入
って綺麗に保存されていた。仲睦まじい3人の家族が笑顔で、綺麗な家を背に写っていた。母親はあの依頼者である。
一つの折り線が母と父の間を通り、子供の表情が崩れていた。
「落ち着け!」
自分の両頬を叩いた。衝撃が頬から神経を通して脳へと伝わり、痛みを実感する。
急ぎたい気持ちを強引に蓋をして、深呼吸をする。
僕の仕事は依頼者の記憶を呼び起こすこと。責任から逃げたくて、今までの行動をしていた僕は恥ずかしくないのか。
実技試験の時だってピナはトラブルが起きた時に、先輩だからと、言い張って僕を守ってくれた。
昨日のサキチ先輩だって短時間で、何食わぬ顔をして仕事を終わらせていた。だが、静かに何も話さないで椅子に座っていたのは、プレッシャーが圧し掛かって疲れていたからに違いない。
カイトだって、お気楽な性格をしているように見えるが、依頼者のことを考えて真剣に話し合ってた。仕事を請け負う以上、半端な気持ちで受け答えをしてはいけないからだ。
依頼者は自分のパートナーとして、経験なんて皆無に近い僕なんかを信用してくれた。
僕は依頼者のパートナーとして、真正面から責任と対峙して、仕事を遂行するのだ。
カイトから話を聞いた時点でこの状況は覚悟していたはずだ。
まぁ、初仕事でとはいささか厳しいと思うがな。
――カイト?あ、そういえば。
ある物を想起する。瞬時に出てきたそれは僕の手には、心地良い手触りで、強く握ってしまうと潰れそうになる。色んなものを優しく包んできたプチプチだった。
よし、落ち着くため潰すか。
「そんな馬鹿みたいな事はしねぇよ!」
ため息を吐きながら、柄にも無い乗り突っ込みをして、プチプチを投げ捨てる。
きっとカイトは僕にこのプチプチを通して「落ち着いて」と暗示してくれたのだろう。できればもう少しストレートで分かりやすい物にして欲しかった……。
この記憶の世界に入って、初めて安心して笑った。最初の体調不良がすっかり無くなっている。
『仕事の遂行』へと思考を切り替え、腕時計を見ると残り15分だった。
僕はゆっくりと、暖かく、綺麗で、これを見るだけで僕でも自然と笑みが零れるような家族写真を手にとる。中央についてしまった折り目を人差し指でなぞっていく。
真実を母親に伝えなければいけない。
そう強く決心をしながら、なぞり終わる。その瞬間ポンッと軽快な音をたてながら黒い鍵へと変化した。
鍵に足が生えて逃げるなんてことはないのに、強く、強く握り締める。
鍵は発見できたが、『アトラクタの箱』がまだ見つかっていない。
窓に黒いカーテンがかかったように、部屋の暗みが増す。ふと窓を見てみると、さっきまで天高く昇っていた満月が、雲に隠されていた。
冷や汗が背中から滝のように噴出し、手元が震える。
落としそうになった鍵を再び握りなおし、僕は部屋を出て、階段を駆け下りる。
「――ッ!」
途中で踏み外してしまい、顔面から地面へと叩きつけられた。だが、今は痛みを考えずに立ち上がり、玄関へと急いで足を進める。
玄関のドアを肩からぶつかりながら、ドアノブを回す。
鍵がかかった音が耳に入り、すぐさまドアの鍵を外して再び肩からぶつかり、ドアノブを回した。
開け放たれた玄関のドアは、冷たい風と共に恐怖や不安を僕の体に纏わりつく。
「家の中だけじゃないのかよ……」
保育園の室内のみだった時は空なんか動かなかったが、今はまるで生き物かのように動いている。
脳裏に浮かんだ最悪なシーンを、頭を振りながら追い出した。その際視界の端に移ったのは、残り10分だと告げている腕時計だった。
自分の足元を見る、水滴がぽとぽとと落ちていく。足が地面に縫い付けられているようで、動かせなかった。
孤独が怖かった。誰にも頼れないこの状況に。
後ろから不安や責任の闇が迫り、僕の体を取り込もうとしている。
血がにじみ出てしまうほど鍵を強く握り締めていた手が、誰かの手に優しく包まれる。顔を上げると
ナルが表情だけで僕を肯定してるように、微笑んでいた。
「心配しないで、ワタル。離れないでね」
僕の手を引いて、ナルは走り出した。
地面から足は剥がれ、後ろから迫ってきていた闇はすでに消えている。僕は孤独ではなくなった。
「……ありがとう」
僕は風にもみ消されるのは承知の上で、小さく呟いた。
「どういたしまして」
――聞かれていた。恥ずかしい。
ナルを信じられるような気がした。
チカチカと点滅する街頭と、雲から出てきた月明かりが僕とナルを照らしていた。
しばらく無言のまま5分走ると、見覚えのある工事現場に着いた。僕が記憶の世界に潜入するために眠っている場所だ。しかし、僕が見た工事現場と少しだけ違っており、出入り口らしきところに棘がある有刺鉄線が乱雑に張られていた。
ここはあくまで記憶の中をそのまま現しているので、多分最初の頃は危険だからといって張り巡らせていたのだろう。
ナルは生傷を覚悟で入ろうとしているのか、歩みをやめない。僕はナルの手を引っ張るとナルが振り向いたので、空いていた手に出現させたプチプチを見せ付ける。
「こんなところで役立つとはな」
有刺鉄線の隙間を、プチプチを手にしながら広げていき、腰を丸めてまたぎながら通る。
サバイバルナイフで切る方法もあったが、人が通る隙間を作るには時間がかかると思った。
工事現場の中央に『アトラクタの箱』が威圧感を持ちながら置いてあった。
ナルは最初から場所が分かっているかのように、迷いなくここまで走ってきているようだった。
「早く、開けてきて」
ピナと目を合わせてから軽く頷き、『アトラクタの箱』を見据える。
離された手を前後に大きく振りながら、目的の物がある場所へと、自分の意思で地面を蹴って走り出
した。右手に握り締めた鍵を親指と人差し指の間に持ち替える。
腕時計など確認してる暇は無い。前をしっかりと向き、依頼者のパートナーとして、会社のアルバイトとして、仕事をこなそうじゃないか。
『アトラクタの箱』の前で屈み、鍵穴に挿しこむと、小気味のいい音が響き、更に鍵を回す。カチッという鍵が開いた音の後に、一枚の硬貨がアスファルトの上に落ちたような音がこだました。小さいながら世界全体に響くような透き通った音。
『アトラクタの箱』は黒々とした色から徐々に白く淡い色に変わっていった。突然に閃光が辺り一帯に走った。
視界が真っ白になり、平衡感覚も何処かへと行ってしまが、真っ白な世界が灰色の世界へと徐々に変化する。
灰色の世界は、工事現場の休憩所の天井だった。朦朧とする視界と、正常に動作をしない思考にムチをいれる。
戻ってきたんだ。
僕はパイプ椅子を蹴りだすように立ち上がり、依頼者の家に向かって走り出す。
依頼者の記憶の世界で僕が知ったのは、依頼者の息子は母親のために自殺をしたということだ。そして、自殺した場所はこの工事現場である。
これから少し憶測も踏まえるが、依頼者である妻は重度の買い物依存症であった。そのため夫と喧嘩をして、夜には近くで寝たくないと思うほどお互いを嫌っていた。離婚しないのは、愛していた息子と
いう糸が二人を引き止めていたのだろう。だが、買い物をやめない妻のせいで貯金は底をつき、借金が増加する一方になってしまった。金に困ってしまった妻は愛する息子のために、夫を寝室で何らかの方法で殺した。だが、その時に腕を噛まれてしまい、夫は口内に妻の血液や皮膚、肉を残した。妻はそれにより警察が犯人を割り出してしまうのではないかと心配になって、隠そうとしたが、死亡した事を伝えなければ保険金を手に入れられない事に気がつき首を切った。その後、妻は夫の頭を工事の準備前の土地に隠したのだが、その状況を偶然見てしまった息子は中学生には余りにも重い事情を悟ってしまったのだ。息子は工事をやめて欲しいと言ったが、当然許可はされなかった。壊れた母親を見たくなくて、保険金を受け取る際に必要な契約書を隠したのだ。そして、その紙は依頼者が捜し求めていたものであり、息子の命を奪うきっかけとなってしまった。息子の部屋が悲惨な状況になったのは、息子と母親が取っ組み合いをした傷であり、キッチンで見つけた歪な鍋も喧嘩に使われたのだ。息子はキッチンで手に入れた果物ナイフを持ち、外に出ると一目散に工事現場に行き、父親が殺された場所で自分も死ぬことにより、周りの人に伝えたかったんだろう、ここにビルを建ててはいけないと。それを見てしまった母親は壊れてしまった。
愛する息子のために殺人を犯したはずなのに、汚い自分の欲求のために息子が死んでいったからだ。
そして、母親はこの記憶を全て塞ぎこんだ。
逃げたのだ。自分が起してしまった災難に対して背中を見せ、欲求のために曖昧な記憶にある契約書を探していたのだ。
不思議と怒りはこみ上げてこなかった。いや、怒りより違う感情が大きすぎたのだ。
今回の事件で孤独は寂しくて辛い、そして仲間がとてもすばらしい事が分かった。だからずっと一人で抱え込んでしまっていた依頼者に声をかけてあげたいのだ。
僕は依頼者の家の前で立ち止まり、鍵がかかっていないドアを開け放つ。
狂ってるかのように「ごめんなさい」と叫びに近い声が、寝室から聞こえた。
僕はただ依頼者の下へと走り続けた。寝室の扉を開け放った瞬間――
「君は一人ではない!怖かったんだろ?借金に、夫との関係に、息子のことも……すべて抱え込んでいたんだよね!大丈夫!」
僕が依頼者に伝えたかった言葉が、そのまま代弁されるかのように白衣に身を包む無精髭のカイトに言われていた。
カイトは、頭を掻き毟り泣き叫んでいる依頼者の全てを受け止めているかのように抱きしめている。未だ小さい僕の胸には、受け止められない気がした。
女性は心のどこかでせき止められていた感情を吐き出しながら、大声を上げて赤子のように泣いている。そして、少しずつ音量は低くなり、最後には無音となった。
「仕事、お疲れさん」
沈黙を埋めるかのように発したカイトからの労いの言葉は、明るい口調なのにどこか寂しそうだった。
「最初から見当はついてたのか」
「まぁね。でも、真実を知らせないと人生は始まらないんだよ」
「名言みたいに言ってるけど、うざいぞ。それに最後の最後で持ってかれているような気がする」
「ごめんね、そういう性格なんだ」
「お前が素直に謝るとか気持ち悪いな」
「あ、依頼者さん寝ちゃった」
本当に赤子のようだった。たくさんのことを背負って生きてきたのだから、今ぐらいは赤子のように、わがままでいい。
その後、依頼者が起きるまでカイトと寝室で待っていた。数時間後、依頼者は自首という形で警察署に出頭することになった。
卵の黄身がぐちゃぐちゃになったような夕日が、建物や電柱の長い影を浮き彫りにしている時間帯である。
夏に似つかわしくない冷たい風が頬を掠め、落ち葉をさらっていく。
僕とカイトは自分たちの会社であるソクラテスへと歩いていたのだが、カイトは突然用事を思い出したと言って消えてしまった。
どこまでも自己中心的な男である。
ため息を吐き肩を落とすと、足元に影が伸びてきた。顔を上げ、
「今日はありがとう。今度お礼でもするから」
夕日に背を向け表情がしっかりと読み取れないピナに言う。僕の唇の両端が、少しだけ上がったような気がした。
どいつもこいつも突然現れて、僕を驚かしてくる。
「――それじゃあ、アタシはワタルとデートがしたい」
それは勘弁して欲しい。
これで一章完結となります。ありがとうございました。




