4:戯れる
焼き魚、白米、味噌汁、煮物という純和風の朝食を済ませて、俺とタロウは外へ出た。初夏の爽やかな陽の光に、二人して目を細める。過激に暑いというわけではないが風も生温く、すぐにじんわり汗ばんでいく。俺はタロウの手を引き、歩き始めた。
向かった先は公園。俺達が出逢った側の、あの公園だ。今の時間帯は、まだ幼稚園にも通わない幼児と引率の母親がいる。子犬を遊ばせるには丁度いい場所だろう。目的地では既に数人の子供達が戯れ、母親達が世間話に興じていた。そこにはある種のグループ意識が働いているように思え、公園内に入ることに多少の戸惑いを感じる。俗に言う「公園デビュー」をする親子はこんな思いを抱くのだろうか。そろそろと踏み入ると、いっせいに視線がこちらに向けられる。思わず固まってしまうが、相手側に特に悪意は感じない。珍しいものを見る、そんな眼差しだ。
「お散歩ですか?」
連中の中では年上の方に思われる女性が話しかけてきた。頷きながら、俺達は近づく。
「はい。あの、コイツもあの子達と一緒に遊ばせてやってもいいですか」
母親たちは笑顔で快諾してくれるが、俺はもう一言付け加えなければならなかった。
「あの、コイツ言葉を話せないんです。大人しいんで悪さをしたり乱暴したりはしないと思うんです、けど……こっちの言うことも分からないし、喋れないんです」
拒否されるのではと恐る恐る口にした言葉に、母親達はやはり一様に笑顔だった。一番最初に話しかけてきた母親がゆったりと言う。
「大丈夫。子供達は心で通じ合えるんだもの。さぁ、一緒に遊んでらっしゃいな」
タロウを連れて子供の集団に近づくと、一人の女の子が泥まみれの手で子犬を引っ張っていった。他の子供達もみんな満面の笑みで、初めは緊張していたようだったタロウも段々と打ち解けたようだ。新緑の合間を楽しげに駆け回っている。木陰のベンチに座りながら、俺はその光景を眺めた。
そして、ハラリ。また記憶の一端が甦る。そうだ、こんな記憶が確かに俺にもある。世界の何もかもを美しいと感じられた幼い日、母に手を引かれてこの公園に来た。毎日、同じメンバーで同じ遊びをする。今ならば笑い飛ばしてしまう稚拙な遊びが、とても楽しかった。満たされていた。
……それは、幸せ?
頭をフッとよぎった考えに、身震いした。昨日、俺はなぜタロウにアルバムを見せたくなかったんだ?もしかして、それは「幸せな記憶」がたくさん詰まっているからではないだろうか。すぐに消えゆくタロウに幸せを見せつけるのは酷だ、と無意識に思ったのではないか。
無邪気に駆け回るタロウを見つめる。なぁ、お前は今幸せか?ほんの一瞬だったとしても、幸せだと言えるのか?不意に涙が出そうになって、グッと上を向く。一面の青だった。眩暈がしそうなほど、突き抜ける青空。雲ひとつないこの青が朱に染まり、夜闇に溶けてしまう頃にタロウは……。俺には信じられなかった。あの笑顔が消えてしまうことなど、信じたくなかった。
一時間ほど経つと、昼ごはんの支度があるからと公園の仲間達は次々と帰っていった。満足そうにしているタロウの手を洗わせながら、腕時計を確認する。あと、七時間。残されているのは余りにも少ない時間だけれども、たくさんの記憶をあげよう。少しでも多く、幸せな記憶を。生まれてきたことを決して悲しまないように。命を得たことを喜べるように。