8.
「お前が怪我をさせた伯爵令嬢、彼女はな、母君が侯爵家の溺愛された末っ子でな。あの時我が家は降爵待った無しか?と噂されていたんだ。」
兄が引き継ぐ。
「だというのにお前!次はうちの家門の男爵子息を使って令嬢を傷物にしようとしただろう!」
あれは!あれはナディウスさまに纏わりついていた女が悪いのよ!たかだか子爵家の出の癖に!
猿轡のせいでもがもが言うしかできない。けれど、わたくしは悪くないの!全てナディウスさまに手を出すあいつらが!
「それになあ、お前がさっきから無礼なことばかり言ってる俺の妻はな、お前の代わりに走り回り、謝罪し、一番大変な役回りを引き受けてくれたんだ。」
「あの、旦那さま。わたくしからも少し言わせていただいても?」
はあ?あんたなんて男爵令嬢だった癖に!お兄さまやお父さまが騙されなければあんたなんて伯爵夫人だなんて呼ばれる資格ないのよ!
「あ!またわたくしのことを男爵令嬢だった癖にって思ったでしょう!」
だから何よ!そう言って頰の一つも叩いてやりたいけど、縛られて口まで封じられているからもがくしかない。
「確かにわたくしは元男爵令嬢よ?でも今は伯爵夫人なの。…ところで。」
一瞬もがくのを忘れるくらい、冷たい視線が刺さった。
「ところで貴方。貴方の今のご身分は?」
答えさせるためなのか、猿轡だけ外される。
「ちゃんと考えてから答えるのよ?」
「はああ?だから!たかが男爵令嬢ごときが伯爵家の娘に向かってっ」
「違うよ。」
兄がクソ女を庇いながら言う。
「お兄さままで!なんでこの女の言いなりなんですか!」
「簡単な話さ。お前が男爵子息に襲わせたご令嬢。何故未遂に終わったのか理解しているか?」
「そして、未遂に終わっていなければどうなっていたのかも。」
「妻が、お前のバカな企てに気づいて助けたからだよ!それがなければ!未遂だったとしても我が家は下手したら…っ」
「わたくしが企てを阻止したことで我が伯爵家の総意ではなく貴方個人の暴走という事で収めて貰えたのよ。」
忌々しいことに兄とクソ女の息はぴったりだ。
「はあ?そんなのわたくしが知るわけないでしょう!元はと言えば人のものに手を出そうとしたあの女が悪いのよ!」
呆れた顔のまま固まっていた兄が我に返り使用人に命じてまた猿轡を咬ませる。
「そうだ、さっきの妻の問いだがな。は?もう忘れたのか?今のお前の身分だよ。理解できてないみたいだからはっきりさせておくよ。」
今のお前は平民だ。もちろんタクヴェインもな。
お前は自分の不始末により爵位を失った元男爵夫人。
伯爵家に戻る?冗談だろう?
そう言うお兄さまの目に温度はない。冗談では無いことがよく分かった。
でも、でも…。
「叫ばない、喚かないと言うなら喋らせてやる。分かったな?」
必死で頷き猿轡を取ってもらう。
「夫が男爵の爵位を失ったから、男爵夫人でなくなったことは理解しているわ。けど、その夫とはもう離縁したのよ?ならわたくしは生家の伯爵家に…」
ここで父が話に入ってきた。
「離縁されたからといって無条件に生家の籍に戻るものではない。戻るには当主が王に願い出なければならない。」
何が問題なのか分からない。王に願い出るだけなんでしょう?
疑問に思っているのが顔に出ていたのだろう。
呆れた顔のお父さまが面倒そうに告げた。
「ここまで言っても分からんか。我が家の誰も。」
お前たち親子を伯爵家に迎え入れる気はないということだ。
「は?え?何を、何を仰ってるの?お父さま…?」
無表情な母からもひどい言葉しか聞こえてこない。
「貴方が兄嫁を口汚く罵り出す前にはっきり言っておくわ。あの娘はね、伯爵家に復籍させてもいいんじゃないかって言ってくれたわ。貴方がしてきた事を水に流していいって。」
「じゃあなおさら!何も問題ないではないですか、あのクソ女…いえあの人も歓迎しているなら…」
「歓迎しているわけないだろう!学園でも、俺の婚約者時代も、結婚してからも!お前からは罵る言葉しかかけてこなかったろうに、なぜ歓迎しているなんて勘違いできるんだ!」
だって迎え入れると提案したんでしょう?
まだ理解できないわたくしにあの女も話に入ってきた。
「はあ、あのねえ。わたくしは歓迎しているわけではないの。わたくしはね、アティシアさまと仲が良かったの。」
そんな事も知らなかったでしょう?呆れながら説明してくれる。
「わたくしの母とアティシアさまのお母さまは親友だったのよ。あの方が命の危険を感じて隣国に嫁がれるまでね。だから」
だから、娘であるアティシアとも面識があり、こちらに嫁いで来てからは仲良くしていた。……そんなの聞いてない!知らない!
「貴方の無知は今更よ。ちゃんと理解してました、って言われる方が驚きだから。とりあえずそれは置いといて。」
ぎろっ。復籍しても良い、と言った割には目つきが悪過ぎるんじゃないか、そう言ってやろうかと思ったけれど、隣のお兄さまがもっとすごい顔をしていたので、とりあえず黙っておくことにした。
「とにかくね、アティシアさまのお目に触れないように、そしてこれ以上我が伯爵家の恥にならないように。」
恥?
「わ、わたくしに向かっては、恥ですってっ…」
わなわな震えて手を振り上げようとしたけれど。
あの女どころか。お父さまもお兄さまも。お母さままで。
みな一様に冷たい目をしていた。
「そう、恥よ?庇い立てできないくらいの恥をもうかかされているの。だからこれ以上恥の上塗りをされない為にはどうするか。」
恥と言われたことにまだ身が震える。だがあの女はもっと酷い言葉を放った。
「お義父さまもお義母さまも、親子の情があるでしょうから。このまま貴女を甘やかして伯爵家の恥を増やしながらお金を垂れ流すよりも、我が家に戻して支配下に置く方がましだと思って提案したの。」
「ありがたい話だろう?あれだけお前に酷い目に遭わされたと言うのに親であるわし達の気持ちを優先してくれようと言うのだ。……だからだ、お前達を伯爵家に復籍させるのはやめた。」
「我が家がお前たちを引き取ると言ったのは、ミズリアン辺境伯の不興をこれ以上買わないようにするため、だ。」
「そうだ、父上の言う通りだ。これ以上あの地に留まらせて我が家のマイナスを増やすわけにはいかないからな。」
容赦ない言葉があちらこちらから降り注ぐ。ひどい、こんなに困っているというのに誰も助けてくれないなんて!
「ひどい。ひどい!誰も助けてくれないの?!わたくしがこんなにひどい目あっているのに!」
すん。あの女の顔から表情が消えた。
「ひどい?どのあたりが?」
ひどいじゃない!かわいそうじゃない!
「そうね、もう一度復籍を考えてあげてもいいわよ?確かにチャンスをあげなきゃ貴女と同じところまで落ちちゃうものね。」
みんなの視線があの女に集まる。
何を言い出すのか?と眉を顰めている。
だが、その後の言葉に納得したのか、みな一様に頷いた。
「じゃあ、復籍の条件ね。まず、貴方が縁談を邪魔するために孤立させたり物を壊したりしたご令嬢たち。彼女達には謝罪の手紙を書きなさい。」
謝罪?なぜわたくしが?でも、復籍のためなら納得できなくてもするしかないわね。とりあえず頷く。
「次にね、怪我させた伯爵令嬢。あの方は今侯爵夫人をなさっているけれど、あの方に面会の予定を取り付けて直接謝罪なさい。そして許します、っていう一筆を貰ってちょうだい。」
「もうひとり、襲わせようとしたご令嬢からも当然一筆取り付けるのよ?まあ、彼女は未遂で本人が気がつく前に解決していたからピンと来ないって笑ってたけど。」
なら、別に…
「別に?こっちが出してるのは復籍の条件。貴女は条件をのむか、復籍を諦めるかの二択よ?内容を選ぶなんて烏滸がましいわ。」
腹が立つがぐっと我慢する。だが、次の条件を聞いて分かった。これは、これはわたくしの復籍を後押しする為ではなく…
「その次は、男爵子息よ?寄親のご令嬢の命令で断れなかったとはいえ、婦女に一生消えない醜聞を負わせるところだったの。……今は男爵家から出されて平民として暮らしているわ。幸いにもご家族には恵まれたみたいでお子さんもいるみたいよ?彼にも同じく一筆ね。」
「誰かさんのせいで貴族籍を追われた人に、どういう風に頭を下げれば一筆貰えるかしらね?ああ、お義父さま、まさかと思いますが示談金を立て替えるなんてなさらないでくださいね。そんな事が分かったら。」
「俺もできればしたくはないけど、そんなことに伯爵家の金を使ったら父さん達の老後資金から補填するから。」
「俺がそんな愚かなことをすると思われているとは心外だな。」
お父さまからは拒絶の言葉しか出てこない。お母さまも同じ気持ちなのだろう。
「今まで人を足蹴にしてきた貴女には土台無理な条件よ?だから足掻いていないで平民として生きる覚悟をなさい。」
「とはいえ貴方たちをそのまま追放してもまともな生活は無理だろうし、面倒な人達と関わり合いになっても困るから。」
そう言って、母からは2つの選択肢を与えられた。
この家に残って使用人として暮らすか、領内で家と職を与えてもらってタクヴェインと2人で暮らしていくか。
「とても大きな決断だからタクヴェインとよく相談なさい。2ヶ月の猶予をあげるわ。」
どちらにしても貴族に返り咲くことは無い。どちらがましか。
「あのね、一応アドバイスしてあげるわ。貴方が選ぶべきはね。」
あの女の言葉がまだ腹の奥の方に重くのしかかっている。
「選ぶべきは、タクヴェインにとっての最適よ。決して貴方の薄っぺらいプライドにとってどちらが良いか、ではないからね。」
あの話し合いを見てからタクヴェインは黙り込んだままだ。
あの子にとって
今まで一度たりとも考えたことのなかった、他人の為。
わたくしは間違えずに選べるのだろうか。
※※※
「おーい!ハイラン!早くしないと授業に遅れるぞ!」
学園生活が始まった。最後にタクヴェインに会った時には相変わらず偉そうで。
「俺は元男爵子息じゃなくて、これから母さまの実家に戻って伯爵子息になるんだ!お前とは身分も対等になるんだからな、学園に入ったら余計なことを言うなよ!」
そう言い捨てて伯爵領へと向かったタクヴェインだったが、憂鬱な気持ちで向かった学園に彼の姿はなかった。
「伯爵子息ならここ以外進学先はないはずなのになぁ。」
ブツブツ言っていたら後ろからやってきたクラスメイトに揶揄われた。
「なに?今日のテストの暗記でもやってんの?今更悪あがきするねえ。」
「そんなんじゃないよ!子供の頃よく家に押しかけて来てた男爵家の…ああ、伯爵家に出戻ったんだっけ?とりあえずそいつがいないんだよね。」
「へえ、そうなんだ。それは残念だったなあ。」
「いや、来ないなら来ないで嬉しいんだよ、すごい嫌なやつだったから。けど…」
けど?とクラスメイトに促される。
「いや、伯爵子息なら絶対この学校に来るはずだろ?だからなんでかな?って。」
なるほどなるほど、と相槌を打ったクラスメイトだったが。
「まあなんかあって、学園に来なくても良くなったんじゃない?いや、お前それよりもさあ。」
そうだ!今日はテストだ!早く教室に行っておさらいしなくちゃ!
慌てて2人とも教室に向かった。




