期待
ユウキは足早に学園へ向かっていた。
本来なら、渚を部屋まで送ったらすぐに戻るつもりだった。
だが、渚の部屋でレモンティーをごちそうになったことで、思った以上に時間が経ってしまっていた。
歩きながらスマホを片手に取り、先ほど届いていた夏希からのメッセージを確認する。
そこには、こう書かれていた。
『今日の授業は早く終わった。あとで飛鳥から愚痴を聞かされると思うから、覚悟しておいてくれ』
「飛鳥の愚痴? あのあと、何かあったのか……」
そう思ったところで、飛鳥からのメッセージも届いていることに気づく。
その中身を読んでみると。
『松原のやつほんまに嫌いಠ︵ಠ!アイツは渚を侮辱しよった!絶対許さん!』
文面を見る限り、相当腹を立てているらしい。
ユウキはその場にいなかったため、二人のあいだで何があったのかまでは分からない。
それでも、渚のことを悪く言われたと知って、気分がいいはずもなかった。
このあと飛鳥に捕まれば、怒りのこもった愚痴を延々と聞かされることになりそうだ。
15:15 2年A組教室
教室へ戻ったユウキは、すぐに異変に気づいた。
先ほど渚と一緒に教室を出る前と比べて、生徒の数が明らかに減っていたのだ。
教室に残っていたのは、赤坂千早、池田飛鳥、狭山夏希、松原竜馬、都島日和の五人だけだった。
先生の姿もない。
今はホームルームの時間だ。
それなのに、生徒たちがこんなに減っているのは不自然だった。
ユウキはがらんとした教室を見渡しながら、自分の席に着いた。
「二人で仲良くしていたのか?」
「……まあ、それなりに」
松原が何か言ってきたが、ユウキは軽く受け流した。
ふとただならない気配を感じて飛鳥のほうを見ると、その顔はぞっとするほど険しくなっている。
ユウキは、隣の夏季にひっそりと尋ねた。
「飛鳥から、怒ってるメッセージが来てた。……また松原が何か言ったんだな?」
「そうだ」
それだけの短いやり取りで、ユウキはおおよその事情を察した。
松原の余計な一言に飛鳥が腹を立て、言い合いになる。
そんな流れは、これまでも何度も見てきた。
2年に上がっても、その関係は変わっていないらしい。
飛鳥は明るく、誰とでもすぐ打ち解けられる性格だ。
それでも、松原とだけは昔からどうにも相性が悪い。
もっとも、松原の性格を思えば、相手が誰であっても衝突しやすいのだが。
やがて、五分も経たないうちに狭山先生が教室へ入ってきた。
張りつめた空気が、残っていた生徒たちの気をさらに引き締める。
「守口くん、お帰りなさい。今から説明するわ」
クラスメイトが少なくなって静まり返った教室では、狭山先生の声がよく響いた。
「守口くんたちが教室を出たあと、授業は予定より早く終わることになったの。そのあとで、明日からもA組として残る覚悟がある者だけ、この教室に残ってもらいました」
「ほかのクラスメイトがいないということは、そういうことですか?」
「ええ。授業が終わったあとで、A組を降りると申し出た生徒たちがいたの。明日からは、別の教室へ移ることになります。柏原先生は今、その手続きに追われているところよ。
そして、この教室に残っているクラスメイトは、A組に残る覚悟を決めた者たちです」
A組に残るということは、今後、魔族との戦いに加わる覚悟を持つということでもある。
先ほどの授業でも、露骨に反発はしなかったものの、戦いに参加することへ不安や拒絶をにじませていたクラスメイトは何人かいた。
そして、その者たちはもうこの教室にはいない。
「守口くんと交野さんからは、まだ答えを聞いていないわね。交野さんには、明日の朝に返事をもらいます。
守口くんは、もう決まっているの?」
「俺は、A組で戦う覚悟ができています」
ユウキは迷うことなく即答した。
「了解しました」
(姉さん……っ!?)
ユウキがA組に残ると答えた瞬間、狭山先生の表情にほんのわずかだけ笑みが浮かんだ。
その変化を見逃さなかったのは、夏季だけだった。
姉のごく小さな感情の揺れは、夏季にしか分からない。
だからこそ夏季は、その一瞬の表情から感じ取っていた。
狭山冬美は、ユウキに本気で期待しているのだと。
「明日からA組は、新たなスタートを切ります。
A組を離れたクラスメイトたちの分まで、戦い抜いてください」
狭山先生は、残ったA組の生徒たちを静かに後押しした。
「何度も伝えているけれど、あなたたちがこの先、過酷な運命を歩むことは間違いないわ。だからこそ、訓練を怠らないで」
「分かりました。狭山先生」
そう答えたあと、都島はいつも通り、気になったことをその場で尋ねた。
「私たちはまだ学生です。今さらおかしなことを申し上げている自覚はありますが、それでも、この先どう戦っていくのかを教えていただけないでしょうか」
「あなたたちの戦い方は、今後、魔族を滅ぼすことまで視野に入れて考えなさい」
「うわぁ……超ハードモードですね。僕たちの力で魔族に勝つなんて、不可能ですよ」
赤阪の後ろ向きな声が、静かな教室によく響いた。
ふだんの赤阪は自分から積極的に口を開くタイプではない。
だからこそ、その珍しい発言に、周囲の視線は一斉に赤阪へ向いた。
「今のあなたたちでは、まだ難しいでしょうね。けれど、経験を積み重ねて強くなれば、いずれ必ず勝てるわ」
「がっはっは! 俺は魔族より、先生たちを滅ぼしたいぜ!」
「……せめて、私たち教師を超えるくらいには強くなってちょうだい。一年前と変わらない実力のままなら、失望するわ」
A組は一年前より、確実に強くなっている。
だからこそ、その一年分の成果を二年目で示さなければならなかった。
「あの小せえ女以外、全員そろったんだろ。守口の答えも聞けたことだし、そろそろ帰っていいか?」
「構いません。現時刻をもって解散とします」
「そうと決まりゃ帰るぜ! 千早、付き合え」
「えぇ……また?」
「いいから来い!」
松原に半ば強引に身体を持ち上げられた赤阪は、露骨に嫌そうな顔をした。
松原の巨大な体躯は、細身の赤阪をまるで赤子のように軽々と持ち上げてしまう。
その様子に文句を言う気力もないのか、赤阪はどこか面倒くさそうな表情のまま、しぶしぶ荷物をまとめた。
そうして二人は、そのまま教室を出ていく。
二人を見送った狭山先生も、ひとつため息をついたあと、静かに教室をあとにした。
その後、残った者たちもそれぞれ帰る支度を進めていた。
だが、その中で一人だけ、まったく荷物をまとめようとしない者がいた。
「ぐ、ぐぬぬ!」
まだ怒りの収まらない飛鳥が、机を軽く叩く。
いつもなら松原に腹を立てても、ここまで長く引きずることはない。
だが今回は相当こたえているらしく、残りの授業中も落ち着かない様子だった。
そんな近寄りがたい飛鳥の後ろから、都島がそっと声をかけた。
「池田さん」
「何や、委員長」
「池田さんは、お強い人です。柏原先生がおっしゃっていたように、挑発に乗ってしまっては、あなたの力は大きく削がれてしまいます」
「カッシーみたいなこと言うなや。ウチはいまイラついとんねん。委員長とはいえ、今のウチは気ぃ短いで。離れといたほうがええ」
刺激を与えれば、飛鳥はまた爆発してしまうかもしれない。
それでも都島は引き下がらず、そっと飛鳥の耳元で囁いた。
「ですので私が……交野さんのように人を癒やすことは得意ではありませんが、こうさせてください」
そう言うと都島は、席に着いたままの飛鳥の背後からそっと抱きしめた。
その瞬間、二人の身体から青いオーラがにじむように立ち上り始める。
「な、なんや!?」
「池田さんは立派な方です。仲間思いなあなたは、尊敬に値します」
都島はそう言って、飛鳥の頭を優しく撫でた。
さっきまで怒りに染まっていた飛鳥の表情は、少しずつ安らいでいく。
そして、そのまま全身から力が抜けた。
ひととおり落ち着いたのを見届けると、都島はそっと飛鳥から離れた。
飛鳥も席を立ち、後ろにいる都島を振り返る。
「え? 今の魔法は何や?」
「私の得意な魔法です。すっきりしましたか?」
「すっきりした! したした!
え? なんなん!? どうやって覚えたん!?
そんな癒やし魔法、あったっけ!?」
飛鳥の中に渦巻いていた怒りはすっかり消え、表情は見違えるほど晴れていた。
自分の身に起きた変化への戸惑いと疑問から、飛鳥は都島に少し詰め寄る。
だが、その顔にはもう怒りはなく、代わりに明るい笑みが浮かんでいた。
その様子を少し離れたところから見ていた夏季とユウキも、ひとまず安心していた。
「飛鳥は癒やしの魔法だと思ってるみたいだな。ユウキはどう思う?」
「俺もそう思ったけど……やっぱり違う魔法なのか?」
「ああ。都島さんの魔法は……俺も最近覚えた、同じ系統の魔法だ。ユウキでも使える」
「夏季が最近覚えた魔法って、たしか……」
「――ディスペルだ」
都島が使った魔法、ディスペル。
それは相手の能力値に付与された変化を打ち消す魔法だった。
強化であれ弱体化であれ、あとから加えられた効果であれば取り除くことができる。
たとえば、攻撃力を高める魔法を受けた相手にディスペルを使えば、その上昇分だけが消える。
逆に、能力を下げられている相手に使えば、その低下もまた解除できる。
「夏季。飛鳥の状態に、目立ったマイナス要素はなかったはずだ。
あるとすれば怒りの感情くらいだけど……! そういうことか」
「そうだ。飛鳥の怒りの感情を除去したんだ。
俺もユウキもディスペルは使える。けど、都島さんのあの技だけは真似できない。
姉さんにも、柏原先生にもできないぞ……」
「感情を除去……か。
都島さんの魔力は日ごとに高まっているし、俺も負けてられないな」
付与された能力変化を打ち消すだけなら、ディスペルとして習得することはできる。
だが、感情そのものに作用し、それを除去できるのは都島日和だけだった。
それがこの先、大きな武器になってくれればいいのだが。
「委員長! 今まで委員長って呼んでたけど、これを機に、その……名前で呼んでもええか?」
「いいですよ。では私は、飛鳥さんと呼べばよいですか?」
「飛鳥って呼んで! ウチはヒヨリンって呼んでええ!?」
「ええ。構いませんよ」
飛鳥の中で、相手を呼ぶ愛称がまたひとつ増えたようだった。ヒヨリンという呼び名は、これまで飛鳥がずっとひそかに使っていたものだ。本人の前で口にしたのは、今が初めてだった。そして日和本人から認められたことで、2人の距離はさらにぐっと近づいた。
すっかり機嫌を直した飛鳥は、日和を連れてユウキと夏季の席の方へ近づいてきた。
「今からヒヨリンとお茶するわ。お礼しなあかんし」
いつの間そんな話になっていたのか、日和と飛鳥の2人のあいだでは、すでにお茶をする約束までまとまっていたらしい。
教室より落ち着ける場所で、魔法のことをゆっくり話したいのだという。さっきまでの怒りが嘘のように、飛鳥の機嫌はすっかり直っていた。その様子を見て、ユウキと夏季は、今後の飛鳥のご機嫌直しは日和に任せたほうがいいかもしれないと、ひそかに思うのだった。
「守口さんと狭山さんもご一緒にいかがですか?」
「一緒に行こうや!美少女2人とお茶やで」
「悪いけど、今日は姉さんの帰りが遅くなりそうだから、俺が部屋の準備をしなきゃいけないんだ。都島さん、また次の機会に頼む」
「いえいえ。急なお誘いをしてしまってすみませんでした。守口さんはどうされますか?」
「俺もこのあと予定があるんだ。ごめんね」
「ヒヨリン。コイツらは美少女のお誘いを断るほど何かあるんやろ。ウチラだけでイチャイチャしとこう」
「ふふ。今日はそれでいいかもしれませんね」
2人の美少女からのお誘いを断ったユウキと夏季は、それぞれ荷物をまとめて教室をあとにした。
教室に残ったのは飛鳥と日和の2人だけ。
距離を縮めたばかりの2人は、ふと目が合うと、どちらからともなく微笑み合った。
「いつも思いますが、4人の仲の良さが羨ましいです」
「たまたま気が合うだけやで。日和は5人目になれへん?」
「ふふ。お気持ちだけ頂きますわ。嫌というわけではありませんが、私はほどよい距離感がちょうどいいんです」
「ウチみたいにズカズカ入るよりは、そっちのほうがええかもな」
「飛鳥さんは、そのままのほうがよろしいと思いますよ。それでは行きましょうか。教室の鍵は私が預かっていますので、このあと狭山先生にお渡しします。飛鳥さんもお荷物をまとめてくださいな」
「鍵ありがとうな。荷物はもうほとんどまとめてたから、すぐ終わるわ」
2人は忘れ物がないかを確かめたあと、そろって教室をあとにした。
最後に出た日和が、静かに教室の鍵をかける。




