憎悪
スモークボールで鶴見の視界を奪い、この隙に逃げる。
鶴見の攻撃を受けた重傷の渚を抱えて。
「こちら松原!奇襲を受けて逃亡中!至急返事を求むっ!」
軍から提供された小型マイクで救助を求めた。
『こちら金剛基地。マイクの音声を聞き、すぐに救助隊が現場に向かった。現在の場所、状況を教えてください』
「話が早くて助かるぜ!場所は―」
金剛基地では、全軍隊に小型マイクやGPSを取り付けることが義務付けられている。襟元に着けられた小型マイクが早くも役に立つ。
(くそ!交野は震えてやがる。この機器が早く機能するなんてよ。くそったれ……情けねえな)
竜馬は金剛基地では怒り心頭で鶴見に攻撃を仕掛けるも、簡単に返り討ちにあった。さっきも防戦一方で、女の子が負傷してその場から逃げてくる様は辛いものである。
(何のために俺は強さを目指してやがるんだ!何もできねえじゃねえか)
鍛えられた肉体で小柄な渚を抱えて、出来るだけ遠く、遠くへ逃げる。流れてくる温かい血が手に伝わる。回復魔法が得意でない竜馬の心境は良くなかった。
竜馬はその後も連絡を取り合い、指定された目的地に向かう。ここから遠くない距離で5分くらいだろう。
目的地の緑地公園にたどり着いた。この辺りは魔素エリアがない広い敷地である。
大きな面積を誇る芝生の周囲は遊歩道がある。かつてはランニングで汗を流したり、犬の散歩など生活に身近であった。少し歩くと魔素エリアに近いため、この公園に足を運ぶ人は見当たらない。
辺りを見回し、鶴見が追ってこないことを確認し、渚を芝生の上に座らせた。ブレザーを脱ぎ芝生の上に置いく。渚の服を汚さない配慮である。その上に渚を寝かせた。
これから回復に努めるため、地面に膝をつく。
出血がひどい。竜馬のブレザーが血で染まる。
渚の呼吸が荒々しく、その音は竜馬の耳に届いていた。
(訓練通りにやりゃいいんだ)
大怪我の治療。
訓練は何回も受けていた。竜馬自身も感じている心臓の鼓動。実際に現場でケガをした生徒もいた。しかし、魔力が低い竜馬の出番はなかった。
(…回復魔法をサボるんじゃなかった)
後悔。回復魔法も訓練すれば、大抵の怪我人も治療ができる。しかし、竜馬は攻撃の方にスキルを伸ばしていたのだ。そのつけが今だということ。
(今悔いてどうする!ここには千早も都島もいねぇ!俺だけが頼りなんだ)
自分は何もできないと悲観しても仕方がない。が、気持ちに嘘はつけない。心は正直である。
竜馬の手は震えていた。複数の感情が入り交じり、怒りや悲しみとも分からない、苦しみとなっていた。そこに、竜馬の手に、小さな渚の手が合わさる。
「交野…」
渚の手は温かった。渚の生命の鼓動が手に伝わる。
「こうすれば、震えは止まるよ」
竜馬はハッとする。
(何をやっているんだ!目の前の小さな女の子は大怪我を負っているんだ。俺がしっかりしないとどうする)
竜馬は軽く息を吸い、吐く。
たった一度の行為で手の震えは止まった。
「悪かったな。もう大丈夫だ。今から治してやるからよ」
「松原…くん、ナイフを抜いて」
「分かった」
竜馬は渚の太腿に刺さったナイフのグリップを握る。握った僅かな振動が渚の傷を刺激する。握った瞬間分かった。間違いなく骨に刺さっている。
「うっ!?!」
「少し耐えてくれよな」
「あ…あ!あっっっっーーーー!!」
握った手から伝わる傷口からの激痛。
渚の目には涙が溢れている。あまりの痛さに腰が浮いてくる。
渚の小さな手が竜馬の前腕をおもいっきり握る。
「これを噛め!!」
苦悶の表情の渚を気持ち程度和らげたかったのだろう。ポケットからハンカチを取り出し、渚の口に詰めた。
「一瞬で終わらしてやる!」
「ん―――!!」
一気にナイフを抜いた。
刺し傷から血が溢れてくる。
「かはっ!はあはあはあっっ!」
ナイフが抜けたあと、口で挟んでいたハンカチの力が抜ける。
「よく耐えた!楽にしてやるよ」
すぐさま竜馬は回復魔法“ヒール”で渚を治療する。
しかし、傷口は中々塞がらない。
竜馬の魔力では回復力が圧倒的に足りなかった。
「くそ!」
このまま危険だと分かっていても、自分にはどうすることもできない。救助を待つしかないと考えていると―
「きず…ぐち…ん、は、あて…」
「傷口に手を当てろだと!?」
「う……んっ、」
刺し傷から真っ赤に溢れてくる血をとめる方法は認識していた。直接傷口に触れて回復すること。通常は触れなくても回復は可能だが、竜馬のように回復魔力が弱いと、それしか方法がない。
一瞬ためらったが、1つ唾を飲んだあと大きな手が渚の傷口を覆う。
「あ゛、……ッ!?!あっっっーーー!」
あまりの痛さに渚は苦悶の表情になる。竜馬の手は血で真っ赤に染まる。渚の声はさらに高くなり体がよじれる。
竜馬は傷口に触れたまま、施しをやめない。
「いっけーー!!」
――
――
止まった。
血が止まり大きな傷口が塞がった。タオルで血を拭き取るとすぐに真っ赤になった。
「“ブラッドベリー”を持っている。これを食え」
ブラッドベリーは、失われた血を戻す即効性の回復アイテムである。
息絶え絶えの口元にブラッドベリーを寄せる。渚の小さな口で一口噛む。ゆっくり咀嚼して、次の一口が進む。
口の周りは、果汁がついているがお構いなし。
最後のかけらを飲み込む。
呼吸が落ち着き、気持ちに余裕が戻ってきた。
ブラッドベリーは基地で育てている回復アイテムだ。日持ちもしないので、賞味期限がギリギリのところ
に基地から頂いたものである。まさかこんなに早く使う日が来るとはと、竜馬はありがたみを感じるのであった。
「すごいアイテムだね。さっきまでの苦しみが嘘みたい。ありがとう」
「ブラッドベリーは常に持ち歩くぜ」
渚は寝ていた姿勢から起き上がる。
楽々と起き上がるさまはブラッドベリーの効果は絶大である。
「後で洗濯だね…シャワーも浴びたい」
「帰るまでの辛抱だな。ほいよ、これを飲め。水分も必要だろ」
「ありがとう」
「粉も取っとけ」
「……頂くね」
「俺もマジックパウダーは苦手だ」
竜馬から水分とマジックパウダーを受け取り身体に補給した。
「だいぶ楽になったよ」
「残りの傷は自分でできるか?」
「ダメージが大きいから厳しいかな。松原くん、またお願いできる?」
「分かった」
渚はブレザーを脱ぎ、カッターシャツも脱いだ。
「簡単に脱ぐなよ…」
「私だって恥ずかしいよ。でも、そうも言ってられないよ」
「見た目のわりに肝がすわってやがる…」
インナーも脱ぎスカートも外して下着のみとなった。
身体中切り傷だらけだった。
「ずいぶん切りつけられたな」
「がっかりした?」
「ん…?何がだ?」
「もう。女の子の体を見て何かないのかな」
「あのなぁ…」
「フフ。冗談だよ」
「悪い女だ」
渚の様子をみる限り楽な気持ちで治療に励める。そう思い、回復魔法を施す。
1つずつ丁寧に傷を治していく。
軽い傷であれば、竜馬でも回復可能だ。慣れた手つきで、上から、首、腕、腹、脚と傷口が消えていく。そして最後に―
「ここはどうしよう…」
竜馬が回復に戸惑う最後の箇所。
胸と胸の間の切り口。つまり、谷間という部分に傷がある。
そこに触れるのは抵抗があったが。
「えい!」
「お、おい」
渚は竜馬の手を自分の胸に当てた。竜馬の大きな手は、渚の柔らかい部分に当たる。下着から伝わるほんのりとしたぬくもり。渚は躊躇しなかった。
「ごめんね、大きくなくて」
「…そういう問題じゃなくてな」
竜馬は残りの手で頬を掻く。目の前の渚は大胆なところがあり、想像と違う一面に面食らう。
早々に治療を終えたて、残りの血はタオルでふき取った。
「後ろ向いててやるよ。早く着替えな」
「はーい」
着替えをまじまじと見るわけにはいかない。
(こいつ慣れてやがるな…)
治療のために仕方ない部分はあった。回復後に、恥じらいがあってもいいのだが、堂々としている。背中越しに渚に話しかけられる。
「帰ったら報告だな」
「うん」
「力になれなかった」
「帰ったら練習だね。あと、松原くんが冷静になれればね」
「ああ。次会ったら、捕まえてやる」
「倒すんじゃないの?」
「鶴見は俺と千早の先輩なんだ。聞きてえことが山ほどある」
「ワケアリなんだね」
「聞きたいか?」
「ううん。気になるけど、また今度聞かせてほしいかな。あ、着替え終わったよ」
着替えが終わり振り返る。渚の制服はみすぼらしいほど切れている。
「私が倒すことになってもだめかな?」
「できれば俺達でケジメをつけたい」
「フフ。熱い戦いだね」
「そんなきれいなもんじゃねえよ。こん―」
「あはははは!アイツに散々やられたし、この借りは高くつくね。フフフフフ。あはははは!」
突如渚が大笑いした。見慣れぬ光景に竜馬の言葉が止まる。
「ど、どうした……くっ!」
竜馬は渚の憎悪の目に寒気がした。
獲物を狙う鷹の目と化した。
目を合わせることが出来なかった。
目が合った瞬間、全身金縛りのように動く子ことができなかったのだ。
竜馬の身体は汗で濡れる。
噴き出た汗が地面に落ちるまで時間はかからなかった。




