希望
終末戦争によって世界は壊滅した。
大量破壊兵器による無差別攻撃が世界中を焼き払ったが、奇跡的に全く無傷の都市がいくつか残っていた。生き残った人類は、かつての文明を取り戻すため復興に向けて歩きだした。
だが、復興の歩みは困難を極めた。大量破壊兵器の攻撃を受けた場所は深刻に汚染され、人類が住める土地ではなかった。
そして、汚染地帯から“魔獣”や”魔族”が生まれてしまった。
「次のページは、魔獣が誕生した歴史を簡単にまとめたものよ。復習みたいなものだけど、今一度目を通してちょうだい」
担任の狭山先生は、資料に目を通しながら、中身を具体的に解説する。
【魔獣】
壊滅した世界からおよそ100年後。
汚染された地域の各地で異変が確認された。
その異変は、生物が生存不可能な汚染された地域で、新たな生物が誕生したことである。
その地域は人類はおろか、全ての生物が絶滅したと考えられていたが、突如として、新たな生物が生まれ始めたのである。
ただしそれらの生物は、明らかに違う形態となって誕生した。
首が2本ある獣、食虫植物が巨大化、上半身と下半身で全く違う異型の生物。
まるで神話や伝説に出てくるような怪物のような生き物が、汚染された地域に次々と出現した。
汚染された地域は確実に死の街となっていた。その中、新たに生物が生まれることは考えられない。
人類はこれらの異形した生物を総称で“魔獣”と呼称した。
「これが魔獣誕生の歴史を簡単にまとめたものよ。質問はあるかしら?」
「狭山先生、質問宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
質問に挙手をしたのはクラス委員長の都島日和だった。クラスをまとめる立場にある彼女は常に成績上位で、どんな授業でも積極的に質問をし、結論へたどり着こうとする。その向上心で勉強熱心な彼女の姿勢は、狭山冬美先生から信頼は厚い。
「魔獣は汚染された地域に住んでいます。そこに私達は入ることができますが、他の人が入った場合、身体にどのような異変が起こるのか、具体的に教えていただきたいです」
「答える前に、1つ訂正しておくわね。汚染された地域という呼び方は、当時その地域に住んでいた人達に失礼になるので、今後は次のページで説明する資料にある通り、魔素エリアと呼ぶことにしましょう。質問の答えだけど、あなた達が魔素エリアに入れるのは、魔素に耐える魔力があるためよ。魔力が無いものは……言うまでもないわね。次のページの魔素エリアを説明するわね」
【魔素エリア】
魔族·魔獣が生息する地域。魔力を持たない人間はそのなかに立入ることは出来ない。並の人間であれば、魔素を含んだ重い空気の圧力によって息苦しくなる。それは水の中を無呼吸で動き続けるような感覚であり、長時間、滞在することは極めて困難である。仮に、魔素エリアで生存できたとしても、魔獣に発見された時点で、生き残ることは絶望的である。
「次のページで“魔力”について説明するわ。そのまま続けるわね」
【魔力】
文字通り、魔法の力である。
魔素エリアで活動する全ての魔獣や魔族は、この魔力を用いて魔法を発動することができる。
魔力は、魔素エリアと深い関係を持つ。
魔力を持つ者だけが、魔素エリアにたち入ることが可能である。
ただし、魔力を持つ人間はきわめて少ない。
魔力を持つ人間だけが、魔獣や魔族と同じように、魔法の力を発揮することができる。
「ご説明ありがとうございます。もう一つしても宜しいでしょうか。魔素エリア側の魔獣たちは、私達の住むエリアに入った場合、どうなるのですか?」
魔力を持たないものが者が、魔素エリアに立ち入った場合の説明を聞き終えた都島さんは、間を置かずに次の質問を先生に投げかけた。
今度は、魔素エリアに生息する魔獣や魔族が、こちらの居住する地域に立ち入ったらどうなるのかという問いだった。
都島さんやクラスメイトはこの答えを知っているのだが、あえて質問をぶつけてみた。もしかしたら、答えを知らない人への配慮なのであろう。
「魔力を持たない人間が魔素エリアに入ることと同じ現象が起こるわ。私達が居住する地域に立ち入った魔獣は生きることはできないの。そうね……私達が居住する地域や居住エリアって、なんか言いづらいわね。何か別名で呼び方を決めたほうがよさそうだわ。どうかしら、柏原先生」
「急に振ってきましたね。私は静観したかったのですが……」
「私一人ではこのクラスをまとめるのは難しいの。協力して下さい」
「承知しました」
狭山先生から話を振られた副担任の柏原優一先生は、優しげな顔立ちでお洒落な眼鏡がよく似合う。優しくと微笑む柏原先生は一見強そうに見えないが、高い魔力を持っており、A組の生徒たちを指導する実力と指導力を備えている。
突然任されたエリアの命名。柏原先生は腕を組んで静かに目をつむり、教室が静かになった。やがて目を開くと、柏原先生の次の言葉にクラスメイトたちの視線が集まった。
「あなたたちA組は人類の希望です。ですから私たちが住んでいるエリアは……のぞみエリア……でいいかな?」
柏原先生の答えにクラスメイト達は、小さく「おお……」と小さく声を漏らした。隣同士で目を合わし、命名に共感するクラスメイトが微笑んだ。先ほどまでピリついた雰囲気に微かに光が差し込んだ。
静寂した教室内が再び賑やかになる。
狭山先生は「静かにしなさい」とは言わなかった。そして、先ほどまで萎縮していた飛鳥が、またいつもの調子で戻ってきた。
「ええやん、ええやん!希望と書いて《のぞみ》やろ!?皆、のぞみエリアと呼ぼうや!うちは賛成や!流石カッシー!……じゃなくて柏原先生!」
「気に入ってくれてよかった。けれど、池田さんは裏ではそう呼んでいるんだね?」
「あ……いえ!そんなつもりはありません!」
飛鳥は気分が乗ると、敬語で話す意識が低下する。今みたいにお調子よく喋ったときほど、柏原先生は冷めた表情で容赦なく切り返してくるのである。
【のぞみエリア】
人類の住むエリア。この命名を2年A組の愛称となった。
大量破壊兵器によって世界の大半が破壊されたなかで、奇跡的に生き残った地域である。
このエリアは残された人類が住むことが出来る。
魔素エリアと比べて、空気は軽く、澄んでいる。また、魔獣はこのエリアに立ち入ることはできない。
のぞみエリアのように人類が居住できる地域は、世界全体の1割ほどしか残っていない。
「おいおい!何か盛り上がってるところ悪いけどよ、魔獣が俺たちの世界に入れないことなんて、どうでもいいんだよ。このあと魔族の話になるが、そいつらは、のぞみエリアに侵入出来るんじゃねえか?」
クラス内の盛り上がりに釘を刺した松原竜馬だった。
松原にとって、この話を不毛に思えたのだろう。彼が知りたいのはこの先の続きのようだ。
のぞみエリアには魔獣は入ってこれないことより、肝心の魔族がのぞみエリアに入ってこれるかどうか。
気になるところはそこであった。
「魔族はのぞみエリアに侵入出来るわ。だから戦わないといけないの。……魔族の目的は不明だわ」
「はっはっはっ!やっぱりな。じゃないと戦争が起こるのも無理はねぇな!早く魔族の説明をしてくれよ先生!」
松原は大きく笑った。それにつられて笑うものは誰もいなかった。
さっきまでの盛り上がりが、嘘のように消えてしまった。
夏季はやれやれと言いたげに額へ手をやった。
松原の態度はいつも通りなので、クラスメイトは見慣れたものだった。
狭山先生と柏原先生はそんな松原を一瞥したが、すぐに気持ちを切り替え、魔族について話を続けた。
【魔族】
魔獣の上位種とされる存在。
身体能力、物理攻撃、魔力攻撃のいずれにおいて、魔獣を凌駕する。魔族が誕生した起因は現在も不明である。最も有力な仮説は、魔素エリアに生息している一部の魔獣が進化したのではないかという説である。魔族は、のぞみエリアに侵入することは可能であるが、その環境に長時間適応することし続けるは難しい。
過去にのぞみエリアに侵入した魔族が確認されたのたが、多くはのぞみエリアの環境に適応できず、死に至っている。
「魔族·魔獣に共通することは、絶命するとサラサラの粉になって崩れることよ。それは魔素エリアでも、のぞみエリアでも変わらないわよ。なぜ粉になるのか?その原因はまだわかっていない。けれどその粉には、私たちが魔力を発揮するために、必要なマジックパウダーの原料がが含まれているの」
「冬姉、質問いいですか?」
「どうぞ」
「マジックパウダーは、魔法を繰り出すエネルギー源みたいなもんやろ。今のところ量産することは難しいとちゃうか……じゃなくて、難しいですか?」
「量産にはもう少し時間がかかるみたいね。ちょうどマジックパウダーについて説明するからそのまま聞いて頂戴」
【マジックパウダー】
魔族·魔獣が死亡すると、サラサラの粉となって崩れる。
マジックパウダーは、その粉から精製される魔力補助資源である。
これを体内に接種することで、魔力を持つ人間は魔力が回復し、魔法の行使が可能である。一方で、魔力の無い人間が使用すると、猛毒に侵されたような激しい苦痛を味わい、最悪の場合死に至る。
「毎回思うんやけど、マジックパウダー無しで魔法を連チャン出来たらええんやけど……。魔素エリアでは魔力が切れたら終わりやもんな。どうせならマジックパウダーが美味しかったらええのに……」
「そうですね。魔素エリアで魔力を維持するためには必要なものですから。マジックパウダーを切らしたら、あとは物理で敵を倒さないといけません。私もできることならマジックパウダーは美味しかったら嬉しいです……」
魔力が高い飛鳥と都島は、日々の訓練で多くの魔力を消費している。そのため2人は他の生徒より、多くのマジックパウダーを体内に取り入れなければいけない。
どうやらマジックパウダーには味があるみたいだが、2人の浮かべた苦い表情を見る限り、あまり好ましくないようだ。
「気持ちは分かるけど、マジックパウダーの味は我慢してちょうだい。……話が少し逸れたので戻すわね。魔族と戦いに勝つためには魔力だけではないわ。身体能力、物理攻撃も必要になる。
交野さん、あなた、また顔色が良くないわね」
「……先生。すみません……また、体調が良くないみたいです……」
「交野さん。今日は無理しなくて良いと思うわ」
狭山先生はふと渚の異変に気が付き声をかけた。
うつむき加減から顔を見上げた表情に覇気がなく、目の焦点が合ってないようだった。
交野渚は生まれつき身体が弱く、午前中の授業を抜けて、保健室で休んでいた。
いつもなら、一度休めば体調が良くなるのだが、どうにも今日は、いつも以上に身体の調子が悪そうだった。
このまま早退して、自宅で療養する。
それがこれまでの流れだった。
飛鳥が席を立った。
これもよくある光景で、渚を自室まで送るつもりだろう。
だが、その直後。
遅れて立ち上がったユウキが、手で飛鳥を制した。
「飛鳥、悪い。今日は俺が渚を送るよ」
「え?ユウキ?うちがやるやん――」
「渚に返さなきゃいけないものがあるんだ。いいかな?」
「あ……うん。分かった」
「飛鳥ちゃん……いつもありがとう。私もユウちゃんに返さなきゃいけないものがあるから……今日はユウちゃんに送ってもらうね」
渚の体調が悪い時は率先して飛鳥が動く。
だが、この時は守口ゆうきの方が先だった。
渚は、そんなユウキの行動に何か感じることがあったのだ。だからこそ、ユウキに送ってもらおうと思った。
飛鳥もまた、2人の表情から、何かを読み取り、ここは自分が出る幕ではないと、言葉ではなく肌で感じた。
ユウキと渚の瞳は、どこか同じ色をしてるように見えた。
二人は申し訳さそうに軽く頭を下げ、教室を出ていった。
渚はユウキの腰のあたりにしがみつくようにして、廊下をゆっくり歩く。
ユウキは渚の歩くペースに寄り添い、ゆっくりと校舎の外へ向かって進んでいった。
二人が教室を出て数分経った。
教室には、資料をパラパラとめくる音しか聞こえなかった。
その静けさを破るように、松原がまた口を開いた。
「どうせあの2人はことあと寮で仲良くするんだろ。あんな弱いやつは本当にA組に相応しいのか?」
「なんや松原?今日はいつも以上にめっちゃムカつくこと言うやないか」
松原の不躾な言葉に、再び教室の空気がピリついた。その侮辱まじりの物言いに、飛鳥はもう我慢ができず、勢いよく立ち上がった。
「俺は事実を言ったんだぜ。あの程度で毎回ふらふらしているやつが、A組として人類希望の一員に相応しいのか?いや、全くねぇなっ!」
「言うてくれるやないか……!渚がどんだけ頑張ってるか知らんくせに!渚のことを悪く言うやつは、クラスメイトでも許さんわ!!」
飛鳥は松原の席へ向かって突っ込んだ。
ほかの生徒の机を踏み台にし、一直線に駆ける。
怒りで感情が暴走していた。
動きは速い。あっという間に松原の目の前まで迫る。
そして、魔力を込めた右拳を、松原の顔面めがけて振り抜いた。
その時――
「二人ともやめてください。竜馬、さすがに言いすぎだよ。池田さんも、仲間内で魔力を解放するのはやめてください。あなたの魔力が教室内で暴発したら、ぼく達もただではすまないよ」
衝突寸前、赤阪千早は二人の間に割って入り、飛鳥の拳を魔力で受け止めた。
教室内で魔法の発動は、本来禁止されている。だが、冷静を欠いた飛鳥の魔力はその瞬間に跳ね上がっていた。これを止めるには、防御魔法で受けるしかなかった。
松原の目の前には防御バリアが展開されている。飛鳥はそのバリアに何度も何度も拳をぶつけていた。それでも松原の顔面には届かない。
そればかりではない。
バリアを攻撃する度に、飛鳥の魔力少しずつが吸収されるのである。冷静であればすぐ気付けるのだが、感情に飲まれた飛鳥は、ただ本能のままに拳を振るっているだけである。
「邪魔すんなよ千早。そいつには東地区の言葉遣いを教えてやらねぇとな」
「だ、誰がお前な…んか…、に…」
赤阪の吸収魔法が効いたことで、飛鳥の身体に力が抜けていく。
息を切らした飛鳥は攻撃意思を失っていた。
その様子を見て、赤阪は魔力を解いた。
飛鳥は荒い呼吸を整えるだけで、何も言わなかった。
「俺が片付けたかったのによ!余計なことをしやがって――」
「竜馬……怒るよ?」
「……ちっ!分かったよ……」
赤阪は、松原に静かな圧を向けていた。
大柄な松原とは対照的に、赤阪の身体は小柄で華奢だ。
それでも、中性的な見た目に反して、松原に臆することなく場を制した。
松原が静かになったのを見て、赤阪は飛鳥に寄り添った。そして、さきほどの吸収魔法で力の抜けた身体を回復させる。
やがて、飛鳥は自分の足で歩けるまで戻り、席へと引き返した。
「池田さんごめんなさい。松原くんには僕がキツく言っておきます。それと、先生方も……すみませんでした」
この場を収めた赤阪は、先生たちへ謝罪した。
狭山先生はやれやれと小さなため息を吐いた。その表情には、「またやってしまったわね」と言われているようであった。
一方で柏原先生は、眼鏡の縁にそっと手を添えたあと、腕を組む。
目は全く笑っていない。柏原先生はひとつため息をついてから、静かに口を開いた。
「僕たちも、よほどのことがあれば止めるつもりでしたが、赤阪くんの行動をみて手を出さずにいました。
松原くんは、不用意な発言は気をつけて下さい。次は私も容赦しないよ。
池田さん。君の気持ちは分かるけれど、感情的になると、判断力が落ちる。君の弱点は、敵の挑発に乗ってしまうことです。
2人には後で反省文を書いてもらいます。何か言うことはあるかな?」
「……すみませんでした」
「……へーい」
柏原先生は、静かに怒るタイプだ。口調に怒気がなくても、その言葉は生徒の胸に鋭く突き刺さる。
こういう怒り方の方が、かえって怖いものだ。
「狭山先生の言う通り、このままでは、君たちに待っているのは死です」
「そうね。今日の授業はこれ以上続けられそうににないから、ここで終わりにするわ。
さっきも伝えたけれど、明日から過酷な訓練が始まるわ。A組に残る覚悟がない者は、放課後のうちに申し出てちょうだい。
狭山くん。交野さんと守口くんに、私と柏原先生が今伝えたことをメッセージで送っておいて」
狭山先生と柏原先生は、厳しい言葉を残して授業を打ち切った。戦いに出る覚悟は、生半可な気持ちでは背負えるものではない。
明日から始まるのは、これまでのA組とはまるで違う日常だ。
ついていけない者は、今日のうちに自ら申しでろ。
二人の言葉が意味していたのは、そういうことだった。
明日から、2年A組の毎日は過酷で厳しいものになる。
それだけは、もう疑いようがなかった。




