希望
終末戦争によって世界は壊滅した。
大量破壊兵器の攻撃を奇跡的に受けなかった無傷の街があった。僅かに生き延びた人類は復興に向けて歩きだす。
復興も困難を極めた。大量破壊兵器の攻撃を受けた場所は汚染され、人類が住むことはできなくなってしまった。
【魔獣】
壊滅した世界から約100年後、汚染された地域のあらゆる場所で異変が起こった。それは生物の突然変異である。世界が終わる前の生物と、明らかに違う形態に変化していた。首が2本の生物であったり、食虫植物が巨大化したり、上半身と下半身が別々の生物であったりと、神話や伝説に出てくるような生物が汚染された地域に次々と生まれた。
「これが魔獣誕生の歴史を簡単にまとめたものよ。質問はある?」
「狭山先生、2つばかりの質問ですが、いいですか?」
「どうぞ」
質問に挙手をしたクラス委員長の都島日和。どんな授業でも積極的に質問をして結論を導き出す。担任の狭山冬美先生の信頼は厚い。
「魔獣は汚染された地域に住んでいます。そこに私達は入れますが、他の人が入ったらどうなるんですか?」
「質問を答える前に、汚染された地域というと当時の人達に申し訳ないので、次のページで説明する資料に書かれている名称の魔素エリアと呼ぶことにしましょう。1つ目の質問で、貴方達が魔素エリアに入れるのは、魔素に耐える魔力があるためね。魔力が無いものは言うまでもないわ。2つ目の質問の前に、次のページの魔素エリアを説明するわね」
【魔素エリア】
魔族·魔獣の居住エリア。魔力を持たない人間は入ることは出来ない。並の人間は、魔素の重い空気の圧力によって苦しくなる。水の中で無呼吸の感覚で動くように、長時間滞在は無茶である。仮にいられたとしても、魔獣に発見されたら100%やられる未来が待っている。
「ご説明ありがとうございます。もう1つの質問ですが、魔素エリア側の魔獣たちは、私達の住むエリアに入ったらどうなりますか?」
「魔力が持たない人間が魔素エリアに入ることと同じ現象が起こるわね。私達のエリアに入った魔獣は生きることは不可能よ。そうね、私達の住むエリアは何て呼びましょうかね?柏原先生」
「急に振ってきましたね。私は静観したかったのですが」
「私一人ではこのクラスをまとめるのは難しいので協力して下さい」
「承知致しました」
狭山先生から話を振られた副担任の柏原優一先生。優しい雰囲気でお洒落な眼鏡をかけている。ニッコリと微笑む柏原先生は、一見強そうな男性に見えないが、A組の生徒を教える立場が納得できるほど高い魔力を持っている。
柏原先生は少し間を置いて答える。
「貴方達A組は人類の希望です。ですので私達が住んでいるエリアは……のぞみエリアでいいかな?」
柏原先生の答えにクラスメイト達は、小さく「おおぉぉ」と頷く。隣同士で共感するクラスメイトもいる。ピリついた雰囲気に微かに光が入る。
「ええやんええやん!希望と書いて《のぞみ》やろ!?皆、のぞみエリアと呼ぼうや!うちは賛成や!流石カッシー!じゃなくて柏原先生!」
池田飛鳥の推しにクラスメイトは乗っかる。柏原先生の提案は1度で終わる。飛鳥は気分が乗ると敬語の意識が下がる。
【のぞみエリア】
2年A組の愛称。残された人類が住むことが出来るエリア。魔素エリアより空気は軽くて透明感がある。魔獣はこのエリアに入ることは困難である。のぞみエリアのように人類が住める世界は1割ほどしか残っていない。
「おいおい。何か盛り上がってるところ悪いけど、魔獣は入ることは出来ないということだろ?このあと魔族の話になるんだが、魔族はのぞみエリアに侵入出来るんじゃねえか?」
盛り上がりに釘を刺す松原竜馬。松原はこの先の話の続きが聞きたいようだ。のぞみエリアには魔獣は入ってこれない。肝心の魔族はどうだろうか。本質はそこだろうと感じる。
「魔族はのぞみエリアに侵入出来るわ。だから戦うの。魔族の目的は不明だけど、私達は滅ぶわけにはいかないわね」
「はっはっはっ!やっぱりな。じゃないと戦争が起こるのも無理はねぇな!早く魔族の説明をしてくださいよ先生」
松原は教室が響くほど大きく笑う。夏季はやれやれと額に手を寄せる。松原の態度はいつも通りなので、クラスメイトは慣れたものである。続きが聞きたいのは皆同じであり、狭山先生は魔族の続きを始める。
【魔族】
魔獣の上位互換である。物理攻撃も魔力攻撃も魔獣を凌駕する。魔族が誕生した起因は不明である。1番有力な仮説は、魔素エリアに生息している魔獣が進化したのではないかという可能性である。のぞみエリアに侵入することは可能であるが、長時間の滞在は難しい。過去にのぞみエリアに侵入した魔族が何体かいたのだが、のぞみエリアの環境に適応できずに死んでしまった。
「魔族·魔獣に共通すること、死んだらサラサラの粉になる。
死んだ場所が魔素エリアとのぞみエリアのどちらも。サラサラの粉になる理由は分からないけれど、そのサラサラの粉は私達が魔力を発揮できるマジックパウダーの素が含まれているの」
「冬姉、質問いいですか?」
「どうぞ」
「マジックパウダーは、魔法を繰り出すエネルギー源みたいなもんやけど、今のところ量産することは難しいんかな?じゃなくて難しいですか?」
「量産にはもう少し時間がかかるみたいね。ちょうどマジックパウダーについて説明するから聞いて頂戴」
【マジックパウダー】
魔族·魔獣が死亡したとき、サラサラの粉になる。その粉を体内に服用又は接種することにより、魔力を持つ人間に魔力が回復し魔法を使うことが可能である。魔力の無い人間が使用すると、猛毒に侵されるような苦痛を味わう。
「毎回思うけど、マジックパウダー無しで魔法を連チャン出来たらええねんけど、魔素エリアでは魔力が切れたら終わりやもんな。個人的やけど、マジックパウダーが美味しかったら最高やな……」
「そうですね。魔素エリアで魔力を維持するためには必要なアイテムです。魔素エリアでマジックパウダーを切らしたら、物理で敵を倒さないといけません。私もマジックパウダーは美味しかったら嬉しいです……」
魔力が高い飛鳥と日和は、日々の訓練で多くの魔力を消費していて、多量のマジックパウダーを体に取り入れる。味があるみたいだが、あまり好ましくないみたいだ。
「いつか世界が平和になった時に、美味しいマジックパウダーが出来上がっているわ。話が少し逸れたので、魔族と戦うのは魔力だけではないわ。物理攻撃も必要よ。松原くんや夏……狭山くんも頼りにしてるわよ」
「その時は俺の大剣で薙ぎ払うまです」
「俺の武器はこの拳で十分だ」
夏季の名前を呼ぼうとした狭山先生はギリギリアウトのタイミングで、狭山の名前で呼ぶ。学園内では厳しい狭山先生は、弟であっても別である。夏季も理解しているが、不意に姉さんと呼んでしまうことがある。
「先生、すみません……また体調が良くないみたいですので、お休みさせてください……」
「交野さん。今日は無理しなくて良いと思うわ。」
交野渚は生まれつき身体が弱く、さっきの午前の授業を抜けていた。1回休めば回復するのだが、今日はいつも以上に身体の調子が悪いようだ。いつもなら飛鳥が席を立ち、渚を介抱するのだが、この時は――
「飛鳥、悪い。今日は俺が渚を送るよ」
「え?ユウキ?ウチがやるやん――」
「渚に返さなきゃいけないものがあるんだ。いいかな?」
「あ……うん。分かった。」
「飛鳥ちゃん、いつもありがとう。私もユウちゃんに借りてたものがあるから、今日はユウちゃんに送ってってもらうね」
渚の体調が悪い時は率先して飛鳥が介抱するのだが、このときは守口ゆうきが先に動いた。渚も何か感じることがあった。
飛鳥は2人から察してと感じた。ユウキと渚の瞳は、同一の色をしてるように見えた。2人は会釈し教室を出る。2人は階段を降りて校舎の出口を目指す。
二人が教室を出て数分経った。わかっていたであろうこの男が口を開く。
「あの2人はことあと寮でいちゃつくんだろ。あの小娘は本当にA組に相応しいのか?」
「なんや松原?今日はいつも以上にエライ腹のたつこと言うやないか」
「俺は事実を言ったんだぜ。あの小娘はA組として、人類希望の一員に相応しいのか?いや、ねぇな!」
「言うてくれるやないか……渚のことを悪く言うやつは、クラスメイトであっても許さんわ!!」
渚のことを悪く言われ憤る飛鳥。飛鳥は松原に向かって突撃する。感情が爆発し無意識で魔力を開放する。机を踏み台にし、飛鳥の素早い動きで松原の顔面に拳をぶつけようとしたその時。
「二人共やめてくださいよ。松原くん、流石に言いすぎ。池田さん、仲間内で魔力を開放するのはやめてください。あなたの魔力が教室内で暴発したら、私達もただではすみません。」
二人の間に入り、飛鳥の拳を魔力で止めた赤阪千早は冷静に対応する。魔法陣で描かれたバリアで飛鳥の攻撃を防ぐ。感情的になっている飛鳥の攻撃は単調で、松原に向かってパンチを繰り出すだけであり、赤阪の魔法は簡単に決まってしまう。バリアが当たるたびに飛鳥の魔力が吸収される。
「邪魔すんなよ千早。コイツに東地区の言葉遣いを教えてやらねぇといけねぇだろ?」
「だ、誰がお前な…んか…に…」
赤阪の吸収魔法に飛鳥の力が抜けていく。飛鳥の攻撃意思がなくなったタイミングで魔力を解く。
「俺が片付けたかったのによ。余計なことをしやが――」
「怒るよ?」
「ちっ!分かったよ」
赤阪は松原の大きな身体とは対極で小柄で細身な体系であるが、松原に臆すどころか手中に収める。松原が大人しくなったところで、赤阪は飛鳥に寄り添い、力の抜けた状態を回復させる。歩けるようになり席に戻る。
「池田さんごめんなさい。松原くんには僕がキツく言っておきます。それと、先生方すみませんでした」
「ははは。私達もよほどのことなら止めるつもりでしたが、赤阪くんを見てやめました。松原くんは不用意な発言は気をつけて下さい。次は私も容赦しないよ?池田さんも気持ちは分かるけど、感情的になった君はレベルが低くなっています。君の弱点は敵からの挑発に乗ってしまうことだ。」
「くっ!すみませんでした」
「……へーい」
柏原先生は静かに怒るタイプであり口調に怒気がなくても、突き刺さる。この手の感情はなかなか怖いものである。
狭山先生はため息をつくだけである。
「狭山先生の言う通り、このままでは君たちは死ぬ運命が近いですね」
「そうね。今日の授業はこれ以上進みそうにはないので終わりにします。先程伝えましたが、明日から過酷な訓練となります。A組に残る覚悟がないものは放課後に報告して頂戴。狭山くん、交野さんと守口くんに、私と柏原先生が今伝えたことをメッセージで送って頂戴」
厳しい言葉を残す狭山先生と柏原先生。戦いに出る覚悟は生半可では勤まらない。明日から、今日までのA組とは違う環境になることは間違いない。要は、ついていけないものは今日のうちに報告することということだ。
明日から2年A組は過酷で厳しい日常になりそうだ。