表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/61

第36話 別部署からの応援といえば聞こえはいいけど、人員が倍になれば仕事のスピードが倍になるわけでもなく

アウステルリッツ公国を形成する星系の一つ。ダンハール子爵領の第3番惑星はその日雨であった。

 テラフォーミング技術の隆盛は、人類の版図を広げるのに大いに役だった。しかし、あまりにスケールの大きい出来事というのはむしろありがたみに欠ける。日々の暮らしを送る市民にとってはむしろ、完璧を期すぎるあまり、西暦時代の地球のそれと同様に再現された雨天に対して、不満をもらしていた。


 久しぶりに発生した犯行現場に到着し、警察用の自動運転車両から降り立ったドルニエ警部もまた、じっとりとした空気と、裾の部分が濡れてしまったコートに不快さを感じていた。早朝というにもまだ早いタイミングであったが、街中にはほとんど人がいない。道路を走っているのは無人の輸送車両ばかりだ。特殊な事情があって職業についてる訳でもない限り、こうやって雨の日に好き好んで外に出るということだろう。


「お疲れ様です。警部」


 雨具を着込んだ警官が、ドルニエ警部に挨拶する。その手にはカメラが握られていた。


「よう、デュドネイ。うわ、こりゃひどいな…」


 街中にて被害にあったその遺体は、雨を避けるために張られた天幕の下、衣服越しに腹部を包丁で切り裂かれ、大量の血をまき散らしていた。内臓もはみ出ており、おそらくは即死だ。帝国が誇る医療技術を以てしてもなすすべはないだろう。

 彼は、さっきまでの認識を考えなおし、むしろ今の天候に感謝した。下手に好天であれば、野次馬が集まっていたに違いない。


「いきなりですが、ちょっとよろしいですか警部」


 湿気の中充満する血の匂いに顔をしかめながら、デュドネイと呼ばれた警官がドルニエ警部のもとに駆け寄る。


「身元は分かってるか?」

「ハイ、遺体の身元はレグノス・パーシー、男性で32歳。遺伝子照合の結果判別されたものです」

「身分証は?何も持ってなかったのか?」

「えぇ。服装に漁った跡があるので、カジャフさんはおそらく強盗殺人じゃないかと言ってるんですが…」

「そんなことあるかね」


 ドルニエ警部は訝しげにそうに言った。経済的な事情が、犯罪のきっかけの主要な理由となっていたのははるか遠くの時代の話だ。家も電気も水道もほとんどただ同然。食うものに困ったなら役所に行けば無料で食事が出る。それに1週間も待てば国民全員が保有する銀行口座にまとまった金が振り込まれる。そんな世の中で、わざわざ人がもつ財布を狙って殺人を犯す?


「第一発見者は?」

「匿名の通報です。なんだかうるさいので外を見たら、人が襲われているとのことでして」

「この雨音越しに聞こえるっていうことは、刺された時の叫び声ということか…」

「えぇ。まぁ、叫び声が聞こえるということは、おそらくここら辺の誰かということに…」 


 デュドネイ刑事は、そういいながらビルが立ち並ぶ周囲を見回す。殆どの窓にはカーテンは閉じられてていた。


「いや。違うな」

 

 ドルニエ警部はそう断言した。


「何がですか?」

「通報したのは刺した本人の可能性もある」

「はぁ?何言いだすんですか?」


 思わず声を上げたデュドネイに、周囲の警官たちが振り向いた。


「叫び声が聞こえたんなら、どうせ暇な市民たちだ。カーテンでも開けて様子をうかがうだろう。それに天幕がかかってるんだから、場合によっては下まで降りて何が起きたか見るために、下まで降りて寄ってくるはずだ」

「確かに。…ってことは、犯人はすぐにこの遺体を発見してもらう必要があったってことですか?」

「そこのところの事情は分からん。一回周りの家に聞き込みでもしてみる必要が出てくるが…」

「ドルニエ警部!ちょっといいですか」


 話し込んでいたさなか、別の警官が呼ぶ声に、ドルニエ警部の思考が一時中断された。


「なんだ」

「署長が、一旦戻って来いとのことです。」


 通信端末を片手に、警官がそういった。


「はぁ?いま仕事中だぞ」

「来客が、とのことでして。署長室にまず来いと」

「ちょっと待て。私が出る、一回代われ」

「ダメです。切れちゃいました」

「チッ。また濡れるのか…」


改めてこちらから連絡しなおそうとも思ったが、のらりくらりと言い返しそうな署長の態度が頭に浮かび、ドルニエ警部は観念して再び車に乗り込み、署へと向かった。







「で、何の用ですか」


 コートにかかった雨粒を署長室の中で容赦なく払い落としながら、景気の悪そうな表情のモガリ署長に向かってドルニエ警部はそう尋ねた。


「あまりぞんざいな態度はよせ。…手短に説明する。公国軍の憲兵隊から今回の事件について捜査協力の申し出があった。今会議室で、憲兵隊の方に待ってもらっている」

「憲兵隊が?なんでそんな」


 公国内の組織にもセクショナリズム的な対立は存在する。一般に発生する犯罪の解決を担う警察組織と、軍関係の事件に関わる公国軍憲兵隊との対立などは、いわばその代表格のようなものである。

 その対立相手がわざわざ捜査協力の申し出ときた。

 

「ドルニエ。いいか、よく聞け」


 組織の機微には疎いドルニエを前に、署長のモガリは顎を手に乗せながらめんどくさそうに口をひらく。


「ニュースは見てるよな」

「えぇ。まあこういう仕事してますからね」

「人民連邦のことも、当然耳にはしているな」

「耳にしてるっていうか…、それが今回の件と関係あるんですか」


 臣民階級とはいえ下から数えた方がよっぽど早いドルニエ警部からしてみれば、てんやわんやの対応に追われている爵位持ち貴族の苦労なぞ知ったことではなかった。


「大ありだ。お前、目の前に別の国が突然現れて、それで関係ないなんてことあると思うのか」

「少なくとも、捜査をするうえで大事な初動をほっぽりなげて駆けつけるほどの用事とは思いませんよ。そりゃ関係ないことは無いでしょうけど、だってほら、スポンジケーキを観察することで全宇宙の事象を調べられるって言うじゃないですか」


 ドルニエ警部は、昔読んだ古典作品から引用したセリフを持ち出す。


「とにかくだ」


 モガリ署長はせせら笑うドルニエをよそに、机を手の平でたたきの自身の言葉の重要性をアピールする。


「人民連邦の存在を認識できなかったのは公国の情報組織にとって大変な失態だ。当然、情報畑に縁がある憲兵部隊もそれにつられて何かとピリピリしている。そんな奴らがわざわざこの事件に首を突っ込もうとしている訳だ。関係大ありであろうが」

「まぁ。そういう風に説明されれば、なんとなくおっしゃりたいことはわかりますよ」


 話の雲行きから、ドルニエ警部はへらへらした表情を固め始める。


「憲兵隊は、おそらくあの殺人事件に人民連邦の関係者がいると睨んでいるはずだ。いいか、お前は出来るだけ憲兵隊の方と情報を共有しながら事件の捜査に当たるんだ。分かったな」

「ちょ、ちょっと待ってください。その憲兵隊の方がもう会議室にいるってことですよね」

「そういうことだ。さっそく打ち合わせに入ってもらうから、失礼のないようにな。それに、相手は領邦騎士とのことだ。こういうのもあれだが、私より位は上だ」

「そういえば署長の階級ってなんでしたっけ」

「私は一等従騎士だ。おじい様の代で叙任されたが、まぁそれはどうでもいい。憲兵隊の方は廊下を出て右の応接室にいるから、気を付けていってこい。あとその濡れたコートは寄こせ。こっちであずかる」


 コートを取り上げられ署長室からたたき出されたドルニエ警部は、あまり気の進まない足取りで会議室まで向かった。


「失礼しますよ」


 緊張感のない態度で、ドルニエ警部は室内を見回す。簡素な部屋だ。机も椅子も頑丈なだけが取り柄なスチール製。その一角に、憲兵と思われる女性が座っていた。


「お忙しいところ、ご対応いただきありがとうございます」


 地味な色のスーツ、であるが、この時代そもそもスーツを着こなす人物などそういない。てっきり制服でも着込んでくるのかと思ったドルニエは、カジュアルな服装にジャケットだけ羽織った自分の格好を振り返り、若干気おくれした。


「公国軍憲兵隊のカーナ・フォン・ヨーヘン大尉です。この度はよろしく」

「ハルザ・ドルニエだ。警部をやってる」

 

 署長はああいったものの、臣民として上位の階級にあるものに対し、畏まる必要性をドルニエ警部はあまり感じていなかった。確かに彼とて臣民の端くれであり、公爵家を頂点とする階級のピラミッドに組み込まれている。しかし、彼が属する「従騎士」の称号は、もはや吹けば飛ぶ程度の権威しかない。そんな自分がいちいち高位の人間に対してへつらっていてはキリがなかった。


「話は、署長から伺っております。人民連邦関係とのことで」


 挨拶もそこそこに、腹芸が苦手なドルニエ警部は椅子に腰かけると同時にいきなり話題をぶっこんだ。


「話が早くて何よりです。実のところ、事態はもう少し…いえ、相当複雑なものでして」


 ピンとした姿勢ながら、ヨーヘン大尉の口調は物腰柔らかであった。


「警部。ニュースはご覧になってますか?」

「えぇ、もちろん。私も貴族議員を相手にする公爵様をみましたよ。特に、あのアルバートとかいう公子様なんか、まだ若いのにだいぶ受け答えはしっかりしてましたね。私の息子なんか、一番偉い貴族は子爵さまだと思っていたようで、映像を見てびっくりしてましたよ。公爵っていうのはほんとにいるんだってね」


 自分のところの貴族サマが議員に詰められるというのは、ある意味エンターテイメントに近いものがあった。もっとも、人民連邦による侵攻の可能性というものに対して、それほど真剣に考えてない公国国民がおおいのもまた事実であったが。


「辺境部の星系であれば、避難民が増えているといった話も聞きますが、まさかこんなところでねぇ」


 公爵領の中では内奥に位置するダンハール星系にて、それほど人民連邦の脅威は深刻に捉えられていなかった。既に辺境部では、防衛網構築のため、国民による労働参加すら募っているとの話だったが、いざこうして憲兵隊がでしゃばるような事件が起きたことを考えれば、場所に限らずなかなか安閑としていられないのではないか。そんな感情がドルニエ警部の頭をもたげた。


「改めて、単刀直入に申し上げます。今回、貴方が担当予定であった殺人事件の被害者は、人民連邦によって送り込まれたスパイである可能性があります」


 改めて確固たる表情で告げられると、ドルニエ警部もさすがに面食らった。


「…そっちでは、結構情報を仕入れてるみたいですね」

「驚かれるのも無理ではありません」

  

 茶でもすすりながら話を聞きたいところであるが、錠剤タイプを嫌う署員も多い。彼は気にしていなかったが、署内には気軽に入れられる茶の在庫は無かったから、彼の動揺をごまかす手段は限られていた。

 そもそもなぜスパイなのか。ヨーヘン大尉の説明によると、今回被害にあった人物というには公国軍の機密情報に不正アクセスを行った疑いがあったらしい。憲兵隊が独自にマークをしていたところ、今回の事件につながったということだ。


「確かに、暇を持て余した国民が、腕試しの一環で公国軍のデータベースにアクセスするのはよくあることです。しかしながら、被害の形跡にある一定のパターンが見受けられましたので、憲兵隊が独自の行動を行っていたのです」

「その、ある一定のパターンというのは?」

「それについてはお答えできません。機密情報に相当しますので」


 そういった事情もあり、警察に頼らず憲兵隊が独自で行動していたとのことだ。


「そしてこれは内々の話なのですが…」

 

 ヨーヘン大尉が、若干声のトーンを落としてさらに付け加える。


「今回のような殺人事件が、この一件だけで済むとは思えません。少なくとも、私の上司はそのように危惧しております」

「まぁ。おっしゃりたいことはわかります」


 ドルニエ警部は、背もたれに体重を預け、事態が当初の予想よりもきな臭いことになったことを改めて実感した。


「ところで…。公国軍の方に聞いておきたいんですが」


 せっかくの機会なので、ドルニエ警部は気になっていた内容を聞いてみることにした。


「なんでしょう」

「戦争って、本当に起こるんですかね」

「…難しいご質問ですが、少なくとも、公国軍の上層部が戦争の準備をしているのは確かです」

「まぁ、しょうがないんですかね」


 人民連邦が『ペルセウスの円環』の破壊を企図しているとの噂も流れている。なんでわざわざそんなことを、という疑問もさることながら、もし円環が破壊された場合。おそらく今までのような安穏な暮らしができなくなるのは確かであろう。小市民を自認するドルニエ警部であっても、そういう世の中の仕組みについては理解していた。


「ここだけの話ね…。私の両親は実は軍人だったんですよ。もう今は退役してますけど」


 ドルニエ警部は、見た感じの態度から、少なくとも目の前の大尉はお固いタイプではないと踏んだうえで、さらに話を切り出した。


「でも、私はそういう殺し合いみたいなのはどうに性に合わなくてね。…軍人さんの前でこういう話をするのはほんとはよくないんでしょうけど。ただ、一応これでも臣民の端くれだから、公務業にはつかなくちゃいけない。それで選んだのが警察の仕事だったんですよ。悪い奴を逮捕する方がまだやりやすいと思ってね」

「そうですか」


 ヨーヘン大尉は、それまで柔和に保っていた表情を一瞬かため、手を自分の口元に当てながら、考える表情を作った。


「確かに、警部のおっしゃることは素朴な感情です」


 それなりに真剣な表情で、ヨーヘン大尉は口をつき始める。


「ただ、ご安心ください。公国軍が、他の職業についている臣民階級の方や、ましてや国民階級の方に戦争へ行くよう命じることはあり得ません。なんなら私も、最前線にいって鉄砲を撃つなんて言うことはあり得ないでしょうから」


 おそらく、知り合いから似たような言葉を投げかけられることがあるのだろう。ヨーヘン大尉はそう返すものの、彼女の中で一種の職業的信念があるのは、客観的にみて明らかに思えた。



 そう。帝国において、戦いはあくまで貴族の占有物とされていたのである。貴族にとって、下々の者は守るべき対象であり、共に肩を並べて戦うべき戦友ではなかった。もっともそういった考え方自体、銀河をはさんで向こう側にある人民連邦から言わせてみれば、唾棄すべき階級意識の表れに過ぎなかったのであるが。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ