第88話:妹
あれから2時間が経過した。
学校の監視カメラに対するハッキングを競華は解き、アリス、競華の2人は理科室の前で雷汞が分解されるのを待っている。幸矢は朝食作りと、妹と一緒に登校するという使命のため、帰宅していた。
「……せっかく張り切ったのに、ガッカリだわ」
白衣を身に纏った椛が机に手をかけ、大きなため息を吐く。手のついた黒い机には種々の薬品と分解された液体達がずらりと並んでいる。その隣には4台のガスバーナー、後ろの机には、たらいのように大きな丸い入れ物があった。
競華は近くに落ちている雷管だったパイプを手に取り、空になった中身を確認して言う。
「実に見事だな。貴様も1人の天才なのだと、初めて実感したぞ」
「あら、私のことをナメてたのかしら? 貴方達には一歩及ばないかもしれないけど、一歩手前には居るのよ?」
「並ばれてそうで怖いですわね。 貴方とは戦いたくないです」
アリスが苦笑混じりに言うと、椛の肩は震えた。
自分よりも上だと思っていた存在が自分を認める――頭では考えずとも、体が狂喜したのだ。
だから調子に乗って、2人に向けてこんな質問をした。
「ねぇ、競華? 聞いてもいいかしら?」
「……なんだ?」
「何故あんな校舎の隅に雷汞が放置されてたのかしら? そして、後輩達は来もしない。……どういうことかしら?」
「…………」
競華は隠しようのない出来事には嘘をつくのも無意味と判断し、昨夜のことを話す。自分達の後輩が、雷汞を仕掛けた後輩達を懲らしめたのだと。
「だから貴方はそんなに眠そうなのね。待ってる間に寝てればよかったのに」
「構わん、1日ぐらいなら耐えれる」
「まあ、今日も午前授業だし、ゆっくりやりましょ」
それだけ告げて、椛は使用器具の片付けを始める。競華はただ眺めているだけだったが、やがてアリスと自分達のこれから使う2-1に向かって行った。
「……珍しいですわね。貴女が何も言わないなんて」
道すがら、アリスが話を振る。内容は言うまでもなく椛のことだ。何も言い返さず、競華は小さくなっていた。それがアリスには惨めに見えて、思わず聞いたのだ。
「……別に、意味などない」
「あら、そうですか?」
「ただ――こういう負け方があるのだと思い出しただけだ」
それを聞くと、アリスは笑顔になる。
普段からプライドばっかり高い彼女の鼻をつつけて、ご満悦なのであった。
◇
7時45分。
「……"一緒に登校する"なんて、中学の時は一度も言わなかっただろうに」
「うわー、こんな超絶美少女の妹に向かって、遠回しに邪魔と言いますか。兄さん、夜に後ろから刺されるよ……」
「…………」
「何か言い返してよー! 反応ないと寂しいよー!」
いつも歩く通学路を15分も遅く歩いている。いつも1人で登校する道を、今日は2人で歩いていて、その相方がとてつもなく迷惑だった。
「とわーっ!」
不意に抱きついて来る。兄妹だからって、男女で抱き合っていいのは恋人以外だと、小学生ぐらいまでだろうに。
「邪魔だよ……歩けない」
「兄さんにこの愛が伝われー!」
「……愛?」
「愛なのさー!」
「……それ、今じゃなくても、帰って家でしてよ」
「え……」
美代が急に顔を赤らめて僕から離れる。何故か知らないけど離れたので、僕はそのまま歩き出した。
「に、ににに兄さん……それはその、家で、あんなことや、こんな――あっ! 無視しないで! 置いてかないで!」
「……本当に煩いなぁ」
静かな朝が潰れ、僕は少々起こっていたのかもしれない。しかし、突き放そうとする僕の言葉を物ともせず、美代は僕の背中をグリグリと押した。地味に痛い。
「……なんなのさ、本当に」
「私、そんなに変?」
「……いや、いつも通りだったね」
でへへー、と笑う美代。いつも通り賑やかで華やかな少女。僕とは正反対に明るい女の子だった。
「……ねぇ、美代」
「なに、兄さん?」
「……今朝、僕のベッドで寝てただろう? しかも、ゴシックドレスなんか着て……どうしたのさ……?」
ふと思い出したことを質問してみる。すると美代は意外そうに眉を跳ね上げ、僕に文句を連ねた。
「そんな!まさか昨日の夜のことを忘れたの!? 兄さんが言うから、私はあんな格好をして、兄さんのナニにあんなことやこんなことを……」
「……で、本当は?」
「ん、知らない。夢遊病かな?」
「…………」
美代は笑顔でそう言うけれど、目が笑ってなかった。見開いた瞳が僕を射抜いている。
それ以上詮索するな。
目がそう言っていた。口ではなく、表情で会話するなんて、そんな妹になってたとはね……。
「……精神科行く?」
「えー、美代はそこまで変じゃないですぅー」
「十分変だよ……一度診てもらいなって」
「ふはははは、元気過ぎる病気、略して原病に掛かってると診断される未来予知、いと容易し!」
「……原病って」
あながち間違いでもないかもしれない。元気の元って漢字じゃないのが残念でならないけど。
美代との会話は続き、電車に乗って学校に到着する。美代がひっきりなしに話しかけて来るせいか、妙に時間が早く感じた。
「……じゃあ、入学式頑張りなよ」
「高校は予行もなしなんだね。転んだりしたらどうしよう……」
「……中学は予行、あったっけ……?」
「えー、覚えてないよー」
多分なかったけど、うろ覚えだから言わないでおこう。美代は笑顔を浮かべると、優しく、独り言のように呟いた。
「……今日は嬉しかったな。兄さんと、こんなに雑談ができた。いつも忙しそうで、私になんて構ってくれないのに……」
「…………」
胸に刺さる言葉だった。妹なのに、あまり会話もせず、寂しい思いをさせてると思う。だけど、僕から距離感を詰めるのは、義母の思うツボだから――それが嫌だった。
だけど、通学路ぐらいは――。
「……できるだけ、毎日一緒に登校しよう」
「……えへへ。もとよりそのつもりですっ」
「……。彼氏ができるまでね」
「ふっふっふ、案ずることなかれ。もう好きな人は居るから」
「そうか……」
ならばこの日々も短く、美代の心の隙間も埋まることだろう。義母の計画破綻にも繋がるし、僕としては早くその恋を実らせてほしい。
自分の恋も実らせられないから、そんなことは口が裂けても言わないが――。
「…………」
「……?」
目の前の美代が胡散臭そうに僕の顔を見ていた。それはいつものことだけど、僕は変なことを言っただろうか?
「何……?」
「ううん、わかってなさそうな顔してたから」
「……?」
「あーもう、この鈍感兄イヤーっ!」
「わけわからないよ……」
そして僕はまたため息を吐く。幸せ逃げまくりな人生だけど、名前を裏切る生き方をしてるんだから仕方ない。
裏切りたくて裏切ってるんじゃないけど……運命的なものがあるんだろう。もしくは呪いか何かか……。
美代が声をあげたからか、知り合いの少女が1人、僕たちの目の前に現れた。今日は特別に白衣を着ている黒髪の長い女の子だった。
「……幸矢くん? その子、誰かしら?」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、椛が目の前に立つ。その両手には持てるだけの試験管があった。それぞれ色とりどりのヤバイ液体が入ってるのは言わずもがな。回答を誤れば死ぬらしい。
まぁ、答えられる回答なんて1つしかない。
義妹、そう言えば終わり、なんてことはない。
それなのに――。
「わぁっ!! 凄い美人! 兄さんの彼女さんですかっ!!?」
美代は大袈裟に慌てて問いただした。
確かに美人の部類に入るけれど、なんでそんな言葉が出る……。
「……えっ、あっいや、彼女だなんて……」
対する椛も、満更でもなさそうに頰を赤らめていた。
……なんだろう、この雰囲気。とても居づらいな……。
美代は僕の腕をぐいぐい引っ張り、椛を指差して言う。
「兄さん! この人誰! どんな関係なの!?」
「……北野根椛。去年は同じクラスだった、僕の友達だよ……」
「友達……まぁそうだよね。兄さん根暗だし、こんな可愛くて白衣の似合う美人さんが相手してくれるだけ奇跡だよね」
「……それは僕も思うよ。よく相手されてるな、って」
それはきっと、外見ではなく内面で人を見るからだろう。外見だけで人を見るのも良いだろうけど、それは長く続かない。美貌を求めても、人生の半分も維持できない。それなら内面を完璧にした方が、一貫して良い人生が歩める。外見だけで内面が足りてない人より、内面の構築された人間と一緒に居た方がいいと椛はわかってる。だから人を見下してる面もあるが、人との付き合い方がしっかり制定されるという、良い面もあった。
「わ、私から見れば……幸矢くんは、カッコいいわよ……」
なのに、何故椛の口からはそんな言葉が飛び出すのか。椛なら辛くもこの場をあしらうぐらいできると思ったのに……。
「――――ッ!!?」
椛の言葉に、美代は酷くショックを受けたようだった。僕は根暗でカッコ悪いかもしれないが、本人を目の前にしてその態度は失礼極まりない。
美代は僕の顔と椛を交互に見比べる。
「……ふーん、ふーん、ふぅ〜〜ん?」
「……何さ、美代?」
「……ううん、いいの。私のことは気にしないで。お邪魔虫はさっさと退散するんだからぁ!」
「あっ、おい……」
美代は謎の捨て台詞を吐いて校舎の方に駆けて行った。椛には釘を刺しといたのに、そういう意味とは違った発言で心を揺さぶるとは……。他意があったかは、わからないけれど……。
「……大丈夫?」
未だに顔の赤い椛に声をかけてみる。彼女は明後日の方を向いて、強がった言葉で返した。
「……全然、大丈夫。妹さんだったのね、あの子」
「……ああ」
妹、妹だ。
元気で、優しくて、頭がいいくせに兄の行く高校に通い始めるような、人懐っこい――。
「……妹だよ」
もう何年も前、死んだ妹の影が見える。もし死んだ妹――幸子が生きていて、高校に通う時、似た光景が見られたのだろうか?
そう考えるのが美代に失礼だとわかっていても、今でも忘れられなくて、妹という言葉だけで姿を重ねてしまう。
過去を葬らねばならない。そのために頑張るといっても、僕はまだ大人になれないでいるんだ――。
予鈴のチャイムが鳴り響く校庭で、椛と美代の映る視界の中で、僕はそう思うのだった。




