第89話:美代、始動
何事もなく入学式が終わり、僕はすっかり顔馴染みになったメンバーと帰路についていた。この中に晴子さんだけがいないけれど、それは仕方のないこと。
「幸矢の妹、か……」
ポツリと競華が呟く。今日の話題は美代のことで持ちきりだった。アリスは笑顔で何も言わず、椛は朝に起きた痴態を掘り返して俯いている。ここに珍しく一緒にいる快晴が、ムスッとした顔で空を見ながらぼんやり歩いていた。
「転ぶよ、快晴」
「……なぁ、幸矢」
「何……?」
「なんで言ってくれなかったんだよ?」
「…………」
何を、とは聞くまでもない。
僕は、幼馴染みに父が再婚していたことを黙っていた。いつかはバレることだけど、家族が死んで、再婚するまでに1年しか掛からなかったから、父さんに怒りを向けないで欲しくて、黙っていた。
怒らせたくない――そう思うことは悪いことだろうか?
事実を隠すことの何が悪いのか?
嫌なことなら知らせる必要もない、違うんだろうか?
教えたなかったからって、何か奪うわけでもないのに……。
でも、それはきっと罪なのだろう。
だから快晴が怒っていて、僕は――
「快せ――」
「ふんっ」
僕が口を開くその刹那、競華が僕の前に立ち、快晴の鳩尾に正拳突きを入れていた。的確に当てられた突きが痛いことは、苦悶に満ちて、今にも目玉が飛び出そうな快晴の顔から伺えた。
やがて倒れて蹲ると、競華は吐き捨てるように言う。
「フンッ、幼馴染みであるならばこそ、幸矢がこのことを黙っていた優しさが理解できると思っていたが、貴様は所詮、感情で動く動物か。家族を隠す、そのことに幸矢みたいな根性なしが後ろめたさを感じないわけなかろう。どれだけ苦労してきたのか汲み取れ」
「ぐっ……うぉぉお……」
競華の説教に、快晴は呻き声で答えた。
ああ、やっぱり頼りになる。機械に強くて一見冷たい人間に思えるけれど、こんな時にすぐさま場を諌める競華は、とても優しかった。
「……幸矢、貴様にも言って起きたいことがある」
「……うん」
「友人がいるなら、辛さは分け合えろ。1人で抱えるな。私達は貴様にも愚痴を言ったりして、辛さを分配している。なのに貴様だけ辛さを分けなければ、私達は楽だが、貴様が過負荷で潰れてしまう。そんなのは許さん。真に友人だと思うなら、信じろ」
「……できるだけ、努力するよ」
隠し事の一番多そうな競華が言うと、少しだけ説得力に欠けて、曖昧な態度を取ってしまった。でも、競華は満足したらしくて、僕を通り過ぎてアリスと話に向かう。すると今度は椛が僕の所にやってきた。
「過去、大変だったみたいね」
「それは誰でも一緒だろうに……」
過去が大変じゃない人間なんて居ない。誰だって何かしら努力して、悩んで、焦燥して、今を生きている。俺を殺した椛だって、そんなのわかってるだろう。
「……いってぇー。競華の奴、手加減ってもんを知らねぇよな」
蹲っていた快晴がお腹を抑えながら起き上がる。競華に殴られるのはいつもの事だが、今回は不意打ちだっただけにダメージは大きそうだ。
「……大丈夫?」
「おう、死にやしねぇよ」
「……見ればわかるよ」
まっすぐ立ち上がると、彼は肺にある空気をあるだけ吐き出し、改めて僕の瞳を覗く。
「……じゃあアレか。もう3年間、一緒に暮らしてんのか」
「……そうなるね」
「家族だって認めてんの?」
「まぁ……一応」
「……そうか。なら別に、俺から言うことはねーよ。いや、紹介しろ、ぐらいは言わせてもらおうかね」
「ああ、そのうちね……」
快晴なら仲良くしてくれるだろう。美代は明るい子だ、気が合うと思う。もう切っても切れない家族なんだ、友人に紹介しても、良いだろう……。
僕が薄く微笑むと、快晴も満足そうに笑う。
隣に居た椛はいたずらっぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「……でも、可愛かったわね。快晴、惚れるんじゃない?」
「いやいやいや……そーなったとしても、幸矢に殺されちまうぜ。とんでもねぇシスコンだからな」
「……美代はそういう対象じゃないよ」
小学生の僕は、幼稚園児の幸子を連れて歩いたりしていた。赤ん坊の頃からずっと見てた大切な妹だったから、一緒に出かけたり、笑わせたり、シスコンと呼ばれるのも仕方ないと思う。
美代は……違うから、わからない。
「……というか快晴。君、好きな人居なかったっけ……?」
「あ? いや、俺が好きかっつーと微妙なんだけどよ、向こうがなぁ……。俺も嫌じゃねぇからいいんだけど」
「そう……。なら、僕の妹と絡むのもほどほどにね……」
「わーってるよ。幸矢が居る時しか絡まねぇよ」
快晴は面倒そうにそう言って先に歩いて行く。気がつけば雑談を始めた僕等も歩き出し、今日のところは解散となるのだった。
◇
「ううぅ……ううぅ……」
呻きながら、私は1人で体育館の隅に座った。生徒会は入学式の片付けで椅子運びや垂れ幕を仕舞ったりと肉体労働を強いられたのだ。もちろん、野球部などから人員も派遣してもらったが、気付けば午後4時半。昼食もろくに取らず、疲労が溜まっていた。
しかし、嫌な疲労じゃなかった。私は自分の人生を全うしている。生徒会長として祝辞も読み上げ、胸襟秀麗な様を1年生に見せられた事も誇りに思うし、華やかな式典は心地よかった。私は、人を動かしながら、人の役に立つことをするのが好きらしい。
そうでなければ、生徒会長なんて役職もしなかっただろう。
そのせいで、休憩するのにも人払いをしなくてはならない。君子が疲れた様なんて、見せられないからね。
だというのに、ギシリと、体育館の床を踏む音がした。
私はパッと立ち上がり、体育館の壇上に上がる。
体育館の真ん中には、少女が立っていた。
黒髪のポニーテール、この高校の学生服、上履きは新入生が履くものだった。私は、この少女の事を知っている。だけれど、会ったことは一度も無かった。
だから、知らない風にして話しかける。
「どうかしたかい? 忘れ物なら、職員室にあると思うよ」
私がそう言うと、彼女は壇上を見上げた。視線が交錯する。彼女の瞳はまん丸で、憂いのない、ぼんやりとした瞳だった。
彼女が何も言い返さなかったから、私は壇上を降りて彼女に近付きながら、続けて話した。
「それとも、私に用があるのかな? キミの顔、中学で見た事あるよ」
「…………」
「……幸矢くんの、妹さんだろう?」
彼女とは5mの距離を置いて、私は彼女の正体を暴いた。私は生徒会長として、中学の頃の全校生徒全員の名を暗記した。黒瀬の名があれば、卒業して1年経っても忘れない。
黒瀬美代は私の声を耳にするなり、大きくため息を吐いた。その様は、幸矢くんによく似ていた。
「……ため息を吐かれるような事、したかな?」
「いえ……。とりあえず、自己紹介します。私は黒瀬美代。ご存知の通り、幸矢兄さんの義妹です」
「神代晴子だ。生徒会長でも晴子さんでも、呼び名は好きにしてくれて構わないよ」
「…………」
笑顔で言っても、美代くんはふいっとそっぽを向いた。私のことが嫌いらしい。……幸矢くんか、何か言ったのだろうか?
幼馴染みを勘ぐっていると、ついに彼女から質問が来る。
「……何故、間隔をあけたのですか?」
「……?」
「5m。私と、貴女の距離です」
「…………」
痛いところを突かれた気分だった。流石は幸矢くんの妹といったところか。嫌な質問だが、答えねばなるまい。
「キミは、左手に何か仕込んでいるね? 裾が膨らんでる。大きさからしてガス缶……催涙スプレーか何かだろう。そして、胸が左右で膨らみが違う。ハンカチでは済まない。スマホでもない。ふふふ、幸矢くんから何を言われてるかもわからないし、手を繋ぐ距離に行くのは、難しいね」
「……へぇ。凄い観察眼。プロの殺し屋みたい。やっぱり天才さんなんだ」
美代くんは腕を振るうと、筒状のものが落ちる。殺虫剤だった。催涙スプレーではないが、あれも至近距離で目に入ったら、想像するだけで痛くなる。
彼女は私に向き直ると、ツーンとした眼差しを向けてくる。
「……何かな?」
「なんでもないです。兄さんがよく電話してるみたいだから、会いたくなっただけです」
「その割には、満足してなさそうだね。私が何か粗相をしたのなら、謝るよ」
「……なら」
彼女は地団駄に近い一歩を踏み、私に向けてその心に溜まった言葉を吐き出した。
「――兄さんから手を引いてください!!! 兄さんは、私のものなんだから!!!」
そんな、昼ドラの一コマみたいな言葉に、私は――
「……ひぇっ?」
自分らしくない、間抜けな反応をしてしまうのだった。




