浮遊快 Ⅱ
〈蜜羽〉
十分ごとに、深く瞼を閉じて目を休める。それが私の休憩方法。暖房から吹かれる熱が空気と混ざり、締め切った部屋の中に溜まって行く。肌にしつこく纏わり付く温い空気は、動きを鈍重にする。呼吸をしても、澄んだ空気は入ってこなく、窓を開けたくて堪らなかった。
「部長!窓開けてもよいですか!」
私の向かい側でパソコンを打ち込んでいた友人の棗が手を高く上げて、威勢良く部長に訊ねる。どうやら私と同じ気分だったらしい。「いやー篭ってる空気の中で仕事は捗らないっすよ」と棗は独り言の様なものを呟きながら窓の方へ足を運んだ。
棗は私の数少ない友人だ。大体の人間が私を軽蔑する中で、棗は好奇心の様なものを全開で私に絡んで来た。最初は私もその勢いにたじろいていたが、徐々に慣れというのが現れ、気が着けば友人となっていた。
「棗ナイス」
「あ、やっぱり蜜羽も思ってたんだ」
窓を二、三箇所開けた棗が自分の席に戻って来る。椅子に戻るなり棗はパソコン専用の眼鏡を付け、袖を巻くって「よし」と気合を入れたかの様な声を出し、再び画面と向き合った。その気力をすこし恵んで欲しい。
けれど、そんな都合良く行くわけもなく、三分ほど経過したら「ちょい休憩」と、引き出しからチョコを出していた。「さっきの気合はどうした」私が呆れた口調で訊ねる。
棗は「腹が減っては戦は出来ず」と言い訳めいた事を吐きながらすぐに二個目のチョコを取り出す。「蜜羽も欲しい?」
「まあ確かにやる気出ないよねー」棗を見ていると自分も緩慢な事を呟きながら足を伸ばした。休憩。瞼を深く閉じる。
「パソコンずっと触ってると、目の周りが硬くなった様な感じしない?チョコいる?」
「あ、わかる」
「あたしが仕事あるある言いまーす。チョコいる?」
「どうぞ」
「朝、「仕事行きたくないなあ」と嘆く。仕事場の入り口ギリギリまで嘆く。入った瞬間「おはよーございます!今日もいい天気ですねー!」」
「うーん。共感六十パーセント」
「そうか。ねえだからチョコいる?」
「いるよ」棗からチョコを受け取る。
包み紙を取り、一口で頬張る。入った瞬間に舌に塗りたくる様な甘みが広がり、飲み込んだ後も口に残った。「一つだけかよ」と託つ。棗は「はいはい」と三個ほど取り出し、私の方へ投げた。
「そういえばさ」私が二個目のチョコを口に入れるところで、棗が思い出したかの様に言った。「最近さ、自分の部屋おかしいんだよね」
「おかしいって?」鸚鵡返しに反応し、詳しく事情を訊ねる。チョコは舌で溶け、喉に流れる。発した声がチョコと絡まり噎せそうになった。
「なんか、寝てる時に物音がするんだよね」
「気のせいじゃない?」
「いや、絶対に何かいるよ。あれは」
棗が鼻の上辺りを掻きながら、「そんな時の為の、蜜羽である」と勝手な事を言って来た。「えー」と私は嘆く。億劫だった。「それでも、友人の相談に乗ってくれる蜜羽なのである」棗が演技めいた無表情のままそう吐く。「相談じゃないだろそれ」
はぁ、と私は溜息を漏らし、「わかったわかった」と面倒臭い雰囲気を漂わせながら「明日ね」と棗の期待に応える。「そんな時の為の、私だ」
「ありがとうお母さん」
「全く仕方ない子ね」
演技めいた無表情を作り、棗にそう返した。瞼を深く閉じる。
〈春樹〉
あの後。友人達から「大丈夫か?」と誤解の心配をされてしまい、「う、うん」とぎこちなく答えると、「今日はゆっくり休め」と心配してくるので、僕はその友人達から離れる様に一人で帰っていた。
今日は部活が停止し、普段より早い時間に学校は終わった。それでも空は橙色に覆われており、通り過ぎる人達の表情は紅に染まっていた。
ぼんやりと空を眺めながら足を運んでいると、何かを見つめながら腰を屈んでいる子がいた。その子は手にカメラを持ち、何かを撮っているようだった。
そのレンズの先にあるものの方へ目をやり、目を細める。一つのダンボール箱が置かれており、毛布の様なものが中にひかれていた。その毛布がもぞもぞと蠢き、体を近付けて確認してみると、捨てられた黒猫だった。
「この子、あなたのですか?」僕は屈んでカメラに夢中な女の人に訊ねてみる。彼女は「うわ!」と驚いた素振りを見せ、「あ、違います」と否定する。「私が来た時からあったんです」
「捨て猫、ですか」
「らしいですね。可哀想」
「何で撮ってたんですか?」
「いや、毛並みも奇麗で可愛いなあ、と思って」
彼女はフォルダに写る黒猫に目を通しながら、「持って帰りたいのですけれど、母親が猫アレルギーなんです」と嘆く。「「ダック」っていう名前も考えたのに」何故に鴨、と疑問を抱く。言及するほどでもないので放棄した。
「貰ってくれる人、いないですかねえ」彼女が哀れなものを見る様な瞳で黒猫を見つめる。僕も隣にしゃがみ、「そうでねえ」と同情する。黒猫の頭を撫でてみると、嬉しそうに目を閉じて自らも頭を僕の手の平に擦り付けて来た。「懐かれてるじゃないですか!」と彼女がレンズを覗き込みながら言う。パシャリ、と二度くらい撮られた。
「でも僕、姉と二人暮らししていて、姉に許可をとらないとダメなんですよね」
「やっぱ、そうですよねえ」
その後も二人でいろいろと勘案してみたが、どれも矛盾が見つかり、断念した。「心優しい方いないですかね」彼女はそう漏らしながら、腰を持ち上げる。黒猫に「ごめんね」と呟き、離れていった。
「ごめんな。助けたいのは山々なんだけれど」僕も仕方ない、と諦めの溜息を吐く。黒猫は僕の人差し指の先を舐め、懐っこい。頭をくしゃくしゃ、と撫でて立ち上がった。
自分じゃ、どうにも出来ない。黒猫が、寂しそうに「ニャー」と鳴いた。
二話目です。 この捨て猫、というは最近、よく自分の家の玄関に来る野良猫が来るんですよ。 餌もあげないのに、何故来るのかわからないのですけれど、撫でようとしたら案外普通に触れれました。




