↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83億の隣人  作者: やまみゅー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/13

第1話 初対面

朝、目を覚ます。

午前6時43分。

目覚まし時計が鳴る三秒前に止める。

いつものことだ。

カーテンを開ける。

向かいのマンション、307号室。

そこに住む男の名前は、佐伯健司。

43歳。妻と娘の三人暮らし。会社員。

昨日は23時17分に帰宅。夕食はコンビニの弁当。

妻とは三分間だけ会話した。娘はまだ起きていた。

午前0時31分、就寝。睡眠時間――5時間42分。

僕はそれを知っている。

別に、覗いているわけじゃない。

盗聴しているわけでもない。

世界認識。

僕たちが生まれた瞬間から持っている能力だ。

世界中の人間を、「個人」として認識する。

名前。年齢。性別。家族。職業。

住んでいる場所。過去。ある程度の経歴。

目の前にいなくてもその人が「誰なのか」は分かる。

だから、僕は佐伯さんを知っている。

顔を見たこともある。何度も。

でも、話したことはない。

駅へ向かう。

通学途中の女子高生。

コンビニの店員。

横断歩道を渡る老人。

自転車に乗る会社員。

全員、誰なのか分かる。

「あの人、誰だろう?」

そんな疑問を持つ人間はいない。

駅のホーム。

隣に男が立った。知らない男。

いや。知っている。

名前は、高橋修司。

29歳。独身。IT企業勤務。

昨日、恋人と喧嘩した。

原因は、結婚についての意見の違い。

高橋さんは結婚したい。

恋人は、もう少し仕事を続けたい。

電車が来る。

高橋さんが乗る。

僕も乗る。

席が一つ空いている。

高橋さんが座る。

僕は立ったまま。

次の駅で、高橋さんが降りる。

僕はまだ乗っている。

それだけ。

一言も話さない。

会社に着く。

同僚の田辺が、

「おはようございます」

と言う。

僕も、

「おはよう」

と返す。

田辺のことは、よく知っている。

妻。子供二人。趣味は釣り。

最近、上司との関係が上手くいっていない。

昨日、妻に離婚を切り出された。

でも、僕は知らないふりをする。

それが普通だからだ。

昼休み。

同僚たちが話している。

「昨日の試合見た?」

「見た見た」

「すごかったな」

「なあ」

僕は笑う。

話題は知っている。

誰が勝ったのかも、選手の成績も全員知っている。

だから会話に困ることはない。

でも、ふと思った。

これは会話なんだろうか。

午後3時。

仕事中、妻からメッセージが届く。

「帰りに牛乳お願い」

僕は、

「了解」

と返す。

妻のことも知っている。

好きな食べ物。嫌いな食べ物。

学生時代。初めて付き合った人。

僕と結婚した理由。

全部知っている。

もちろん、妻も僕のことを知っている。

夜。

帰宅する。

妻が夕食を作っている。

娘はリビングでスマートフォンを見ている。

「ただいま」

「おかえり」

いつもの会話。

僕は娘を見る。

彼女が今誰とメッセージしているのかも分かる。

クラスメイト。名前も分かる。家庭環境も、将来の進路も。

僕は、娘に聞く。

「その子、好きなの?」

娘は驚く。

「関係ないじゃん!」

「分かんないからさ・・・。」

「世界認識でも感情はわかんないもんねっ。」

「うん・・・」

娘は少し不満そうに、

スマートフォンを伏せた。

「……最悪。」

「何が?」

「気持ち以外は全部分かっちゃうから」

僕は笑った。

「便利じゃないか」

娘は僕を見る。

「お父さんは、誰かのことを知らないってことないの?」

僕は考える。

「ないと思う」

「じゃあ、初対面って何?」

その質問に僕は答えられなかった。

夜。

布団に入る。

妻は隣で眠っている。

僕は目を閉じる。

すると、今日会った人間が頭に浮かぶ。

高橋修司。田辺。駅の老人。コンビニの店員。

全部知っている。

名前も。年齢も。人生も。

でも、今日一日、誰とも出会っていない。

そんな気がした。

翌朝。

僕は少しだけ早く家を出た。

いつもと違う道を歩く。

知らない人はいない。

誰が歩いているか、

全部分かる。

公園のベンチに一人の老人が座っている。

名前は、山田隆。78歳。

妻は3年前に亡くなっている。

子供は二人。孫が四人。

僕は老人の人生を知っている。

だから通り過ぎようとした。

そのとき、老人が僕に声をかけた。

「お兄さん」

僕は振り返る。

「はい?」

老人は笑った。

「少し、話さないか?」

僕はなぜか立ち止まった。

「……僕とですか?」

「そうだよ」

「僕のこと知っていますよね?」

老人は少し考えた。

そして不思議そうな顔をした。

「知っているよ」

「じゃあどうして話したいんですか?」

老人はしばらく黙っていた。

そしてこう言った。

「知っているからこそ、話してみたいんだよ。」

僕はベンチに座った。

「何を話します?」

老人は笑った。

「何でもいい」

「趣味は?」

「知ってるだろ?」

「はい」

「家族は?」

「知っています」

「じゃあ質問を変えよう」

老人は僕を見る。

「今日、何を考えていた?」

僕は黙った。

世界認識を開く。

老人の現在の思考を検索する。

――取得できません。

老人は笑っている。

「どうした?」

「……何でもありません」

世界認識は人間の人生を知ることはできる。

でも、今この瞬間、その人が何を考えているのかまでは分からない。

僕は老人に聞いた。

「じゃあ、あなたは今、何を考えているんですか?」

老人は答えた。

「それを聞くために、君がここに座ったんだろ?」

僕は笑った。

「そうかもしれません」

「じゃあ、君から話しなさい」

「僕ですか?」

「そうだ」

僕は少し考えた。

そして、初めて、世界認識を使わずに誰かと話した。

一時間後。

僕は会社へ向かった。

老人とは、別れ際に名前を呼び合った。

もちろん名前は最初から知っていた。

でも、その日初めてその名前を本人の口から聞いた。

駅へ向かう途中僕は思った。

「初対面って相手を知らないことじゃないのかもしれない」

スマートフォンを見る。

世界認識には、83億人の情報が並んでいる。

その中に老人もいる。

妻も。娘も。僕自身も。

僕は画面を閉じた。

帰宅中、公園を振り返った。

老人はもういなかった。

ベンチだけが残っている。

僕はなぜか寂しくなった。

その日の夜。

世界認識を開いた。

いつものように、自分自身を確認する。

名前――佐藤。

年齢――43歳。

職業――会社員。

家族――妻、娘。

すべて正常。

しかし、その下に見たことのない表示が一瞬だけ現れた。

「認識不能な個体:1」

僕は画面を見つめる。

次の瞬間、表示は消えた。

何だったのか分からない。

ただ、最後に小さな文字だけが残っていた。

「世界には、まだ一人だけ、あなたが知らない人間がいる。」

僕はその文章を読んで笑った。

そんな人間がいるはずがない。

この世界では、83億人全員を知っているのだから。

――そう思った。

そのときはまだ知らなかった。

その「一人」が、いつか僕自身になることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。