【第4話】01 宵の刻
「それでは鍵はここへ置いておきますので、お出かけの際は施錠を……。わたしは停電が復帰するまでは、杏香さまのお宅におりますので、ご不明な点がありましたら、なんなりとお申し付けください」
ジムの受付カウンターに鍵を置いて出て行こうとする二条美華に、メグルが声をかけた。
「待ってください、美華さん」
「ミツオ(偽名)くん、何か……?」
「ここってガスは使えないの? お湯を沸かしたいんですけど……」
「契約前ですのでガスは使えませんが、確か給湯室の棚にカセットコンロがあったと思います。水道は出ますので、ご自由にお使いください」
二条美華がジムのガラスドアを静かに閉めて去っていく。
その姿が完全に見えなくなるのを見届けてから、イラついた様子のモグラが噛み付いた。
「まったく、どうゆうつもりだいメグル!」
モグラの口撃は想定内としていたメグルが淡々とこたえる。
「落ち着けモグラ、まだ林杏香が魔鬼だと確定していない。ぼくらの正体もたぶんまだバレてない。はっきりしてるのは四日後の満月の夜、ここに魔鬼が現れるってことだけだ。それまでじっくり作戦を練って、罠を仕掛けようじゃないか」
吹き荒れていた風も弱まり、窓に打ち付けていた雨も小降りになっている。
薄暗いジムのなか、メグルは給湯室から見つけてきた片手鍋に水を入れて、カセットコンロの火にかけた。
「のんびり茶なんか飲んでる場合かよう? すぐ上の階に魔鬼かもしれねえ奴が棲んでいるんだぞ!」
そのとき、窓越しに見える向かいのビルの屋上看板に明かりが付いた。
続いてジム内の照明もつき、室内を明るく照らした。
「そうだったときの罠も仕掛けるさ……。でもぼくには、あいつらが魔鬼とは思えないんだ」
「その根拠は……?」
カセットコンロの青い炎を見つめながら、メグルがこたえる。
「ぼくはずっと、鏡のなかの二条美華に注意を払っていた。少なくとも彼女の姿は常にジムの鏡に映っていた。前に言ってたじゃないか? 魔鬼は鏡に映らない瞬間があるって」
「だから言ったろ、それは単なる都市伝説だって! 魔鬼の住む魔界は精神世界だから、物質世界の六道では体を持てない。だから自殺者などが命を絶つ瞬間を狙って、強引に体を奪って憑依してるんだ。人間の体なんだから理論的には鏡に映るのが普通なんだぜ!」
「だけど……」
メグルがなおも食い下がる。
「たしかにサヤカは鏡に映らない瞬間があった。だから魔鬼だと気がついたんだ……」
モグラが一瞬口をつぐんだ。
級友のサヤカが魔鬼だった。
その事実がメグルに深い傷を負わせたことを知っているからだ。
ためらいながらも、しかしモグラは納得がいかない様子で反論する。
「確かに二条美華は魔鬼じゃないかもしれねえ。越界者の姿は普通に鏡に映るからな。……おいらの見立てじゃ、林杏香が魔鬼で二条美華が越界者! どうだ、これなら説明がつくぜ!」
沸き立つ片手鍋を見つめながら、メグルが前髪を人差し指に絡ませる。
「何かが引っかかる。何かが違うような気がするんだ……」
モグラはシルクハットを目深に被り直すと、カウンターに立てかけたステッキを手に部屋を出ていく。
「どこ行くんだ、モグラ!」
「そんな勘だけが頼りの行き当たりばったりじゃあ、いつか魔鬼にやられちまうぜ。付き合ってられるかよう!」
派手な音を立ててジムのドアを閉めると、モグラは動き出したエレベータで階下に降りていった。




